湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

義母の一周忌法要と家の解体

2022-03-25 23:36:00 | コラム
義母が亡くなって
早いもので、一年。

そして、再び私は機上の人となった。

一年前、義母のところに、2往復した日を思い出しながら
月日は早いもので
この1年は、御仏壇の花はもとより
義母の遺影を飾ってある小さな祭壇の両脇にも、花を絶やさなかったよ。
私自身が決めたこと。
それが、義母に対しての
私のせめてもの思い。
寂しくないように、、、。

私自身の寂しさよりも
遠い佐賀から連れてこられてしまった義母の寂しさを癒したかった。


できれば、あの家で居たかっただろうに。ごめんね。

かつて、義母と話したことがある。

『私んちに、一緒に来ない?』と聞いた。

義母は言った
『うちが家を離れたら、うちの娘たちぁゃ〜 帰る場所がなくなってしまうけんね〜 うちがこん家を守っていかんと』と言っていた。


義母は、やはり、自分の娘達を大事に思っている。

亡くなる数年は、施設暮らしになったけれど、義母に会いにいく度に
『家が見たか〜、家に寄ってくれんね〜』と、施設から連れ出して
家へと車を走らせた。

家の前のキンカンの木に目をやり
ひとつ採ると、口に頬張り
『なかなか、甘か〜』と
綺麗で大きなキンカンを袋に詰めてくれと言う。

スーパーの袋に沢山詰めてやると
施設に持ち帰って
『あもう(甘く)ないかも しれんけど、食べてみらんね〜』と
施設の人や年寄りに勧めて歩いていた。
可愛らしい義母だった。


一周忌のため
そして、法要後、家の解体に入るため。

実家に着いたとき、
そのキンカンが
今年も、ちゃんと実がなっていた。


〜お義母さん、あの時のキンカンがなっとるよ。
あの時は、沢山、採ったね〜


しばし、独り言の世界


コロナのせいで、前の年は
外出もままならなかった。

大好きな桜も見ぬまま
義母は、旅立っていったっけ〜

大好きな家も
今回は解体してしまう寂しさを
どこからか、見ているのだろうか。

ごめんね。守ってあげられなくて。

だけど、
お姉さんやお兄さん、妹さん、
その子供達、ひ孫、やしゃごまで
みんな集まって来てくれたよ。


法要のあと
みんなで、家にお別れをするからね。


そのために、色々と手配したよ。
そして、滞りなく、その日をみんなで迎えられた。

有難いこと。

お義母さんが呼んだ?(笑)

春みたいな日だったのに
急に寒くなって
雨までかすかに降ってきたりして。

確か、お義父さんの葬儀の日も雨だったね。
この家から見送ったね。


私にも色んな思いが駆け巡るけれど
生まれ育った者は、なおさらのこと、どれだけ寂しさを感じているだろう。

あちこち、転々と引っ越しを繰り返した私には、想像はつかない。

私は私の中だけの思い出だけど

一周忌の法要よりも
家の解体の方が
心に沁みる


ありがとう
私の知らない思い出達にも
思いを馳せて
家があった事実
そこで暮らした人達

お義母さんの温かな思い

家族達を育んだ家

何一つ欠けても
今の私に繋がらないことを知っている。

だから、私からも、ありがとう


長い間、お疲れ様でした。









コメント (4)
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