猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

木立を探しながら赤城山の山麓台地を走ってきたら、米田さんが写真撮ってくれて、釣り名人からはワラサが届いた

2024-06-10 07:40:15 | なっからさくい生活

呑竜仲見世のヤギカフェでランチしたら、居合わせた建築家の米田雅夫さんが高級デジタル一眼レフで撮ってくれた写真です。木立を探しながら赤城山の山麓台地を走り回って来た帰りでした。どんなとこ走って来たのかご覧に入れます。

 

     
赤城山の山麓台地を少し走ってみようと9時45分に家を出ました。先行き不明の県民会館東側の日吉公園を抜けて行きました。自然樹形が美しかったスズカケノキは何らかの理由で見事に枝を切り払われ、芯を止められていました。園路脇の木も刈りこまれて不思議な樹形になっています。理由は分かりませんが、まち中の木々はあらかたこういう受忍義務を負っています。

 そいで、普通の木立が見たいなってことで赤城山の山麓台地上へ行くことにしたんです。赤城白川沿いを走って青柳町のはずれから台地へのぼることにしました。

     
台地にのぼっても木立はさっぱり見えません。広々とした畑地が広がっています。さすが開拓の父と呼ばれた清水圭太郎を生んだ土地だいね。勤勉な人々がいっぱいいて、みんな切り拓いて農地にしたんですね。清水圭太郎さんは旧木瀬村の人、戦前の「満州国」に渡り「駅馬開拓団」のリーダーとして満蒙の地の開拓に取り組んだ人です。敗戦で引き揚げてきて、こんどは仲間たちと長野原町の北軽井沢へ入植、生涯を開拓にかけた先人、大変な読書家だったと聞いています。

     
県道四塚原之郷前橋線を越えて登って行くと、谷地田に出会いました。もう田植えもすっかり終わっていました。道際の水路を用水がさわやかな水音を立てて流れています。谷地田の周りには木立が見えますが、林というほどのものではないです。でも、自然な木立です。

 

     
もう少しのぼって間もなく渋川大胡線かなと思う開けた田んぼで大勢の皆さんが一列に並んで稲の苗を手で植えていました、大人もいます、子どももいます、なんかのサークルみたいです。いい風景だなって眺めてました。

     
望遠で覗いてみたら、あれあれ、泥んこになって水遊びしている子もいますね。すごく楽しそう、素敵な遊びをしている皆さんもいるのですね。嬉しくなりました。

     
県道渋川大胡線の近くも林はありません。みんな農地になっています。露地ナスの畑もありました。もう実がなっています。田んぼの向こうに鍋割がずいぶんちかくなりました。このあたりまで来ると標高250mほどだと思います。

     
振り向くと前橋の市街地が見えていました。もやがかかっていました。私の家を探したのですが、見っかりませんでした。

 

     
県道渋川大胡線の先は赤城白川沿いの道を走りました。道沿いには住宅もあるし、大規模な廃棄物の中間処理施設なんかもあって、自然の林はありません。国道353号線の赤城大橋まで来て赤城白川の上流を眺めるとしっかりした木立が見えています。標高350mほどです。そうなんです、赤城の山麓台地も国道353号線あたりまであがって来ないときれいな木立には出会えないみたいです。

     
群馬県畜産試験場周りの木立の中の道をのんびりと走らせてもらいました。ただ、道が途中で未舗装になっていたり、降りて歩かなければいけないようなとこもありましたいね。でも、いんです、林の中は気持ちが良いです。

 

     
畜産試験場の場内を抜けている市道も通りました。家畜の防疫が徹底しているのがよく分かります。石灰が撒かれ、車両の消毒装置も見えます。大変なんですね。私が初めて畜産試験場に来たのは小学1年生のとき、父に連れられてやってきました。父が場の人と話をしている間、私は子ヤギと遊ばせてもらっていました。今では考えられないことです。

     
道端の木立も素敵です。木は自然のままの姿がいいですね。まち中では無理なことなのですが、やっぱこっちが好きです。

 

     
畜産試験場の東に明聞寺があります。以前は東和銀行本店の東側の坂を下ったとこにありました。江戸時代の松平氏治下の前橋城下で駆け込み寺の役を負っていた寺と聞いています。明聞寺からは下り坂をブレーキングしながら下って来ました。きれいな谷地田に出会いました。

     
一気に下って上細井町の鎌倉坂の上まで来ました。このあたりは小学生の時に仲間たちとよく遊びに来たところです。クヌギ林やクリの林があって、カブトムシやクワガタムシを採る絶好の場所だったんです。今は林はありません。

     
若宮町の赤城県道まで来ると、並木のハクウンボクに白っぽい実がいっぱいブル下がっていました。ハクウンボクやエゴノキは子どものころに山の林地で自生しているのを見たのがはじめです。並木ではなかったです。というわけで標高350mあたりまで走ってから呑竜仲見世のヤギカフェへ行ったんです。そこで、米田雅夫さんに写真を撮ってもらいました。ありがとうございました。

 

     
家に戻って『織姫』の梅漬けの3桶目を揚げました。前の2桶と同じように400gの袋詰めにしました。

     
これで今年の梅酢漬けはすべての作業を終えました。来週になったら、大粒の梅を見に行きます。良いのに出会えれば買ってきます。袋詰めは29袋できました。⒉桶の60袋は、既に56袋が人手に渡っています。『織姫』で梅雨を乗り切ってくださいな。

 

     
で、夕方、こんなデカい魚が届いちゃったんです。体長60cmを超えるワラサ(若いブリ)です。釣り名人が茨城沖で釣りあげたのを届けてくれました。まな板の幅が50cmメートルなので、見事にはみだしています。既に夕食のメニューを決めて、野菜の下ごしらえをしていた時に届いたんで、急遽予定変更です。

     
デカいワラサは、ウロコを取り除いて、頭を切り離し、内臓を抜き取って、カマをつけたまま三枚におろしました。刺身にすると14~5人前はとれるかな、もっとかな、でも煮ても焼いても揚げてもおいしい魚です。ただし食べる人間が少ないのでどうしようって思案投げ首になりました。

     
由紀子さんと義母さんには、ワラサの刺身、ワラサのカマの煮つけ、野菜サラダ、青森産のモズクになりました。野菜サラダは、レタス、オカヒジキ、人参、シメジ、マタケを小梅漬けのツブレの果肉を細かくたたいて梅ドレッシングを作って和えました。汁は、小松菜ととろろ昆布です。

     
ワラサはぶりに比べて脂が少なく意外と淡白ですので刺身もたくさん食べられます。しょうがのすりおろしが合うみたいです。煮つけはいちばんおいしい食べ方かもしれません。サヤインゲンにお供をさせました。背身1本と腹身2本がのこりましたが、夜、全部味噌漬けにして保存しました。鮮度が良いうちに味噌漬けにしちゃえば、よそさまにお分けすることもできますので…

目を覚ましたら細い雨が降っていました。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。           

1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。そして、7月24日には浴衣ざらい(会場:昌賢学園前橋ホール)を開催いたします。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、あい変わりませず宜しくお願い申し上げます。

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第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください

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