クロアチアの風  ~茶猫の旅カフェ~

アドリア海の国クロアチアと旧ユーゴの風景をお届けします。旅行情報、写真をお楽しみ下さい。番外編では世界の猫も登場!

コトルの城壁に登りました♪

2015-07-13 20:02:20 | モンテネグロ

コトルは、ミニ・ドブロヴニクのような、城壁に囲まれた旧市街が残る町。
城壁は、すぐ背後の山の上まで続き、まるで町を山から抱きかかえているかのようです。
町を囲い込むように続く城壁は全長4.5㎞。
ドブロヴニクの城壁は2kmですから、長さではこちらに軍配があがります。

旧市街を囲む平地の城壁から、ジグザグの城壁が山の上まで延びています。
う~ん、ちょっとわかりにくいかな・・。 岩山の城壁が同じ色なんで。

 

来るたびに登ってみたいな~と思っていたこの山の城壁に、今回登るチャンスが訪れました。

北門{下の図では左) 近くの上り口から少し登ったたところで3ユーロの入場料を支払い、足場の階段が続く山道を登ります。ドブロヴニクのように城壁の上の遊歩道を歩くのではなく、城壁の脇の石畳と階段の道を城壁に沿って歩く、という感じです。

どんどん見晴らしが良くなってきます。中腹の聖母マリア教会までおよそ20分。階段は400段以上。
汗だくになりましたが、ここからのパノラマは素晴らしく、「来てよかった!」のひとこと! コトル湾から吹く涼しい海風が火照った体に心地よかった♪ 
コトルの旧市街が赤屋根でおおわれていること、三角形をしていることも、自分の目で確かめることができました。
ここはもともとダルマチア文化圏だったところ。同じ文化圏に属するクロアチアの海岸線の町と雰囲気が似ていることもうなずけます。
茶猫が上がったのは聖母教会までですが、その先の山の上まで、さらに城壁は続きます。

城壁は古くから存在していましたが、ベネチア共和国時代に、オスマントルコの脅威から町を守るために、現在のように山の背後にまで張りめぐらしたそうです。
なぜここでは城壁は町を囲むだけでなく、山の上までめぐらさなければならなかったのでしょうか?

コトルのベネチア支配は、1420年に始まり1700年代末まで続きますが、その間町は2回オスマンに占領され、再びベネチアが奪回しています。山の背後には、オスマンに占領されたセルビアの領土が控える中、ベネチアは山の背後からの攻撃を恐れたのでしょう。
あのコンスタンチノープルも、予期しなかった艦隊の山越えが決定打となってオスマンに滅ぼされたのですから、ここも山の頂上にまで要塞を張る必要があったのです。
ベネチアはこんな小さな町を、そこまでして守りたかったのですね。それだけ、コトルが当時大切な港町だったことがわかります。


コトルの伊達男

2008-12-31 14:39:53 | モンテネグロ

 コトルの海の門で出会ったおじさんだよ。
 このイカしたコスチュームは
 500年以上の伝統をもつコトルのボカ海軍のもの。
 アドリア海で初めての船員組合なんだって。

 15世紀にはもう定款を持ち、
 平和なときにはヴェネチアやコンスタンチノープルなど
 地中海一帯に共同で商船を送り交易をし、
 戦時には戦艦をだして戦った。
 同業者の権利を守る活動は、
 今も続けられているそうだ。
 だからこの衣装も伊達や酔狂じゃないというわけね。

 2月3日はコトルの守護聖人、聖トリプンの祝日。
 ボカ海軍の人たちも、このユニフォームを着て
 祝祭の行列に加わるという。
 その日にコトルを訪ねれば
 またこの笑顔に会えるかも知れないね。

 ところで今日をもちまして
 今年の茶猫カフェも閉店となります。
 今年もご来店ありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします
 
 
 新しい年が、猫にも人にも
 実りある年になりますように。

 皆さまも、どうぞよいお年をお迎えください。

 

コトルの旧市街

2008-12-31 14:38:41 | モンテネグロ
 
 コトルの旧市街の中心にはこんな時計台があって、
 夏は塔の下のオープンカフェがいつも大にぎわい。
 街は「ミニ・ドブロヴニク」って感じかな。

 コトルには
 ドブロヴニクのような華やかさはないけれど
 石灰岩で作られた街の建物や、路地裏の渋い雰囲気が
 どことなくドブロヴニクを思いおこさせる。
 そう、人気のない裏通りに
 猫のたまり場があるところなんかもね。

 アドリア海のおいしいお魚をだすレストランが
 ドブロヴニクよりずっと安いのも嬉しいな。
 

城壁に囲まれた町コトル

2008-12-31 14:13:20 | モンテネグロ
 
 世界遺産にもなっているから
 モンテネグロのアドリア海岸では
 たぶん一番知られた町じゃないかな。

 コトル湾に面して城壁に囲まれた旧市街が残り、
 その城壁がなんと背後の山の上まで延びている。
 空から見ると、
 城壁は山を頂点に二等辺三角形の形をしている。
 山の後ろから忍び込む敵からも
 町を守ろうとしたんだね。
(山の城壁が写真でよく見えなくてごめんなさい)

 沖を航海したヴェネチア船から
 海岸の後ろの山並みが黒々と見えたことから
 この国の名がついたという。
 (伊語でモンテは山、黒はネグロ)

 コトルの町の背後にも確かに
 「モンテ・ネグロ」が連なっていたよ。
 
 
 

モンテネグロの岩礁の教会

2008-12-11 18:37:51 | モンテネグロ
 

 クロアチアの隣国モンテネグロの風景だよ。

 ドブロヴニクからアドリア海岸道路を南に走ると
 45分くらいでモンテネグロとの国境に出る。
 このあたりは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、
 モンテネグロ、クロアチアの三国国境が迫っているところ。

 しばらく走ると右手に湖のような海が見える。
 海が内陸に20キロ以上入り込み
 リボンの形をした湾になっている。
 ボカ・コトルスカ湾と呼ばれているよ。
 海岸ギリギリまで迫る山と
 海のコントラストがなかなかの迫力です。
 
 そんな湾の中にぽっかり浮かぶのがこの教会。
 漁師さん達が岩を運んで人工の島を作り
 その上に教会を建てたものだという。
 岩礁の聖母マリア教会と呼ばれている。
 
 その昔、この近くから
 マリア様のイコンが見つかったという
 伝説の岩の周りを埋め立て
 漁師達が礼拝堂をたてたのが教会のおこり。
 今の教会は17世紀のものだという。

 この湾を渡り、アドリア海の外海に出る漁師たちが
 漁に出る前と後に、立ち寄って祈りを捧げてきたという。
 教会の中には、漁師達が捧げた銀の奉納版が
 2000以上も納められているという。

 近くの村ペラストでボートを頼んで
 この島の教会を訪れることもできるんだって。
 すべらかな海を渡り、いつか茶猫も訪ねてみたいな。