中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

市場通りにあった「清川」は昭和23年7月の開店だった

2020年05月19日 | 中華街の非中華料理

 これは昭和23年(1948)7月21日、神奈川新聞に掲載された広告。清川のオープンを伝える記事だ。
 「日本そば」となっているが、数年前まで中華街にあった「清川寿司」の前身なのではないだろうか。むかしは蕎麦と寿司、天ぷらを一緒に提供している店が結構あったからね。

 インターネットで検索して調べてみると、やはりそのようだね。現在は「なか條」という名でやっているようだ。



←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね




コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10万円は来ないけど…こんなの... | トップ | “3密”を避けて自粛「あんみつ」 »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
若干名 (冬桃)
2020-05-19 20:32:16
何人雇ったのでしょう。大きな店だったのですね。
返信する
懐かしいですね (イサ)
2020-05-19 22:06:49
出前する方がユニークな方でした。出前の間バイク止めて、タバコ吸いながら、誰構わず話しかけてました
何ちゃんか?名前忘れました。中華街では当時有名な方でしたね。
返信する
Unknown (管理人)
2020-05-21 10:08:16
>冬桃さん
昭和30年代の地図で見ると、それほど大きいとは思えませんが、
住み込みもOKだったので、余裕の規模だったんでしょうね。
返信する
Unknown (管理人)
2020-05-21 10:09:50
>イサさん
出前を担当していた人、面白そうですね。
いまでいえば、あの人、この人っていう感じでしょうかね。
返信する
清川 (イサ)
2020-05-21 10:39:13
お店はそんなに大きく無いので、寮は別に借りてたと思います。
中華街に住んで居た人達は、お客さんが来た、お通夜が有る、家族のお祝いだと言ってはお寿司は必ず清川に出前を頼んでました。地元密着、
地元に愛されたお寿司屋さんでした。
勿論、横浜大洋時代から選手がナイター終わりに食事で行ってたお寿司さんです。
返信する
Unknown (管理人)
2020-05-22 17:40:20
>イサさん
住み込みといっても寮だったんですね。
地元御用達んp寿司屋…もっと行っておけばよかったです。
返信する

コメントを投稿

中華街の非中華料理」カテゴリの最新記事