クロアチアの風  ~茶猫の旅カフェ~

アドリア海の国クロアチアと旧ユーゴの風景をお届けします。旅行情報、写真をお楽しみ下さい。番外編では世界の猫も登場!

ガス灯の街 ザグレブ

2016-05-24 00:47:30 | ザグレブ


長い棒のようなものを持ったバイクマン。そのおじさんが去ると、街にガス灯が灯ってゆく。

ザグレブの旧市街では、今も200以上のガス灯が使われているそうです。ガス灯の近くには小さなプレートで番号が表示されています。

毎日、夕刻になると、長い柄でひとつひとつにガスを灯し、早朝、消してゆくガス灯おじさんは街の風物詩。

今回、バイクおじさんに初めて遭遇しました!(*^^*)

ザクレブのレトロな路面電車

2016-05-05 22:33:20 | ザグレブ

ザグレブで、レトロな路面電車に乗りました。
1920年代のデザインで、旧ユーゴの時代に活躍していたそうです。今はもう現役を退いていますが、今回は特別リクエストで貸し切って乗車。


2両編成の車両、ゴトゴトと時代を感じさせる走り。このゴトゴト感こそが、路面電車の醍醐味です。なんだか時の隙間に入り込んだような不思議な感覚。
今のトラムのコースとは違うところを走るため、運転手さんは3回ほど車両を降り、スパナのような長い工具で、レールの軌道を替え、また乗り込んで走ります。


内装は木製でなかなかシック。天井や窓枠も木でできています。オレンジ色の天井ライトが温かい雰囲気をかもしだします。ドアは手動の引き戸。蛇腹でさえありません。もちろん冷房もなし! 


 

昔ながらの真鍮のレバーが渋い運転席。

市街地を一周し、イエラチッチ広場に到着。
ちょっと特別な30分のタイムスリップを楽しみました。


死者たちの空間・ミロゴイ墓地

2013-10-05 21:16:38 | ザグレブ

久しぶりにミロゴイ墓地を訪れた。

カソリック、正教徒、ユダヤ教徒、無宗教者がともに眠るザグレブの共同墓地。

朝の光が差し込む回廊が美しい。

敷地は広く、墓地の墓碑は十字架だけでなく、彫刻やレリーフで飾られ、野外ミュージアムのよう。緑も多く、不思議と穏やかな気持ちにさせてくれる場所。


クロアチア初代大統領・フラニョ・トゥジマンの墓が、墓地の中央にどーんと置かれていました。



ザグレブの伝統工芸フェア

2011-08-27 15:23:19 | ザグレブ

 

イエラチッチ広場で行われていた初夏の伝統工芸フェア。

広場中にさまざまな手工芸品、はちみつやスモークチーズ、クッキーなど伝統食材を扱う屋台が軒をつらねていました。

これは昔の遊園地の再現? 

 

お姉さんは、トウモロコシや麦を編んで帽子やお人形を制作中。

 

カラフルにペイントした瓢箪も。

 

揚げたてのゲンコツドーナツもクロアチアの伝統の味。

 

子どもたちのための人形芝居の小さなステージも出現。

なんだか昔懐かしい紙芝居みたい。

子どもたちはみんなお行儀よく座って見入っていました。

 

 

 


生命の泉 イヴァン・メシュトロヴィッチ

2010-10-18 16:46:31 | ザグレブ
クロアチアの彫刻家イワン・メシュトロヴィッチの作品が
ザグレブ国立劇場の前の公園に置かれている。

悲しみと絶望の中にいる人々が、
うつむきながら、寄り添いかばいあうように、
ひとつの泉を囲む。

「生命の泉」と呼ばれるこの作品は
1900年代の初頭にメシュトロヴィッチと交流があったという
オーギュストロダンを彷彿とさせる。

メシュトロヴィッチは
ロシア革命、バルカン戦争、第一次大戦、ユーゴスラヴィア王国の建国
その後第二次大戦への突入、チトーのユーゴ建設という激動の時代を生きた作家である。
オーストリア―ハンガリー帝国の支配に抵抗する作品を残し、
第一次大戦後は他国に避難し、ユダヤ人の妻の家族をホロスコープで失い
彼自身もクロアチアのファシストであるウスタシャの手にかかり投獄され
ヴァチカンの介入により解放されている。

第二次大戦後、社会主義化した祖国を離れ、
アイゼンハワー大統領にホワイトハウスに招かれ、アメリカ市民として迎え入れられたものの
その後祖国の地を踏むことはほとんどないまま
インディアナ州で波乱に満ちた生涯を終えている。

時々に揺れ動く祖国を見つめ続けてきた彼の作品には
その時代背景を象徴してか
過度に政治的、民族的な意図を感じさせるモニュメンタルな作品も多く
個人的には、正直いって美術的に心にとまる作品は意外に少なかった。

そんな中で、この「生命の泉」は
作者の意図に素直に共感できる数少ない茶猫のお気に入りです。

メシュトロヴィッチの作品のは多くは、死後祖国クロアチアに寄贈されており
その多くはザグレブとスプリットにあるメシュトロヴィッチ美術館に収められています。

Ivan Mestrovic (1883-1962)

ザブレブのビアホール「金の熊」のちょっと気になるジョッキ

2010-05-10 19:48:08 | ザグレブ
 
 ザグレブのビアホール [ズラトニ・メド](金の熊) は
 自家製醸造の安くておいしい地ビールが飲める地元の人気店
 大ジョッキのビールの値段は300円位で、茶猫のお財布にも優しいお値段
 ビールの種類もダーク(黒)ミディアム(赤)ライト(黄)とあり
 どれもまろやか系発酵でホームメイドのお味。

 ここで陽気なお兄さんたちに出会った。
 彼らのテーブルに置かれている細長いフレスコのようなものは
 大人数用のビアジョッキみたい。
 皆さんこれで注文し、自分のジョッキにそそいで飲んでいるみたいでした。
  ビアホールにそぐわないこの繊細なカタチ、ザグレブならでは??

 Zlatni Medo
  Savska Cesta 56 Zagreb Croatia
  TEL +385-(0)1-6177-11 http://www.pivnica.hr/
 

ザグレブにもあるパッサージュ

2010-05-08 06:48:20 | ザグレブ
 
 街の通りから通りをつなぎ
 冬の寒い日も、雨の日も風の日も
 散策やショッピングが楽しめる屋根つきの小径、パッサージュは
 19世紀につくられたヨーロッパの都市の快適空間。
 ブティクやカフェの並ぶパリやウィーンのパッサージュが広く知られている。

 ザグレブの市街にもステキなパッサージュがある。
 メインショッピングストリートのイリツァ通りと、
 正教会があり花市のたつ広場を斜めに結んでいる。
 ほんの100メートルほどの、「く」の字型の都市の小径だけど
 上をあおげばこんなクラシックなステンドグラスの天井も残る。

 このあいだ歩いたときは、ちょうど日曜日
 高級店がすべて店じまいし、しんとしているパッサージュの真ん中、
 このステンドグラスの天井の下で
 なんと子どもたちがサッカーの練習をしていたよ。

 「おいおい、ショーウィンドウにでもあたったらどーするつもりなんだいきみたち??」
 そんなことをいいそうな常識ある(もしかして野暮な?)大人もここにはいないのか?

 少年たちは、道行く人を器用によけながら
 サッカーボールをあやつっていた。

ザグレブの丘~ベンチに座る詩人

2009-09-30 22:10:05 | ザグレブ
 
 首都を見下ろす丘のベンチに
 一人の詩人の姿があった。
 
 ザグレブを離れ、13年の放浪の後
 故郷に戻った彼は、
 このお気に入のベンチで思索にふけり
 いくつもの詩を編んだという。
 
 時は流れ、人は去り、街は変わった。
 アントン・マロシュは
 丘の上に再び姿を現し
 今も彼の故郷に、眼差しを向け続けている。

 Antun Gustav Mattos(1873-1914)
 

クロアチアのカラフルなろうそく

2009-05-23 22:42:23 | ザグレブ
 
 ザグレブの大聖堂の近くの露店で
 こんなロウソクが売られている。

 容器に入った大きなロウソクだから
 一晩くらいはもちそうに見える。

 4年前の4月
 先代のローマ法王ヨハネ・パウロ・2世が逝去した週、
 ザグレブ大聖堂の前の広場は
 このロウソクで埋め尽くされていた。
 夜になると広場に人々が集まり
 ひとつ、またひとつと、
 祈りを捧げながら
 ロウソクを置く人々の姿が絶えなかった。
 
 このカラフルなロウソクを見るたびに
 あの晩の光景を思い出す茶猫です。
 

ザグレブの隠れた名所ミロゴイ墓地

2009-05-13 20:36:27 | ザグレブ
 
 
 
 旧市街の北の丘にひっそりとした共同墓地がある。

 公園のような広い敷地に
 キラキラと降り注ぐ木漏れ日。
 穏やかな時の流れに包まれて
 死者たちは永遠の眠りについている。

 とりわけ美しいのはこの回廊。
 蔦のからまるアーチに沿って墓標が連なっている。
 秋には蔦は燃えるような赤となり回廊を彩る。

 この墓地を設計したのは
 ザグレブ大聖堂の設計にも携わったヘルマン・ボレー。
 オーストリア人でありながら、
 その人生の後半をザグレブで過ごし、
 多くの歴史的な建造物をこの町に残した。

 ミロゴイ墓地の回廊の一角に
 奥さんとともに眠るボレーの墓を見つけた。


ザグレブの国立劇場と生命の泉

2009-05-08 23:14:23 | ザグレブ
 
 オペラ座とも呼ばれるザグレブの国立劇場は
 ウィーンでよく見る建物ような
 クリーム色のクラシックな外観をしている。

 オーストリア・ハンガリー帝国の時代に
 オーストリアの建築家がデザインし建造、
 1895年、オープニングセレモニーに招かれた
 ハプスブルク家の皇帝フランツ・ヨゼフが
 銀のハンマーで最後の釘をトンと打って完成させた。

 劇場の前のモニュメントは
 クロアチアで有名な20世紀の彫刻家
 イワン・メシュトロヴィッチの作品で
 「生命の泉」と呼ばれているもの。
 メシュトロヴィッチは「クロアチアのロダン」の異名を持ち
 国中に作品を残している。
 ザグレブの旧市街とスプリットに美術館があるよ。

 

石の門にある礼拝堂

2009-05-07 10:04:34 | ザグレブ
 
 ザグレブの旧市街にある、
 なんてことはない街角のアーチ。
 中に入ると、小さな礼拝堂があり、
 ロウソクを灯し、祈りを捧げる人々が絶えない。

 礼拝堂はグラデッツの丘へ上がる道伝いにあり、
 この中をくぐって通り抜ける人も多い。
 そんなときでも多くの人は十字をきって通り抜けていく。

 小さな祭壇には、幼子キリストを抱いたマリアのイコンが
 大切に置かれている。




  
  ここはかつてグラデッツの丘を取り巻いていた城壁の
  東門だったところ。
  18世紀の半ばに起きた火事で、
  このあたり一帯は全て焼き尽くされてしまった。
  木造の東門も焼け落ちた。
  ところがどういうわけか、焼け跡の灰の中から、
  このマリア様のイコン像が無傷で見つかったという。
  東門を石で建て替えたときに
  大火でうちひしがれた住民達の心に
  ひとすじの希望の灯をともしてくれたこのイコンを祭る
  小さな礼拝堂が作られた。




  
  礼拝堂の壁は、びっしり
  こんな石板のプレートで埋め尽くされている
  よく見るとどのプレートにもHvala(フヴァラ)と刻まれている。
  クロアチア語で「ありがとう」という意味だ。
  この奇跡のマリア様にお祈りをして
  病気が癒されたり、絶望から救われたりした人が
  感謝のプレートを寄付したものだという。

   門の下の小さな礼拝堂だけど、
  町の大勢の人々にとって
  大事な心のよりどころなのかもしれない。

ザグレブの展望台なら

2009-04-24 08:54:51 | ザグレブ

ザグレブの旧市街には、
カプトルとグラデッツというふたつの丘がある。
これはグラデッツの丘から、カプトルを眺望したもの。
茶色い瓦屋根の落ち着いた感じの町並みが広がっていて
奧に見えるふたつの塔を持つ教会が、11世紀創建のザグレブ大聖堂。

でもアドリア海の町とは、全然雰囲気が違うから、
アドリア海からここに飛んでくると、別の国に来たような気さえしてしまう。

旧市街には、フニクラが発着するロトルシュチャックの塔のところに、
もうひとつ展望台があるけれど
あちらは新市街のビルばかり見えてちょっと味気ない。

旧市街を見るなら、ぜひここの展望台まで足をのばしてね。
カタリナ教会の裏に廻ると、広場から眺められるよ。

ザグレブのお菓子の家

2009-03-07 00:37:34 | ザグレブ
 「イリツァ イ マリツァ」というカフェ。
 日本でいえば「太郎と花子」って感じかな。
 クロアチアのありふれた男の子と女の子の名前がついている。

 「ザグレブいちケーキの美味しい店」という人もいるし
 「民族衣装を着た愛想のいいお姉さんが迎えてくれる
  ザグレブらしからぬ店」
  という人もいる。
 茶猫はまだ入ったことがないから
 噂の真相を確かめてない。
 ただ、このお菓子の家のような外観は 
 前からちょっと気になっていた。

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 甘すぎないことを祈っているよ。