湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

コーヒーが冷めないうちに、なんて。

2018-09-23 13:56:52 | コラム
最近、気になっている映画が公開されている。

あの日あの時にもう一度
戻ることができたなら
あなたは何を伝えますか?

コーヒー一杯
冷めるまでの間の時間

言いたいことは伝えておこう。


そんなコピーがついた映画。


まだ、映画も見てないし
原作も読んでない。
だから、詳しい内容はわからないけれど


私は以前から
心がけて口にしていることがある。


それをふと思い出してしまった



人と出会う
印象を持つ
こうだろう、ああだろうと
思い巡らすわけで
魔法や霊力でもない限り
出会った人がどうなのかわからない。


最初は良い人だと思っても
お話や会う回数が増えていくたびに
何か違うぞと思ってしまった時は
私はその方に何にも言わない
さりげなく距離を置いたり
自然な時間の成り行きで
しなやかに対応するだけのこと


しかし、
出会った時の印象があまり良くない時、
こちらの印象だけで決めていくのには
あまりにも材料が少なかったり
固定観念をなるべくもたいようにして
会わなければいけなくなったり
話をしなければならなくなり
次第にこの人はなんだ?
最初の印象と違うぞ。

こんなに良い人だったんだと
あらためて思うとき
最初の良くない印象を持った自分が恥ずかしくなる時がある。


そんな時は
時間が緩く
互いのことを話す機会のある時には
必ず、相手に『ごめんなさい』と
実は、、、と。
印象が良くなかったこと。
自分の至らさで、誤解したことがあったことを謝ることにしている。


大抵の人は
微笑ましく聞いてくれる
それは、互いが生きているから伝えられること


それが長い年月を要する時もある


自分自身が変わって視点が違って見えてくる場合もあるでしょう

相手が何かしら大きな出来事があって
良い方に変わる場合もあるでしょう


人として
そういう擦り合わせができた時
すごく嬉しくなってしまう


性根がお調子者のところがあるもので
嬉しくなったら伝えたくなる。

その時を謝ってしまいたくなる。

人はその時々、自分の人生を生きることに必死になって
ちょっとしたことで気持ちがささくれていたり、何かに魔が差して、違う方向を見てしまったり
相手のシチュエーション御構い無しに
それぞれが出会ってしまっていく


さて、落ち着いて見てみると
自分だって必死に生きていて
たまたま、ぶつかり合ってしまう時もあったのだと納得できたり


みんなが皆、同じ歩みで
速さや暗さを感じているわけでもないから。


悲しい人
喜んでいる人


別々の思いの中で
すこし、優しみで見れることができれば
互いが楽なのに


決めつけてしまうのは
すこし悲しい事実になってしまうことがある

あの日あの時に戻れたら


そのフレーズも
伝えられる(生きている)場合と

伝えたくとも伝えられない(亡くなった場合)はかなり違ってくるよね


もっと言いたいことがあったんだと
きっと思うに違いない


それも今だからって
前提がつくのでしょうけど
伝えなければいけない思いと言うのは
悲しいほど綺麗なものなのだと思う


コーヒーが冷めないうちにって。


あの日あの時に戻れたなら、、、。


私はいつ、どこに行って誰に
何を言うのだろう



そう考えてしまう映画に私も
出会いたくなってしまった


頭の中でだけで
もうスマッシュヒットしてます。

近いうちに、原作本購入か、
映画館行きかな(笑)


そして、私はまた考える。。。















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