コトルは、ミニ・ドブロヴニクのような、城壁に囲まれた旧市街が残る町。
城壁は、すぐ背後の山の上まで続き、まるで町を山から抱きかかえているかのようです。
町を囲い込むように続く城壁は全長4.5㎞。
ドブロヴニクの城壁は2kmですから、長さではこちらに軍配があがります。
旧市街を囲む平地の城壁から、ジグザグの城壁が山の上まで延びています。
う~ん、ちょっとわかりにくいかな・・。 岩山の城壁が同じ色なんで。
来るたびに登ってみたいな~と思っていたこの山の城壁に、今回登るチャンスが訪れました。
北門{下の図では左) 近くの上り口から少し登ったたところで3ユーロの入場料を支払い、足場の階段が続く山道を登ります。ドブロヴニクのように城壁の上の遊歩道を歩くのではなく、城壁の脇の石畳と階段の道を城壁に沿って歩く、という感じです。
どんどん見晴らしが良くなってきます。中腹の聖母マリア教会までおよそ20分。階段は400段以上。
汗だくになりましたが、ここからのパノラマは素晴らしく、「来てよかった!」のひとこと! コトル湾から吹く涼しい海風が火照った体に心地よかった♪
コトルの旧市街が赤屋根でおおわれていること、三角形をしていることも、自分の目で確かめることができました。
ここはもともとダルマチア文化圏だったところ。同じ文化圏に属するクロアチアの海岸線の町と雰囲気が似ていることもうなずけます。
茶猫が上がったのは聖母教会までですが、その先の山の上まで、さらに城壁は続きます。
城壁は古くから存在していましたが、ベネチア共和国時代に、オスマントルコの脅威から町を守るために、現在のように山の背後にまで張りめぐらしたそうです。
なぜここでは城壁は町を囲むだけでなく、山の上までめぐらさなければならなかったのでしょうか?
コトルのベネチア支配は、1420年に始まり1700年代末まで続きますが、その間町は2回オスマンに占領され、再びベネチアが奪回しています。山の背後には、オスマンに占領されたセルビアの領土が控える中、ベネチアは山の背後からの攻撃を恐れたのでしょう。
あのコンスタンチノープルも、予期しなかった艦隊の山越えが決定打となってオスマンに滅ぼされたのですから、ここも山の頂上にまで要塞を張る必要があったのです。
ベネチアはこんな小さな町を、そこまでして守りたかったのですね。それだけ、コトルが当時大切な港町だったことがわかります。