ここ数年「トリビュート」とか「懐かしの」とか「カバー曲」とか、昔の作品に引っ掛けて、改めて「製品」化する風潮がある。
昔の良い作品が、改めてベターな形で再び世に出てくるのは嬉しいことだ。
が、
ここまでトリビュートやらカバーやらが続くと、もうこの世の中には「生産性」が無くなってしまったのじゃないかと感じることもある。
技術と物的な品質は向上しているが、中身にあたる部分が停滞、もしくは衰退しているようにも思える。
90年代にはいってからだろうか。技術の進歩は目覚しいものがあったが、皮肉にもそれに「人」がついていくのがやっとで、技術を駆使できるようになったころには、それと引き換えに「内容の密度」が薄くなったように感じる。
ちょっと話はずれるけど、
物質的に豊かになった代償に、精神的に貧困な世の中になった。
貧困なる精神。
物質的貧困をネタにして、金儲けへ走る精神的貧困者。
軸のずれた社会では、ずれた軸に掛かる重圧に耐え切れずに折れてゆく柱も増え
つづける。柱が折れると両極に分かれる。その折れた柱は落下してゆく。
どちらの極に行こうとも、行き着く方向は「落下」した方向なのだ。
昔の良い作品が、改めてベターな形で再び世に出てくるのは嬉しいことだ。
が、
ここまでトリビュートやらカバーやらが続くと、もうこの世の中には「生産性」が無くなってしまったのじゃないかと感じることもある。
技術と物的な品質は向上しているが、中身にあたる部分が停滞、もしくは衰退しているようにも思える。
90年代にはいってからだろうか。技術の進歩は目覚しいものがあったが、皮肉にもそれに「人」がついていくのがやっとで、技術を駆使できるようになったころには、それと引き換えに「内容の密度」が薄くなったように感じる。
ちょっと話はずれるけど、
物質的に豊かになった代償に、精神的に貧困な世の中になった。
貧困なる精神。
物質的貧困をネタにして、金儲けへ走る精神的貧困者。
軸のずれた社会では、ずれた軸に掛かる重圧に耐え切れずに折れてゆく柱も増え
つづける。柱が折れると両極に分かれる。その折れた柱は落下してゆく。
どちらの極に行こうとも、行き着く方向は「落下」した方向なのだ。