湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

うとうと、から目覚めたとき

2019-10-31 15:31:00 | 日記
ふと、うとうと

暑くもなく
寒くもない日

うとうとから
目覚めようとしてる少し前
意識には微かな『ここはどこ?』

目が覚めたら
奥の両親の部屋から
韓国ドラマを見ている2人が
まだ、居るような気がして

いやいや
この目を開けたら2人が
居てくれたらいいのにって
全てがその時に
フィールドバックしてたらいいのにって
そんな思いが溢れてくる意識に変わるとき

まだ、
目を開けてない目から
涙がポロリポロリと目の端っこから流れ出してくる


早いものだ
今月はもう終わり
来月の中頃に
2人の三回忌を迎える


もうすぐ、あれから2年がたとうとしている。

1人逝き
もう1人逝き
29日目には
2人共がこの世から居なくなった日々。


それからしばらくは
会う人、会う人をつかまえて
厄介にも尋ねたものだ

『ご両親は、どうされてますか?ご健在でいらっしゃいますか?』

『ご両親とも、ほとんどご一緒に亡くなったとか言うのではありませんか』

お坊さんや仏具屋さんにも同じようなことを尋ねたっけ

しかし、
そんな短い間に両親を亡くした人は
私の周りではいなかった

返ってくる言葉は
『事故や災害でない限りなかなか居ないよ』と。


そして私は
たて続きに尋ねる
『自分が立ち直るまで、どのくらいかかりましたか?』


片親になった若い人にも
両親を亡くした年老いた人にも

みんなそれぞれ

半年でなんとも思わなくなった人
10年かかったよーって言う人
20年目でやっとだったと言う人


けれど最後に皆さん、おっしゃられる。
『多分、忘れたような気がしてるけど、この気持ちは一生かもしれない』


どこに行って
誰にこれ以上聞いたらいいのか
人混みの中で
自分の親を探す迷子か
尋ね尋ね歩くみなしごみたいに

そんな日々も
いく日も越してきたことをふと思う。


そして
お仏壇の前に座り込む


何故、私も一緒に連れて行ってくれなかったのかって
そう言うと、2人の写真が
一瞬怒ったような顔になる


笑っている写真だから
笑っていて欲しい

笑ってもらうためには
しっかり生きなきゃいけないと思い直す

そうだったね

あとは、楽しく
自由に生きろと言われたんだったけー。

2人がほとんど一緒に逝った意味は
私に負担が及ばないことを希望してくれたってこと

私のために逝ったようなもの。

有り難く、それさえも感謝しなきゃいけないね。

逃れられない寂しさは
逃れられないまま
ギュッとした痛みも抱えて行きましょうか。

時々は
蓋を開けて覗きこみつつ
懐かしさが増えていけば
少しはギュッとした痛みも
少なくなっていくのでしょう




また
花をたくさん買って
花だらけにしょうかな
















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