港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『11月1日』

2019-10-31 15:33:30 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆サルヴァトーレ・アダモ Salvatore Adamo (1943.11.01~ )



フランスを中心に世界で最も商業的に成功したベルギー国籍のミュージシャンです。
イタリアのシチリア島で生まれ、3歳の時に井戸掘りの父がベルギーのマルシネル鉱山に働きに出て家族とともに移住しました。
少年期にヴィクトル・ユーゴーやジャック・プレヴェールの詩とジョルジュ・ブラッサンスの音楽に影響され、14歳から作詞・
作曲を始め、15歳で民放ラジオのコンクールに優勝した後に仏語を学びながらフランスでセッション・シンガーとして活動を始め、
1960年に自作の"Si j'osais"がパリで開催されたコンペティションで優勝して欧州でその名を知られるようになりました。
1962年には自作のラヴ・ソング『サン・トワ・マミー』が国内やヨーロッパでヒットし始め、シャンソンとポップスの融合から
生まれたニュー・スターとして認められるようになりました。続く1963年には『雪がふる』をリリース、雪の降る夜に来ぬ人を
待つ心情を「雪が降る、私の黒い衣をまとった心に、絹のような行列は、白い涙のようだ」と黒い心のキャンバスに白い雪(涙)で
描いた絶望を綴り、”noir”(黒)、”blanche”(白)の対比によってその悲しい心情をモノクロの陰影で鮮明に映像化した歌詞が高く
評価されました。(日本語の歌詞や訳詞にはモノクロの対比がはっきり見えていないのがとても残念です)
1964年に道を外した若者を諌める『ブルージーンと皮ジャンパー』を、同年にベルギーの王妃パオラの優しさと美しさを綴った
『いとしのパオラ』を続けてリリースして欧州で着々と歌手としての実績を積んでいきました。

ただ、日本においては当初は知名度もなく、性別不詳な歌声に日本での反応は芳しくなくヒットチャートでは無縁でこれらの曲が
認知されるのにかなりの時間を要することになりました。(『雪がふる』に至ってはに日本でヒットしたのは1970年でした)

1984年には心臓バイパス手術によって活動を中断しましたが、その後も欧州、中東、東洋などを中心に世界的な成功を収め、
ごく近年までアルバムやシングルを手がけています。

【主要歌唱曲】
1962年『サン・トワ・マミー』Sans toi mamie

1963年『雪がふる』Tombe la neige

1963年『失せし恋』Amour perdu 視聴
1963年『雨のバラード』Ballade A La Pluie 視聴
1964年『ブルージーンと皮ジャンバー』En Blues Jeans Et Blouson D'Cuir

1964年『いとしのパオラ』Dolce Paola

1964年『夜のメロデイ』La Nuit 視聴
1965年『浜辺の娘』Les Filles du bord de mer 視聴
1965年『君を愛す』J'aime 視聴
1965年『ろくでなし』Mauvais Garcon 視聴
1966年『インシャラー』 Inch'Allah

1967年『ル・ネオン』Le néon 視聴
1969年『ヘイジュテーム』Mon Cinema 視聴


【ご命日】

★アルベール・プレジャン Albert Prejean (1898.10.27~1979.11.01)



『巴里の空の下』において映画史上初の映画主題歌を唄った歌手となったフランスの俳優・歌手。
主な出演作品として『巴里の屋根の下』『プレジャンの船唄』『商船テナシチー』『ジェニーの家』などがある。


★キング・ヴィダー King Vidor (1894.2.08~1982.11.01)



カメラマンから映画界入りして小道具係などの下積みの末に大きく開花したアメリカの映画監督。
主な監督作品として『ビッグ・パレード』『街の風景』『チャンプ』『白昼の決闘』などがある。


最新の画像もっと見る