湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

成人式、母との思い出

2019-01-14 12:56:59 | 日記
女子は成人式を迎えようとする、かなり前

一月の成人式に向けて
晴れ着をどうするかということに
直面する

晴れ着を着る=成人式

その=は、私にとっての=ではなかった。

私は成人式には出ないつもりだった。
出席するにしても洋服で。


とりわけ友人達と何かあったとか
着物を着るのも着ないのも
関係ないと思っていたし
18で働き始めて
いまだに学生してる人と同じ世間の広さとは違っていたし、
お酒やタバコは、してなかったから
今更、20歳になったから大丈夫ですよと言われても
お酒を飲みたい時は家で飲んでいたし
タバコははなから吸う気もなかったし


何故、出席したくなかったとかじゃなく
出席する理由が自分の中でなかっただけ

ましてや
洋服でもいいものを
着物を着る着ないで
母親ともめていたこともあって
成人式そのものを面倒だと思っていた。


とある日のこと
母親が着物を家に持ち込んだ。


『成人式用に、レンタルしてきたものよ。
少し見てほしい。あなたが、一緒に選んでくれないから、これが良いと思って借りて来たけど、とにかく、見てほしいから』と言ってきた。

シルバーに染まった部分に
オレンジの波のようなうねり
花模様が様々な色合いで
強調し過ぎずに彩られていた。


この着物をいくらでレンタルしてきたのか知らないけれど
そんなにレンタルとて、そんなに安くはないだろうと思われた。
母の母(祖母)は、四国で大きな雑貨屋のお嬢さんであった。


たとえ、その雑貨屋が潰れていたとしても
自分の娘達には、質の良いものを持たせていたことを祖母を見ていて感じていたこと。

その感覚からしたら、うちの母が
なまじ、安物を選んできたとは思えなかった。

着物を目の前にして
私は戸惑った。


その着物を見せられる数ヶ月前


父の国民年金の不払い期間を埋めるために
市役所に何度もかけあっていた母

期限を伸ばしてもらっても、お金を工面できず、私に
『どうか、先の私達の年金のために、まとまったお金が、必要になったの。
金貸しに借りては生活が立ち行かないから
申し訳ないけれど、必ず返すから
100万円、貸してくれないか』


当時、私が働き始めてから
家の食費に五万円を入れながら
しっかり貯金して、その額は150万円を超えていた。
もし、私が結婚することがあっても
親からの援助は皆無だと思って貯金していたお金だった。


母親がそれを知っていて、
分かった上で私に
泣いて頼んできたのだ。


兄の病気に特定疾患指定でお金は必要じゃなくても、離れた地に月に数回行くのを換算したら、長い期間のこと、相当な金額は出ていると私は知っていた。

だから
母親が頼んできたことを無下にはできなくて、100万円を母親に何にも言わずに貸した。

もう、戻っては来ないだろうと納得の上で
出したお金だった。
(結局、一年後に全額返してくれたが)


そんなことがあったりして
多分、お金がないから
私が着物を着ない=成人式に出ない


そんなふうに母親は思っていたのだろう
(当たってない訳ではなかったが)


母親自身がレンタルしてきた着物を前に
また、母は泣きながら私に言った。

『頼むから、着物を着て、成人式に出て欲しい。それは、あなた自身のこととかじゃなくて、私のお願い、親からの願いだと思って着て欲しい』


そこまで言われたら
着ない理由がない。


その着物を着て、成人式に出る理由ができたことになる。


成人式は、親の幸せのために
着物を着て、お祝いされることが
自分の意志より大事なのかもしれないと思った。


そんな思いで
出席した成人式だった。


その時は
自分が親の思いをわかったかのように
親孝行したつもりでいたが

自分が親になって分かったことは

自分の感じた気持ちより
比べ物にならないほど
親の愛は、もっと深く、もっと重いものだと分かったこと。
それを子供には押し付けないようにはしてきたが。
いづれ、私のように分かる時がくるだろうと。


そして
親が亡くなって一年


一通の封書が届いた


『亡くなった方が一時期に一括して支払われた年金が、重複していた期間があり、
また、亡くなられた方が支払われなかった期間が見つかったものと
差し引きした金額を提示します。

重ねて、亡くなられた方の新たに見つかった年金を納めていた期間がありまして、年金の計算に基づいて、再計算させていただきました。
なお、年金基金の定義におきまして、全ての年数には計算できず、本来年金として支払うべき期間の5年を遡る分を支払わせて頂くことを決定いたしました』

そんな内容だった。


差し引き 80万円


あの時、親に貸したお金の利子が
返ってきたような金額が提示されていた。


不思議なこと。
巡り巡ってきたお金。
(この際、基金を突っつくのは辞めておこう)


有り難く
自分のご褒美として
いや、また和歌山の高野山にお参りに行ける!


その封筒を仏壇の前に置いて
『また、高野山に会いにいけるゎ』
と、手を合わせた。



自分の成人式の時の写真は行方不明(笑)
しかし、娘の写真は大切にしているものですね。


はい、私も親ですから。














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あの日あの時『椿の花』に思う

2019-01-14 10:32:34 | ポエム
あの日
あの時
 
自分だけの時間と感覚
 
memories
 
 
 
 
切なさ
嬉しさ
 
自分だけの気持ちと思い
 
emotions
 
 
 
海のように
 
引いては返しを繰り返して
 
激情を呼んでいた
 
そうして身を任せていた
 
 
 
自分のこころを
 
何と掛け合わせるのか
 
 
迷って
 
手探りで
 
ここまできたのよ、きっと
 
 
 
少し見えてきた明日
 
 
穏やかでいて
 
陽射しがあたたかくて
 
静かで優しくいて
 
自分に素直でありたい
 
 
 
空を見上げてみれば
 
全てが繋がっている
 
雲の上はいつも青空なんだから
 
 
 
さぁ、私はまず、花を飾ろう
 
 
 
 
 
 
 
 
『椿』の花言葉は‥
謙虚な美徳
控えめな優しさ
 
華やかな花には似つかわしくないような言葉たち
 
 
ヨーロッパでは『椿姫』にちなんで
花言葉は『犯罪を犯す女』とも
言われているらしいけれど、
物語『椿姫』は、
胸に椿の花を差し、街角に立つ高級娼婦
実は病気で幾ばくもない、この女性が
1人の男性を愛したが
その男性を幸せにすることは、
自分のわがままを捨て
男性の幸せを願い身を引くことだと
悪女を装うだけ装って
自分を愛してくれた男性と別れて
1人で死んでいくという物語。
 
 
東洋、西洋との花言葉の違いは
たくさんあるけれど
どこか切り口が違うだけのような気がする。
 
それは、
人の人生を誰がどこで見てるかーに
通じるけれど、
自分は自分の人生の選択を
自分でしていくもの。
 
しいては、過去の自分も
今の自分も間違いではなく
肯定しながら生きていかないと
幸せには遠くなるような気がする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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出会い、奇跡のカフェ

2019-01-12 22:20:52 | 日記
昨日は母の命日で
朝からご仏壇のお花の水を入れ替え
お茶をお供えし
母の大好きだったコーヒーをお供えした。

そして
いつもの金曜日のように
午後から
アレンジメントフラワーのレッスンへ出かけた。

そのレッスンが終わると
また、いつものように
2年半まえから1人でも
フラッと出かけられるカフェに寄る

天井が高く
ライブが出来るような作りになっている


それもそのはずで
そこのママさんは、フルートの先生もしていて、時折、サプライズで吹いてくださるし、各種のライブも行われる


私は、コーヒーとその店のおすすめスイーツの『あんこプリン』を注文した


食べ終わったころ
ドアから1人、お客様が入ってきた。


そのお顔を見たら
駆け寄って私は泣いていた。


私を見たら
手を広げて『会いたかったよー』って言う婦人。


偶然にも、いや、母の命日と言うことを考えたら、
これはは必然かもしれないと頭をよぎりながら
会いたかった人に会えたと言う嬉しさが溢れてきた。


その婦人とは、一年半前に一度きり
このカフェで偶然出会った方だった。



今から一年半前


その頃の私は
母の痴呆症の出現であたふたしながら
手探りでなんとか躍起になっていた頃だった。

ヨボヨボと足取りもおぼつかない母が
痴呆症になった途端
スタスタと歩き出す。
徘徊と言われるものにも悩まされる。


とある昼間
秋田に行くんだと荷造り始め
化粧もし、着替えも1人で行った。
秋田に行くからと駅までタクシーを呼んでくれと言う母に
『それじゃ、秋田に行くのね、わかった。
けど、タクシーも大変だから、駅まで私が車で送っていくねー。
その前に、綺麗な洋服に着替えたから、
私と秋田に行く前にコーヒー飲みにいこう』と誘ってみた。

あっけなく『うん』とうなづいた。

駅前にある
和菓子店に併設されたカフェに行き
一緒にコーヒーと和菓子のセットを注文して時間を過ごした。


秋田の話は出てきやしないかと内心ヒヤヒヤしながら。
駅は目の前だ。


母は
『コーヒー美味しかったゎ。
けれど、なんだか疲れたから
家に連れて帰ってー』と

『そう?じゃ、お家に帰ろうか!』と
私は答えた。


そう言う一連の流れが
繰り返し繰り返し続いた日から
数日が経ったある日


買い物ついでにと
まだ、元気だった父に母を預けて
私は、いつものカフェに寄って、
ホッと一息ついていた頃の話。


カフェには、
数人のお客さん。
私はいつも座る場所に陣取っていた。


そのカフェに寄ったのは
息抜きもあったが
私がカフェに通い始めて
ちょうど『一年の記念日』ということを
ママに伝えたかったからもあった。


そんな私の介護の癒しにと
カフェのママが、
ユーミンの『ひこうき雲』を
フルート演奏してくださった。


ユーミンの『ひこうき雲』は
ユーミンの病気の友人に向けて書かれた曲。

その友人の方が
私の亡くなった兄と同じ病気だったという
少しわたしには、特別な曲だった。

それを知らずに選曲したママは、
私から初めて、兄の話を聞いて
その偶然に涙した。


その光景を見ていた婦人が1人。


年の方は、私より10歳ほど上の方

介護施設にも出入りし、市のボランティアにも通じ、絵本の読み聞かせの団体の
理事をされている方だった。

婦人はそっと
兄や介護の話を聞いてきたので、母のその頃の話をしたり、
当時の現状の一番の方法を探りたい私の
思いがわかったのか
ママの勧めで同席させて頂かせてもらい
婦人の話を興味深く聞かせてもらう形になった。


婦人の柔和な表情が
沁みるように
安心というか、優しさというか
その中の強さを感じながら話をしたり聞いたり。


ひとしきり話をしあった後、婦人は
私の母への対処の仕方を褒めてくださり
『それでいいのよー、怒ってはダメよ』


その婦人から
背中を押して頂いた感じがして
有り難くて有り難くて、、、。


結局は、母の痴呆症で
一日に、何十回と同じことを聞かれても
怒らず、繰り返し繰り返し答えることができたのも、この婦人と話ができたおかげだったと言える。

ベッドに寝たきりになって
訳のわからないことを口走っても
決して怒ることはしなくて済んだ。


いつか、その婦人に会えるだろう

もう一度、会えたなら、
その時のお礼がしたいと
ずっと思っていた。


思っていれば、叶うもので
母の命日の日に
そのカフェで
婦人と会えることが出来たなんて!


婦人のお孫さんの誕生日も、この日で
(母の命日だ)

婦人は、お孫さんのお祝いの席に行くのに
この店先の交差点でふと思ったそうだ。
ちょっと、このカフェに寄ってみたくなって来てしまったと。


婦人は
私のことが忘れられずにいたこと。


私は、両親を介護ののち、天国におくったことを告げた後
話しながら泣く私に
沿うように一緒に泣いてくれた。


婦人のおかげで、介護のチカラに出来たことのお礼が言えたことを喜んでくれた。



そこで
カフェのママが
あの時と同じように
フルート演奏したいのと言ってくれて
『初めて吹く曲だけど』と
コブクロの『蕾』をサプライズ演奏してくださった。

偶然に
その婦人がコブクロのファンだったこと。
私もファンなんですと告げて、にっこり微笑む


何故かわからないけれど
偶然と偶然が重なったことが
よけいに胸を熱くした。
曲のサビの部分
同じタイミングで
紙ナプキンを取りながら泣いた。
泣きあって互いに
また微笑み合う
しかし、拭けども拭けども
流れ落ちてくる涙


婦人は言った
『私も色々あってね。なんだかこちらのカフェに来たのだけど、あなたに会えて良かったゎー。今朝、私が凹んでいる時に
ふと見た記事にドラえもんの言葉が出てたの。普段は見落とちゃうね。けれど、
私もすごくいい言葉だったから
あなたにも教えてあげるね。

目はどこに付いてますかー。
目は前を見るために付いているのですよ。
だから、前を見て歩いていけるんだってー』
と言ってウインクでもするように
お茶目に笑った。



今度は
婦人と
再会を約束してカフェを後にした。



後から聞くと
カフェのママも偶然に
フルートのレッスンがその日に限って
1時間ずれたらしい
だから、私達と一緒に過ごせたんだと。


何という母の命日だったのだろうかー。


奇跡のカフェだった。














コメント (2)
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三年前の今日を経て『今日』

2019-01-11 09:15:21 | 日記
重い体をひきずって
病院からの帰り
コーヒーを一杯飲もうと
父と川沿いの喫茶店へ

車を停車させた瞬間に見上げた空
『天使の梯子』
空から天使たちが降りてくるらしい
見た人はお願いごとが叶うと言う人もいる




天使の梯子を見た前の日のこと


私は1人病室でいた
午前1時からお腹が痛いと苦しみ出した母親の付き添いとして
救急車へ飛び乗った

1時間もかけて離れた病院に辿り着いた

言われるまま入れ替わり立ち替わりする先生と看護婦さん達
書類と説明の間に母親の背中をさする
『痛いよ〜、痛いよ〜、殺してくれ〜』
『アンタにあんな気難しい父親を残していくのは申し訳ないけど
もうアカン、頼むから殺してくれ』


あまりの痛みからそう言う母親を
よく戦争映画で見た光景だとか
ニュースで見た経緯なんだなとか
よくもまぁ冷静に見られている自分はどうなのよと
思いながら緊急手術の用意を待っていた

私、1人きり
体の調子の良くない父は家に置き
パニック症候群が襲ってきそうな気配を残しながら、必死で、自分とも戦っていた


朝陽が登るころ、やっと
オペ室へと送り出して
廊下で朝陽の陽を浴びる
祈りの気持ちしかなかった


なんとも複雑な陽を見ながら
両手を胸の前でにぎりしめていた


3時間後
オペ室から戻ってきた母親は
集中治療室に入れられ
ほんの数分だけ顔がみれた
心臓が弱い母だけど、壊死した腸を1メートル切除したわりに
顔色が良かったのは先生の手早い処置のせいだろう


その日、新月だった


気がつけば36時間、私は起きていたことになるが、もうろうとした意識の中で
新月のお願いを数行書き出した



次のあさ、父を連れて病院に車を走らせた。
集中治療室から一般病棟に帰ってきた母
まだ、意識は混濁しているけど
口調はハッキリしていたせいか安心できた


けれど、私達を見た母は
『良い奥さんでなくてごめんなぁ、良い母親でなくてわるかったなぁ。
けれど、孫達には
ありがとうと伝えて欲しい』


『もう、意識が薄れてきた、もうアカンゎ』と
繰り返すので
もはやこれまでかと
手首を掴んでみたら、コックンコックンと
規則正しい脈拍を打っていた



一晩中一睡もせず、痛みに耐え、緊急手術に耐えた体は
弱っていてもまだ、しっかり生きようとしてる


あとは、感染症にならずに
回復をまつだけとなる


その日、まずは一安心した父と病院からの帰りに
喫茶店の前から見た『天使の梯子』は
きっと、私の願いを叶えてくれるに違いない!
そう思い込もうとしていた。


あの手術の日
数時間遅れていれば命を取られていた事実。


あの天使の梯子を見た日から
丁度2年後に
母は天国へと旅立ったことになる


先に逝った父の招きもあったのだろう


父とて
私と一緒にその空を見上げていたから
きっと、その時に
天使達との約束のようなものが
出来ていたのかもしれない


それから2年は
天使達からのプレゼントだったんだと思う


逝ってから一年を経て


今日は、母の命日


温かいコーヒーを
仏壇にお供えたら
ゆらゆら揺れる湯気が
母の息づかいのように
妙な揺れ方をしていた


『ありがとう、私を産んでくれて。
約束どおり、コーヒーをお供えしたからね』




その時の天使の梯子





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花瓶の花

2019-01-10 15:44:49 | 日記
ひょいと遊び出回る
YouTubeの旅


ここ数日、頭の中に駆け巡る歌がある


結婚式用に作られたような歌だけど
亡くなったお母さんが
一言出てくる場面で
なんども涙してしまう


歌っている『石崎ひゅーい』さん自身
お母さんを亡くされているらしい


過激な激しい歌も他のところで歌っているようだけど、
くぐもった声が、知ってる大好きな人に似てたりしているのを見つけてしまったら
リピートして
色んなものも重なって
何度も聞いてしまう


明日は、私の母の命日
今日は、母が最後に過ごした部屋で眠ろう



『花瓶の花』
石崎ひゅーい

🎵
君が花瓶にくれた花が しおれちゃわないように
永遠という名前の水を 幸せという名前の光を
あげるよあげるよ 君に全部あげるよ
こんな僕が誇れる事 君を愛している事
何年も何十年も何百年も君を探していたんだ
どこにいる どこへいこう どこまでも どこにある
どこにもないよ
何年も何十年も何百年も何万年も前からずっと探していたんだ
君と生きていきたいんだ
君が花瓶にくれた花を 二人で持って旅に出よう
天国には君の母さん いつか辿りつく時まで
歩もう歩もう 僕がその手を握ろう
だから別になにも言わず ただ笑っていてほしい
何年も何十年も何百年も僕は1人ぼっちで
ビルの影、路地の裏、雲の上、海の底
夢の中でも
何年も何十年も何百年も何万年も前からずっと探していたんだ
君の声が聞こえたんだ
あげるよあげるよ 君に全部あげるよ
こんな僕が誇れる事 君を愛している事
何年も何十年も何百年も 君を探していたんだ
どこにいる どこへいこう どこまでも どこにある
どこにもないよ
何年も何十年も何百年も何万年も前からずっと探していたんだ
君と生きていたいんだ
何人も何十人も何百人も人を傷つけたんだ
すみません、ごめんなさい、ありがとう、また明日
繰り返すんだ
何人も何十人も何百人も何万人もの中で君は輝いてたんだ
君をやっとみつけたんだ 🎵






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