湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

ヤングケアラー

2021-05-25 16:32:00 | コラム
『ヤングケアラー』

知らぬ間に、ある日みたテレビ

ふと湧いてでてきたような言葉に
気を取られていると
まるで自分のことのような若者が沢山いる?


そっか、、、

ググってみると

『ヤングケアラーとは、通学や仕事のかたわら、障害や病気のある親や祖父母、年下のきょうだいなどの介護や世話をしている18歳未満の子どもを指す。』

なるほど。
私のことね。

物心ついた頃、そうね、幼稚園の頃だったか、自分には6歳上の兄がいた。
次第に歩けなくなっていく兄を見て
手助けするのは当たり前のように育った。

両親は、
兄の病気のためか、
ことあるごとに、喧嘩ばかりで
夜になると
兄妹一緒にお布団を並べて寝ていると
夜中に、足がだるいから動かしてくれと、兄に起こされる。

毎晩、3度は起こされる。

両親の諍いのために
片方の親の元に行ったり来たりで、
小学校4年生で
家族みんなが揃って暮らし始めるまで
なんだか切ない家財事情の中
それでも子供だったから
詳しいことは知らずに
ただ、兄の面倒を見ていた。

学校や遊びにも行っていたけれど
夜には
兄の寝返りの手伝いに起きたり
両親が揃って、たまに2人が息抜きに外出する時は
全面的に兄の世話をしていた。

ただ兄が優しい人で
映画と音楽が大好きで
よく色んな話をしてくれた。


私は、中学のバレー部のキャプテンになって、高校へ県立高校から
当時、スポーツ推薦はないのに
答案用紙に名前だけ書けば
合格になるからと
中学の先生を通じて言われたけれど
一も二もなく断ったことがあった。

高校に行けば、高校の部活の激しさ、
お金の入り用はわかっていたので
兄の面倒を見ながらは無理なこと。

先生には私の断りは、納得がいかなかったらしいし、理解もできないようだった。

だから、詳しくは話さなかったように思う。
その頃、不良ではなかったけれど
すでに、大人を静かに心の中で
けなしていたようにおもう。


大人の浅はかさのようなもの。
所詮、わかりっこない世界にいる私を理解するには、先生さえも幼いと思っていた。

そんな環境になった人
その境遇の人にしか分からないと。

まして、兄には、命の期限が付き纏っていた。

そうこうしてるうちに、
兄は、遠くの専門医に見せるため
県外の療養所に入ることになるが
学校に行っていない兄は、
併設された養護学校へ同時に入った。

悲しいけれど
進んでいく病気と兄の人生には、
家族の側にいるよりも、
限られた時間の中でも、
何かできることを探すために
そこに入れなければいけないと
両親が判断した

しかし、
長期休みの
春休み、夏休み、冬休みには、
それなりの日数、兄は帰省してくる。


私は高校になっても
長期休みには、ヤングケアラーになっていた。

のちに、両親が亡くなる前、
私が兄の夜の寝返りをさせていたことの詳細を親は知っていたとばかりに、
話したら、
全く知らなかったと、、、。
ほんの少しは手伝ってはいても
毎日、3回、4回と起こされていたことは知らなかったと言って
申し訳なかった時私にわびたことがあった。


しかし、私は
物心ついてからずっとだったので
自然なことだった。


目を閉じて
朝まで寝る、、、


当たり前のことは
私には当然、当たり前ではなく
拒否も、否定も、放棄も
するとか、しないとかのものではなくて、至極当然のことだった。

今から考えたら
友達にも、先生にも打ち明けてなかったように思う。

可哀想な子だと思われたくなかったのかもしれないけれど
言っても分かってもらえるわけではないと言う思いが先だったかも。

兄は、私が20歳の時に亡くなった。



私は解放されたわけだけれど
兄が亡くなって、一周忌を迎える前あたり、母が倒れ、父が交通事故で
手術、入院。
私1人で、兄の一周忌の準備。

その一周忌の法要の日
久しぶりに揃った家族
親戚と語り合い
来てくださった人達を
車で送ったりしているときに
自分の体の違和感を感じた。

父の病院
母の病院、世話。
その頃、大好きだった音楽は
チューリップのテープばかり

病院から病院への移動。
自分の仕事場への移動。

そうしているうちに
私は肝臓をやられ、治療のため2ヶ月半の入院


私はチューリップの音と共にいた。
ノリの良い音に、憂いを含む財津さんの大人びた声

いまでも、チューリップの歌が聞こえると、必死だった自分を思い出す。

そう、ヤングケアラーとしての
最後に患った病気のことも。


長年の蓄積された疲れと
睡眠は、2ヶ月半
ほとんど、ベッドに寝たままで解消されたことになったのかな。


昨今の言葉
『ヤングケアラー』

なんでも横文字にしちゃったりして(笑)
昔から居たのよ。

隠れてしまっていたけど。

そして、今なお
この世知辛い、生きにくい世の中に
沢山居るんだ。

何もできないけれど
どうか、誰も恨むことなく
目の前のことに精一杯でも
いつか、解放されて
きっと、どこかで報われる日がくる。


報われないのは、
恨んで、放棄して、助けを呼べず
自分を無くしてしまうこと。

それだけは避けたいことだね。



穏やかな社会であれば良いけど
急には変わらない。
自分が柔軟に変わっていくこと。

いつか
いつか

のんびりと
お茶を楽しむことができる日がくるから。

私がそうだよ。
育児(子供の病気)、介護
相当な年数がかかってしまったけどね、今は、のんびりとお茶が飲める。

なんて
幸せになったもんだ。







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