ひざっこぞうのがんばるブログ

スキルス胃ガンになっちゃったバツイチ母の闘病メインだけど他にもいろいろ書いちゃう日記

腸閉塞で入院その2

2009-02-01 | 闘病生活
入院当日。

早朝、病院へ行きたい一心でむっくりと起き上がり
さてどうやって病院まで行こうかと考えました。
こんなにつらいのだから、救急車を呼んでもいいかしら。。。
でも、救急車に乗るにしたって、一応は着替えてから行きたいし
起き上がって着替えられるくらいなら救急車なんて呼んだら悪いし。

やはり自力で行くことに。

タクシーに乗ろうか、バスで行こうか
それともいつもどおり自転車→地下鉄→徒歩で行こうか。

タクシーもバスも、途中で酔って吐きそうな気がしたので
いつもどおりの経路で行くことに決め
パジャマよりはマシっていう程度の普段着に着替え
前日、化粧を落としただけで寝てしまった顔も洗う気になれず
帽子を目深にかぶって通院用のバッグひとつ持って出かけました。
さすがに病院最寄駅から病院まではタクシーを使いましたけどね。

とりあえず採血をすませ、いつもなら検査結果が出るまで1時間ほど
談話室で時間を潰すのですが、今日はそんな悠長なことを言っていられません。
まだ診察の始まっていない外来受付へ行き、受付のお姉さんに事情を話して
検査結果が出る前に診察を受けたいとお願いしました。

このお姉さん、とても美人なんですがいつも無表情で
患者のどんな些細なわがままもぴしゃりとはねつける気の強いお方なのですが
この日は私の顔を見るなり目を真ん丸くして
「座ってるのと寝てるのとどっちが楽?どっちでも好きなほうでいいよ」と
ひじょうに優しくしてくれました。
羽の生えた天使に見えて、思わず抱きつきたくなりましたねぇ。

奥から、様子を聞きつけた看護師さんも駆けつけてきて
ちょっとした点滴や注射などに使う処置室のベッドへ寝かせてくれました。
あぁ、ここまで来ればもう安心。
涙が出るほど安堵しましたよ。

もうじき先生がくるからねぇと励まされながら
体温、血圧、脈拍、血中酸素濃度を計り、待つことしばし。
I医師ご出勤の気配がしました。

看護師さんから話を聞いて「Mさんどうした~?」とやってきたI医師。
私の顔を一目見て「とりあえず点滴ね」
I医師自ら針を刺してくれたのですが
いつもなら私の細い血管もたやすく扱うI医師が、やけに手こずっています。
「先生にしちゃずいぶん時間かかりましたねぇ」と言うと
脱水症状がひどくて血管が干からびている・・というようなことを言われました。
そんなにひどかったんですか。。。

そしてレントゲンを撮ってくるようにとの指示。
車椅子で点滴台ごとガラガラと運ばれました。
レントゲン室でも、女性の検査技師さんが手馴れた手つきで服を脱がせてくださり
私はもう、恥ずかしいとも言っていられず、されるがまま。
また車椅子で処置室へ戻り寝ていると、再びI医師登場。
血液検査でも炎症反応が出ているし、レントゲンを見てもたぶん腸閉塞だから
ちょっと入院していこうか、と言われました。

予感はありましたけれど、一応「入院しないとダメ?」と聞いてみました。
2.3日食事を抜いて腸の中のものを全部出してしまわないといけないから
その間は点滴が必要になる、だから入院しないとダメと言われて納得。
看護師さんがさっそく入院の手配をしてくださり
また車椅子に乗って入院病棟へと移動しました。

病室がまだ空いていないということで
手術後や重篤な患者さんが入るリカバリー室のベッドで待機。
入院病棟担当の医師が来て、お腹に聴診器を当てていましたが
「腸がほとんど動いていない」とのこと。
ここまできたらもう、筋肉痛なんかじゃないことは明らかですね。
完璧な腸閉塞です。
これだけ大騒ぎしてもしもただの筋肉痛だったらなんて言い訳しようか
などという心配は無用だったようです。

ここでようやく痛み止めの点滴が始まりました。
原因がわかるまで我慢してねと言われていたんです。
薬が効いて痛みが治まり落ち着いたところで、母親と娘ッ子に連絡。
リカバリー室には他に誰も患者さんがいなかったので
その場で携帯を使ってもよいと言われ、横になったまま電話して
とりあえず必要なものを持ってきてくれるよう頼みました。
これでもう本当に気がかりなことはなくなりましたので
ほっと気が緩み、ようやく眠ることができました。

この後しばらくは、痛み止めの作用でぼんやりとしていて記憶もあいまい。
母親が、パジャマの他に手術用の浴衣などまで一式持ってきたのは覚えていますが
どうやって病室へ移動し、どうやって着替えたのか、さっぱり覚えておりませぬ。

ただ、痛み止めが切れてまた痛くなってきたのに
点滴の痛み止めは時間が決まっているからと使ってもらえず
かわりに水薬を、赤ん坊のようにベッドの上で
チューチューと吸わせてもらったのだけは覚えています。
この薬はいつでも飲めるからね、痛くなったらいつでも言ってねと言われ
そんなに便利な薬があるならなんで手術のときにも飲ませてくれなかったのか
それとも新製品かしら、などとぼんやり考えておりました。

その後、再度点滴の痛み止めを入れてもらったのですが、あまり効果がありません。
医師によれば、ガンの痛みには効かないのだそうで
ということは、今の痛みは、ガンの悪化によるものという可能性があるわけです。
で、その夜からモルヒネを使うことになりました。

モ、モルヒネだぁ?
まるでガン患者じゃないのさ。
って、そうか、私はガンを患っているんだった。
あらためて、自分がどんなにやっかいな病気を持っているのかを実感しましたね。

その後もどうやって過ごしていたのか、よく覚えていませんが
夕方にはテレビを見ていましたし、携帯からブログに書き込みもしたし
とりあえず必要なものをコンビニで調達してきましたから
痛みは治まって動けるようにはなっていたんだと思います。
でも記憶があいまいだということは
ほとんど夢遊病者のような状態だったのかもしれませんねぇ。

そういや、母親はいつ帰ったんだっけ?

夜には熱が上がり、吐き気も襲ってきて再びダウン。
モルヒネで痛みが治まったからと言ってすぐに元気になれるってもんでもないんですね。
おとなしく寝ることにいたしました。

あとで聞いた話ですが、この時点でI医師は
ひょっとしたら手術して人工肛門を作らなきゃいけないかもしれない、と
最悪の事態を想定していらしたそうです。
閉塞の原因が腸の癒着によるものだったら、そうなっていたんでしょうね。
よかったよぉ、ただ食べ物が詰まっただけで。

次回に続きます。

45回目の点滴

2009-02-01 | 闘病生活
入院中の話はいったんおいといて
昨日は久しぶりの点滴を受けてまいりましたのでそのお話を。

白血球が8100!
今までの最高記録です。
入院でしっかり体を休めたからでしょうか。
これだけ免疫力があれば、この冬もまた風邪をひくことなく過ごせるでしょう。

好中球の値がまた出ていなかったけど、問題ないでしょうね。
肝機能を表す数値もすっかり落ち着いておりましたので
予定通り抗がん剤の点滴を再開することになりました。

さらに、入院中にI医師と相談した結果
経口のTS-1もまた飲み始めることになりました。
入院中のレントゲン画像を見ると
直腸のあたりにモヤモヤしたものが写っているらしいんですね。
それがひょっとすると腹膜のガンが悪化したものかもしれないということで
抗がん剤を増やして、一気に消してしまいたいということでした。

また、以前に抗がん剤を変えようかという話もあったのですが
肺や肝臓にも転移はみられないし
卵巣に転移していたと思われる影も、その後は写らないままだし
ってことは、まだタキソールは効いていると思われるので
新たな抗がん剤にチャレンジするよりは
このままもうしばらく続けるほうがいいのではないかということで
今までどおりの治療を継続することで意見は一致。

白血球の減少さえ抑えられれば、TS-1を飲むこと自体には
なんの抵抗もありません。
多少気持ち悪くなったりだるくなったりもしますけれど
それほど耐えられないものでもなかったし
年末からずっと抗がん剤治療をストップしていて少々の不安もありましたので
さっそく今日から飲み始めています。

入院中から飲んでいた痛み止めと吐き気止め、
その前から飲んでいた消化酵素と整腸剤、
それに、詳しくは後日に記しますが、新たに加わった漢方薬2種。
そしてTS-1。
お~、薬漬けですねぇ。
朝晩飲むものと、毎食後のものと、食前のものとあるので
いったい今は何を飲めばいいんだっけ?な状態です。

さらにI医師は、腸ろうを使って栄養剤も入れろ、と。
そんなことやってられませんって。
あれは入院して一日中寝ていられるからこそできるものであってね。
家で長時間かけて点滴みたいなことしてらんないですよ。
「栄養剤のボトルを背中に背負って歩けるようなものがないですかねぇ」と話すと
「点滴用のならあるんだけど
栄養剤はまだそこまで需要がないからできないんだよね」とのこと。
ウエストポーチかなにか使って、自分で作ってみようかしら。。。

腸ろうの周辺の皮膚がかぶれてしまって痒いので軟膏をもらい
腸液が固まったと思われる膿のようなものをきれいに取ってもらい(痛かった!)
久しぶりの化学療法室で、点滴受けながら爆睡してきました。

2週続けて1週休み、のペースでの治療がこれからまた当分続きます。