クロアチアの風  ~茶猫の旅カフェ~

アドリア海の国クロアチアと旧ユーゴの風景をお届けします。旅行情報、写真をお楽しみ下さい。番外編では世界の猫も登場!

十字軍に占拠されたザダ―ルの町

2012-02-21 23:01:14 | ザダール

 ザダールにあるもうひとつの大事な教会は聖ストシャ大聖堂です。四重のアーチとバラ窓が美しいこの聖堂は、12世紀にロマネスク様式で建設が開始されましたが、1202年、ザダールの歴史に残るおそろしいできごとが起こったため、建設は中断され、百数十年後の1324年に完成したものです。

ザダールの歴史に残る恐ろしいできごととーーそれは第4次十字軍による攻撃でした。

当時ハンガリーと覇権争いをしていたヴェネチアは、アドリア海沿岸をヴェネチアの貿易船の航路とするため、領土にしようと狙っていました。当時資金繰りに苦労していた金欠の十字軍に対し、ヴェネチア共和国の総督エンリコ・ダンドロは、船の支払い残金は後払いにしてやるから、ザダールの町を攻め落とすよう十字軍と取引をしたのです。

1202年、200艘を超える十字軍艦隊が、聖歌「聖霊来たり給え」を奏でる楽隊に見送られ、ヴェネチアの港を出港しました。イスラム勢力と戦うためにカイロに向けて出発したと誰もが思っていましたが、このとき本当の行き先と陰謀を知らされていたのは一部の指揮官だけだったようです。

計画はザダール上陸まじかに明かされました。イスラム軍と戦うための「キリスト教徒の聖戦」に参加していたはずの十字軍が、同じキリスト教徒の町を攻略するよう命令されたのです。これに驚いた兵士の一部は離脱しましたが、ザダール奇襲計画は予定通り実行されました。突然の十字軍の攻撃と略奪に町は破壊されました。キリスト教を守るべき十字軍がキリスト教徒の血を流すという悪行が、ここザダールを舞台におこなわれたのです。十字軍は、スポンサーであるヴェネチアの手足となって剣をとり、この地を占領しました。

これによりザダールは、ほかのダルマチアの町より、200年以上早くヴェネチア共和国の領土に組み込まれるようになりました。

ザダールの旧市街への入り口の門には、今もヴェネチア共和国のシンボル・翼の生えたライオンのレリーフが残っています。

1204年、十字軍は、占領したザダールから艦隊を送りだし、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルを攻め落とし、1204年に「ラテン帝国」を築きました。ヴェネチアは東地中海に「海洋帝国」を展開するための大きな足がかりを打ちたてました。

時のローマ教皇インノケンティウス3世は、ザダール攻略を聞いて激怒し、十字軍を全員破門にしました。後に事情がわかり、十字軍の破門はとかれましたが、ヴェネチア人だけは許されなかったといわれています。老齢のヴェネチア総督エンリコ・ダンドロは、その後コンスタンティノープルで没し、第4次十字軍の悪行は歴史に刻まれましたが、ヴェネチアでだけは、ダンドロは英雄として賞讃されました。

西暦2000年の大聖年、キリスト教の節目の年に、当時のローマ法王ヨハネパウロ2世は、このとき東方正教会に対して十字軍が行った行為を、コンスタンティノール総大主教に対して初めて正式に謝罪しました。800年も前の攻略が、いまだにカトリックと東方正教会との間のしこりになっていたのです。



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