湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

大阪市中央公会堂のポストカード

2019-02-26 11:38:35 | 日記
私が中学校の頃
兄が難しい病の上に
肺炎を結核と誤診されて
自宅から車で一時間半ほどの病院に
数ヶ月入院することになったことがある。


そこは専門病院で
先の病院の誤診とわかったものの
肺炎がひどく
そのまま結核の回復期の病棟へ入った。


あの高校野球で有名なPL学園の近く
高層階の病院の窓からは、
PL教団の慰霊の塔が見えていた。


全て灰色を纏ったその塔は
異彩を放ち
一眼でなんとも言えぬ悲しみに包まれそうに見えた。


母は不自由な体の兄に付き添い
私は家事一切を任されることになった。

家族4人が一緒に暮らし始めて
四年目のことだった。

父と私は仕事や学校から帰宅すると
私の作った夕飯を食べ
すぐに病院へと車を走らせていた。

ほぼ毎日。

苦しいとか
寂しいとか
そんな気持ちは一切なく
学校の部活は休み
近くのスーパーで買い物をし
夕飯をつくる。
父が車を飽きもせず毎日走らせる
往復3時間。
兄と母に会って安心したら帰りの車の中は
父との会話で溢れていた。

そんな生活を続けている最中に
小学校から続けていた珠算の塾の推薦で
最優秀なんちゃら(忘れてしまった)
大阪市の中之島にある中央公会堂で
表彰されることが決まった。

もちろん、大勢の中の1人と言うことになるが、後にも先にも
大きな舞台で名前を読み上げられ
表彰を受けるなんぞは
そのときが最初で最後。

浮き足立って、泣いて喜んだのは
うちの父で。
その表彰の日は、休みを取って一緒に行こう。
そして、病院に見せに行こうと言ってくれた。

なんだか照れ臭くもあるけれど
父がそんなに喜ぶならと
2人でいそいそと
よそ行きの服をきて
大阪市中央公会堂に行ったことが
十数年たった今も
昨日のように思い出される。


2年ほど前だったか
大阪に遊びにいくと言う親友に
中之島付近に行ったなら
中央公会堂と言う、東京駅を設計された
辰野金吾氏の建物があるからと
私の思い出も添えて話をしていた。


まさか、そこに本当に行くことを
まったく想定せずに
辰野金吾氏の業績を絡めて話をしていた。


親友は、私の話と言うよりも
建物に興味があったらしく
わざわざ中央公会堂へ足を運んだらしい。


たまたま、その年は
中央公会堂が築100年をむかえるアニバーサリーの年にあたっていた。


これはラッキーだと
親友は中央公会堂のポストカードとピンバッチを私へのお土産にと買ってきてくれた。


ポストカードで見た
あの、、、父と一緒に行った大阪市中央公会堂の姿。


懐かしさと親友の優しさで
胸が一杯になった。


いつか、額に飾ろうと大切に持っていた。


その私が表彰された時に一緒に
喜んでくれた家族はもう居ない。


だから
ただの額縁ではない
私の思いを飾ろうと
ずっと思っていた。


白い薔薇は父に捧げよう

黄色のミモザは
黄金の世界へに捧げよう

そうして
プリザーブドの花をつかって
フレームフラワーと言われるもので
ポストカードを飾ることにした。


不器用だけど
不器用なまま


初めてつくるからこそ
私の一生懸命な気持ちが込められるのだと思いながら、、、、、。


見ていてくれるだろうか。


かつて
仕事に四苦八苦していた頃に
大阪の地でタクシードライバーで
食いつないでいた父には
この建物は見慣れた光景だったと思う。


だけど
きっと喜んだあの日から
父にも特別な場所になったんだと思いたい。


しばらく
ご仏壇に供えてから
リビングに飾ろうと思う。








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