イストラ半島の町、ポレチュは、アドリア海に突き出した小さな岬に位置する町。ローマ時代からの古い歴史をもつ町です。
賑やかなメインストリートからちょっと入り込んだ路地に、エウフラシス・バシリカがあります。6世紀からの教会堂、洗礼堂、アトリウムがセットになって残る建築学的にもたいへん貴重な建物。この教会で最も知られているのは、祭壇部分に残るビザンチン時代のモザイクです。
写真奥の方に黄金に輝いているところがありますね、もうすこし近くからよく見てみましょう。
これがこの教会に残るモザイクのハイライトシーンです。さまざまな色合いのガラスをはめ込み、神の家である教会を飾りました。
上に一列に並んでいる人々は、キリストを中心にした12使徒。
キリストの下のメダルの中に、キリストを現す子羊。その両脇のメダルには、迫害時代に殉教した12人の聖女たちが描かれています。イストラ半島の町ロヴィニに眠る聖女エウフェミアの姿もあります。(子羊の右隣のメダルの中の人物)
後陣ドームのまん中に、幼子キリストを抱いた聖母マリア、その両脇に大天使、その脇には聖人が並んでいます。左から2番目の黒い衣を着た人物が、この教会を建てるよう命じたエウフラシス司教。彼が手に抱えているのはこの教会の模型です。
ビザンチン時代のモザイクでは、聖人、特に聖母マリアやキリストの登場するハイライトシーンのバックは、金色で表現されることが多いようです。ほとんどのものは色ガラスで製作されていて、バックの黄金部分に使われているのは金箔を使ったガラス。わずか1~2㎝四方ほどに切った四角い透明ガラス(テッセラ)の間に、金箔をサンドイッチののハムようにはめ込んで作りました。ガラスはサンドイッチのパン、金箔はハムと考えるとわかりやすいですよね。そうやって作った小さなガラスの金箔サンドを、聖人たちの背景として埋め込み、黄金色に輝く天上の世界の神々しさを表現しようとしました。
ほの暗い教会、乳香の香り、差し込む僅かな光、夜の蝋燭の火の光にも微妙に反応し繊細にきらめく幻想的なモザイクは、訪れる人の心に荘厳なまでの神の世界を印象づけました。
*(下)聖女エウフェミアのアップ(子羊の右のメダル内の女性)。聖女エウフェミアの石棺は、イストラ半島の港町ロヴィニの旧市街の丘の上にあるエウフェミア教会に置かれています。
*(下)祭壇近くに描かれた「聖母マリアのエリザベト訪問」の場面。すべてモザイクです。
妊娠を知ったマリア(左)が、すでに妊娠していた叔母のエリザベト(右)に会いに行くところです。エリザベトは両手を差し伸べて複雑な表情のマリアを迎えています。
突然の訪問者の姿を一目見ようと、カーテンを開けてのぞいているのは、エリザベートの使用人でしょうか。好奇心たっぷりの豊かな表情やしぐさも、この時代の表現としては興味深いものです。
このときエリザベトが身ごもっていたヨハネから、のちにイエスは洗礼を受けることになります。生まれてくる息子が大きな運命を背負うことになる二人の女性の姿を、夕暮れか暁どきを思わせる茜の空、春の若草を思わせるような背景の中に、穏やかに描いた美しい作品です。
ポレチュのモザイクは6世紀、初期ビザンチン時代のものです。これとほぼ同じ時代に、アドリア海をはさんで対岸にあるイタリアのラヴェンナでも、モザイクで埋め尽くされた教会が建造されていきました。それらのモザイクの様式が、このエウフラシスバシリカのものと酷似しているのです。そのため多くの専門家が、この教会のモザイクは、ラヴェンナのサンヴィターレ教会のモザイクを作った同じ職人か工房が製作したものではないかと推測しています。
対岸ラヴェンナのモザイクは、規模も大きく、ほんとうに見事なものです。ユスティアヌス帝や妃も登場し、この小さな町ポレチュのモザイクとは、規模や華やかさの点では比べようもありません。壁画と比べ、金や当時貴重だったガラスを使うモザイク画の製作にはたくさんの資金が必要でした。財力ひとつとっても、西ローマ帝国最後の首都だったラヴェンナは、ポレチュとは比較にならないほど豊かだったことでしょうし、また古代の都ラヴェンナをゲルマン人の手から奪い征服したユスティアヌス帝の名誉とプロパガンダのためにも、ラヴェンナのモザイクはとりわけ素晴らしいものでなければならなかったのです。
ポレチュに今残っているモザイクは、祭壇周辺だけですから、ラヴェンナと比べてしまうと量的な規模はとても小さいものです。ただモザイクそのものの質は、ラヴェンナに匹敵するほど高いものであることがわかります。きりりとした人物表現、衣の襞にいたるまでの細かい描写など、当時最高の腕を持つ職人が作ったものであることが明らかです。初期ビザンチンモザイク最盛期の素晴らしい作品が、このアドリア海の小さな町に密やかに残されていることにも心を動かされました。
*(上)エウフラティス・バシリカの入り口です。古代教会のエントランスにしつらわれていたアトリウムが残っていることからも、貴重な建造物とされています。
*(上)アトリウムに接して、洗礼堂も残されています。床に泉のようなくぼみが残っています。古来からの洗礼は、からだ全部を水に浸す全身洗礼であったため、お風呂のようにたくさんの水をためる洗礼場が必要でした。