湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

『リメンバーミー』に思う

2018-04-22 09:57:57 | 日記
とある有名人のコラムで
映画『リメンバーミー』を観てきたと。

生きてる人と亡くなった人との物語だそうで、亡くなった人は、生きてる人から
完全に忘れ去られた時が
本当の『死』なんだと言うような映画だと書いてあった。


私も両親が亡くなってしばらくたって
友達から
『そうやって思い出してあげるのが供養と言うものよ』と
言われたことがある。

たしかに。

たしかにそうだ。


けれども、毎日、毎日、思い出しすぎて
この季節をいかになぞって生きていこうか
忘れてしまう方法がないものか?


否応なしに
次から次へとつながる思い出と
それに浸るまでにはいかない戦いのような日々


空虚な気持ちも
懐かしさも
悲しみも
寂しさも


涙が出て困る自分を何とか
普通の生活に戻すこと


そこに
『思い出してあげるのは‥』っていわれても。


どこの誰に言ってる言葉なんだ!と
怒りにも似た思いを投げつけたくなるが
所詮、当事者にしかわからないこと


もちろん
亡くなれば、ホッと一息。
これで厄介なことは全て済んだ、忘れた!と言う人もいるだろうから
全てを否定しない。


四十九日を経て
百箇日を過ぎて
新盆を越して
一周忌を迎える

それまでの間に
納骨(うちの場合は、海洋散骨)


もうね
何度も、何度もお別れを言ってるよ


まして、ダブルだから2倍


うちの娘が
『人の通る道だから』と若造のくせして言ったけど

1人を失くして
その1人の思い出を語りながら
共有する相手がいて
十分に吐き出して思い出にできたのち
数年後にもう1人となれば
この行き場の無い思いに苛まれずに済んだかもしれない。

『甘えるな』とも、娘から言われた。


じゃ、君はまだ、未体験ゾーンを語れるほど精進積みましたかー。


しかし
くちには出さないでおくね。
わかるはずもないのだから。


世の中は、
全ての人が同じように
同じ体験をするわけじゃない


同じ体験しないからこそ
じつは、無謀にも励ますことができたり
ピントはズレていても
その言ってくれた心根だけを両手ですくい取れると言うものだもの


悲しみのあまり
ひねくれかかってる、わたし?


どんなことをしたって
楽しいことを考えても
何度言ってもつきない
本当の『サヨナラ』と向き合っていかなきゃいけないのよね


しかし
何度言ったら
楽になれるのだろう


日にち薬って言うけど
傷が2倍の分だけ
薬の効き目は、2倍かかると言うもの


そう、誰もが通る道


しかし
親を見送るのって
こんなにシンドイものなんて
だあれも、教えてくれなかった


だから
わたしは言うよ


まだ健在な親御さんを持つ方々
別れはある日突然


自分のプライドとか
周りの目に惑わされないで
『居る』と『居ない』の
この落差は失くしてからではどうにもならない。

大切に
親切に
優しくね


親なんて所詮
自分も含めて不完全な人間で
許すことが一番大切で一番の始まり


そうすると
自分も許されて
優しい気持ちになれるはずだから


ずっと
ずっと


後になってから


私は
そうして思い出そう、、。











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