CocoMani Diary

♪日進月歩日々炸裂日々色々思う事♪見た事 聞いた事云わんとする事♪ブライトサイドとダークサイドの共存場所♪

迷う時 偶然の出来事

2006-04-21 01:38:29 | <研究中>夢・勘・不思議?予知夢?
とあることで迷っている時に、一般的に言われる「偶然」ということが自分の目の前に続けて起こったりすると、やっぱり「それ」は必然なのではないかと感じる。
まったく異なるモノや事項でも、必ずキーワード的存在というものは存在し、これに対し我々は「気づくか気づかないか」の世界なのではないかと思う。

そんな感じではや一ヶ月、とあることに対して「行動」するかどうか迷いつづけていた。物理的な問題もあったということと、自分が現在もっているものへの負担という点、そしてどこまでが許されるラインなのか。

このご時世、何でもかんでも「マテリアリズム(物質主義)」な風潮に輪をかけて「カネ」の盲信者が多い。しかしこれについては人それぞれ価値観も違えば、何に重きを置くか、また自分を取り巻く環境で、いわゆる「無償の愛」という部分を見て聞いて体験したことがあるかどうかにもその価値観に大きく影響する。
モノでしか気持ちが表せない人もいれば、時間や表面的な部分がものさしになっている人もあるだろうし、その全く逆の想念世界もある。
確かにカネがなければ食っていけないかもしれない。病気になっても病院へいけないかもしれない。
自分なんかは、マジでぶったおれるまでは自己分析の域の自己的分析結果から恐らく大事には至っていない(一応現在では)と思っている。

話がそれたが、要は「一銭にもならないこと」が本当は「一銭でもはじめられないこと」だったり、反極論的に言えばどんなにカネが目の前にあったとしても、そのカネを「それ」に使われるかどうか、という超基本的な部分に焦点を置いて考えてみた。

幸いなことに自分の周りには「無償の愛」という存在をヒシヒシ感じることが多い。物理的、または科学的には、その「愛たるもの」は証明もできなければ存在すら否定されてしまうかもしれない。
しかしそういった価値観の持ち主には、そういった仲間しか集まらない傾向もある。

そんな感じで、一銭にならないどころか、時間も物質という観点からみると負担になあるであろうことが、自分的角度と尺度からみると、時間でも物質でも買えない、または存在させることができないという事実もあることに気づく。

こんな風に自分の思考と経験とここ数日で身に起こったことなど、全てごっちゃまぜにしていろいろ悩んでいた。
が、、、
「やっぱり行動すべき」 ではないかと、つい数時間前に思った。
今現在では、例えるとガソンリン満タン、タイヤの空気圧良し、バッテリーもOK,オイルは今選択中、あとはその出発点に行くだけ、という状況。

まだ決定的な「あること」が感じ取れない。80%以上の段階ではある。
決心と準備ができたらまたupdateすると思う...。