クロアチアの風  ~茶猫の旅カフェ~

アドリア海の国クロアチアと旧ユーゴの風景をお届けします。旅行情報、写真をお楽しみ下さい。番外編では世界の猫も登場!

ザダールの巨大ウェディングケーキ?

2012-02-10 02:18:55 | ザダール

北ダルマチア地方の中心地ザダールは、この地方で最も古い町のひとつです。旧市街にはローマ遺跡も残っています。そんな旧市街のまん中、かつてローマ時代のフォロがおかれていた広場にすくっと立つまっ白なウェディングケーキのような聖ドナット教会。9世紀に建てられました。

西ヨーロッパのラテン十字の教会とはひとあじ違う筒型のこのユニークな形は、東方ビザンチンの集中式でありながら、二階の回廊をもつとても珍しいかたち。こういった筒型のビザンチン教会は、ヨーロッパ広しといえども、かつて首都がおかれていた宮廷礼拝堂でしか、ほとんど見ることができません。

イスタンブールの聖セルギウス・カイ・バッコス教会(東ローマ帝国の首都が置かれていたコンスタンティノープルに建てられたユスティアヌス帝時代の教会)、イタリア・ラヴェンナのサンヴィターレ教会(西ローマ帝国最後の首都がおかれていたラヴェンナにあるモザイクで有名な教会)カ-ル大帝の宮廷礼拝堂(そのラヴェンナを訪れたカール大帝(シャルルマーニュ)がサンヴィターレ教会をモデルにたてた礼拝堂)、いまは遺跡になっていますが、第一ブルガリア帝国の首都プレスラヴにあった黄金教会など、いずれも二階部分があるビザンチン時代の教会は、宮廷礼拝堂や、首都の聖堂をたてるときに用いられた特別の建造物でした。

(これは内部。二階に回廊がある。ローマ時代の列柱が再利用されているのにも驚かされます)

中世クロアチア王国は、アドリア海の片隅に180年ほど続きました。けれど歴史的資料に乏しく、最初の首都が置かれていた場所が特定されていません。ニンからザダール周辺におかれていたようですが、学者のあいだでも諸説があり、はっきりとした確証はないようです。

9世紀、ビザンチン支配のもとに置かれていたこの地方を独立に導くきっかけをつくったのは、ザダールの北にある町ニンのブラニミル公。その後継者である初代国王トミスラヴがビザンチンから独立し、ローマ教皇から冠を得て建国したのが中世クロアチア王国です。

それとほぼ同時代のザダールにある二階回廊をもつこの都市形のビザンチン教会は、ことによるとクロロアチア公、あるいはクロアチア王の宮廷礼拝堂として使われていた可能性があるのではないかとも推測してみたくもなります。

1000年以上の時を超え、青空をバックに今も堂々と立つこの建造物に、中世クロアチア王国の謎を解く鍵が潜んでいるのではないかと、仰ぎ見るたびに夢想してしまう茶猫です。

 



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2 コメント

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目から鱗 (ルイス)
2012-02-13 09:12:03
実はザダルって凄い町だったんですね・・
うっかり素通りしてしまい、誠に失礼いたしましたと、
ザダル殿にお詫びをしたいくらいです。
ビザンチン文化の接点としての意義についても、ちょうどラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂に思いを馳せていた矢先でしたので、とてもタイムリーな記事でした。
以前、資料の翻訳をしていて、円筒形穹隆という用語が出てきたことがありましたが、その具体的な起源について合点がいきました。この構造の伝播の経緯なども興味深いです。
やはりちゃねこさんのように、広い範囲で各地の聖堂建築を知らないと、なかなか演繹できないことですね。
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サンヴィターレとポレチの聖堂 (ちゃねこ)
2012-02-14 22:01:04
マニアックな記事へのコメントありがとうございます。

ルイスさまが興味をもってくださったようなので、このビザンツ教会についてもう少し書かせていただきましょう。
この円形の教会内部、一階の列柱の後ろには、3つのアプスがあります。(写真ではふたつしか写っていません)ビザンツ系の教会には、アプスが3つあることが多いのです。ひとつのアプスでパンを切リ、それをまん中のアプスにそなえるという流れで儀式が行われてきためです。中世クロアチア王国が独立する前までは、ビザンチン教会の典礼がザダールでも行われていたため、このようなビザンツ様式の建造物が残っているのでしょう。

サンヴィターレは素晴らしい教会ですね。私は一度しか訪れていませんが、歴史に耐え抜いた美しいビザンチン・モザイの残る教会は、感動とともに今も脳裏に焼き付いています。そのサンヴィターレ教会とクロアチアとの間にも、興味深い関係があります。

ルイスさんも訪れたかもしれませんが、イストラ半島のポレチのエウフィラティス聖堂のモザイクは、サンヴィターレ教会のモザイクに様式がそっくりなのです(私も初めてみたとき本当にビックリしました)。どちらもユスティアヌス帝の時代に製作されています。専門家の間では、ポレチのモザイクは、サンヴィターレ教会のモザイクを製作したラヴェンナの職人が作ったのではないかと推測されています。
ポレチはアドリア海をはさみ、ラヴェンナの対岸にある町。ラヴェンナの職人が船で海を渡り、クロアチア側にやってきたことは、当時の交易や船の航路を考えると十分にありうることです。現代人の予想以上に中世の人々の行動範囲は広かったのかもしれません。そんな中で文化、美術も伝搬されていったのでしょうね。
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