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湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

京都1日目

2019-09-10 21:11:00 | 旅行
東京駅には
高速バスは苦手なのでパスして
電車にてアクセス

スイカにはある程度のお金を入れて
切符を買う必要がないので
行きたい場所へと動ける

当たり前が有難いが、、。

新幹線に乗るために
あらかじめ娘から送られてきた新幹線のチケットだけを改札の
チケットの差し込みに入れた

しかし、改札は開かず

なんで??

こう言うとき
自分は田舎者だと思われはしないかとあたりを見渡す

後ろからJRの男性
『もしかして、ここまでスイカを使用されてきてませんか?』

『はい、スイカで来ましたが?』

『では、スイカをかざしながら、チケットを入れて下さい』

『うん? えー?  こう?』

難なく開くゲート
『この場合は、こうするのね〜』

その後ろから
それを見ていた、うちの相方は
知らないふりして
難なくクリア

スイカは便利だけれど
改札から改札とは
よく分からなくなる。

分からない時は
先に相方を人身ごくうにしてしまおう
決して、先に行くまい

しかし、スイカを出すのが
私の方がなぜか早いときてる

なんとかせねばと、、、。

そうして滑り出した『京都の旅』




富士山の上に、悟空の雲

雪をかぶっていない富士山は
何故か威厳が少ないと言うか
見つけた時の感慨が変わるような気がしてしまう


お昼のお弁当を少な目にした

だから、何か物足りない感じ。

しかし、3時から
娘の婚約者のご両親との顔合わせわのため食事を取りながらとなるため
お昼は軽めにしたのだけど、、。

車内販売で、コーヒーを買って
いつもは入れない砂糖を入れた

すこし、気分が満たされた感じ

何度か通ったことのある新幹線の沿線の緑に目を落とす


いつかいってみたい熱田神宮の森らしきものを見つけた

いつか、、、
いつか、、、

そう思っていると
いつか行くことができる

きっと、きっと。

名古屋を過ぎれば京都までは早い。

京都駅に着いたら
中央改札で、娘と婚約者が待っていた

相変わらず、イチャイチャと。

アメリカンちっくな距離だ。
ため息が一つ

一通りの挨拶を終えて
祇園に行きましょうと
後は、人身御供も、生贄もいらない

ただ、あとをついていくだけ

楽と言うか
情けないと言うか

けれど、案内されるゲストな気分と思えばよい

四条に出れば
圧倒的に中国人の団体の喧騒
罵声?叫び声?

きっとバブルの頃の日本人の
海外での姿かもしれないと思いながら
人をかき分け
京都の祇園さん、八坂さんへ

お参りしてから、
会合場所まで、歩く、歩く、、。

若者は元気だなぁと
京都はひたすら暑い

太陽の光が差すだけでなく
ねっとりと刺しながら肌に痛みのような感覚を残していく










京都に何度来ただろう
この八坂神社から四条河原の
この道を見たいと
やっばり長年の『いつか』がかなった瞬間

汗をぬぐいつつ
また歩いて、祇園に戻る

会合の料亭には
京料理のオンパレード
ハモや松茸
生麩、湯葉

軽い会話と探り合いのような会話

和気あいあいと見せかけて
どれほどの腹の色を見分けるような

しかし
思ったほど
色は感じなかった

それは互いに
すこし安心できたようで
最後には笑いあって
子供達の行く末を話し合っていた

夕方になり
『ではまた、この次に』と
若者の軽い気持ちとは裏腹に
親の方は違う目線で
子供達の姿を捉えてたのだと思う

もらう方と、もらわれる方

不思議な気持ちを抱えながら
それでも
自分たちとて歩んできた道
なるようになると
若い2人を見守るほかはない

夕方の東山界隈
挙式場所を正面から見る
八坂の塔がすぐそこに








リノベーションされた場所
和モダンな建物
石畳の坂道

絵になるところばかりだ

かなり歩き疲れたので
ホテルへは、タクシーで向かう

ここはまるで異国だ
1人、物思いにふける

それがどんな形にしろ、旅なんだと思う。









ホテルの中にチャペルがあった

最上階には
天然温泉が完備

街並みを見下ろす露天風呂

いったいここはどこだろう(笑)

そんな1日目の旅




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佐賀県武雄市でのこと

2019-04-24 16:30:00 | 旅行
四日間の滞在に
何度足を運んだだろう
 
義母がいる老人福祉施設
 
最後の日には
ここ数日の間に義母を撮った写真を
コンビニで焼いて
手渡しを兼ねて、今回の帰省を最後にと
立ち寄ったとき
 
これから、ボランティアさんたちが
慰問のステージを繰り広げようとする時間の
少し前だった。
 
集まる老人達の中に
義母を見つけ駆け寄った
 
写真を見せて
『もう出来んしゃったと?』驚く義母に
『もう、なんでん、すぐに出来っとよ』と
ウインクしながら手渡した。
 
『これから、踊りさー見ていきんしゃい』と言う義母に
 
『あー、ごめんね、もう帰らんばいかん時間とよ、空港にいかんばねー』って答えると
そこは、動けなくても母の顔になる
 
『じゃったら、こげんとこ来さされんと、はよーいかんばー、ほれほれ』って
可愛いことを言う
 
『良かよー、お母さんにこれを渡したかったとよ、また、来るけんね』
 
義母が
『ほんに、またすぐに、早よー時期に来てくれんとやろか』(ほんとに、またすぐに早い時期にきてくれないか?)
 
私は答えに困ってしまった。
 
『うんうん、出来るだけ、はよー来るようにすっとばい』
 
義母はうんうんとうなづきながら
『あんたも、元気にして風邪ばひかんでね』
 
 
『私は大丈夫よー。お母さんが一番元気でおらんと。洋服買いに行ったり、美味しいものを食べにいかれんごとなるから、気をつけて、元気でいてくれんと』
 
泣きそうになりながら、、、、。
 
 
最近の帰省の時の義母との会話は
いつも、義母の手を握りながら話している。
 
しかし、もう時間が来たようで
あたりは、慰問の人達でざわめき始めた。
 
『じゃねー、お母さん、また来るけんねー』
握っていた手をポンポンと二回
合図のようにして、手を離した。
 
 
小さく小さくなってゆく義母
 
ドアのところまで来て
振り返ると、また小さく小さくなる姿
 
 
何故、もっと早く
何故、もっとたくさん、お世話をしてやれなかったのだろう
 
 
物理的距離も
物理的時間も
無かったのは仕方がないこととは言え
やっと、この数年
私の気性が分かって
義母が体を委ねてくれるようになったのは
嬉しいことではあるけれど。
 
 
もっと喜ばしてあげたかった。
 
 
義母の娘達は
義母がこしらえた和服は一切要らないと言い放ったらしい。
義母がとても悲しい思いをしたのがよく分かった。
 
だから、今度は私にタンスから好きなものを取っていけと義母は言った。
 
私は、最後に義母に
『あの、可愛らしか着物を何枚か、私がもらっていくけんねー、良かねー』って伝えたとき
 
 
義母が細い目で笑った
『そーねー、良かよか、そーねー、良かったばい』
 
 
義母が大切にしていた和服は
私がもらう
 
そして、その中の一枚は、
義母に洋服に仕立て直してあげよう
 
 
 
武雄神社 大楠の御神木
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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和歌山城からポルトヨーロッパへ

2018-09-24 09:41:27 | 旅行
旅は、高野山から和歌山へ移動。


和歌山城は昔と変わりなく、、、。
生まれ故郷であり、一度は離れた街だけれど、再び戻り、青春の時期まで過ごした街。

そのまま‥

いや、変わっていたのは、お城には
イケメンの忍者がいた(笑)
どこどのお城の何番煎じかを当て込んだのかもしれないが、イケメン具合は上位だったと思う。


暴れん坊将軍を生んだ葵の御紋を持つ、和歌山。
西に、鉄砲隊の『雑賀衆』
東に、国宝『根来寺』を構える『根来衆』と、その世、その世に名前を轟かせてきたし、日本で初めて麻酔を使って手術をした華岡青洲もいる。

どうも
和歌山も、プレゼンの下手な県かもしれない。

しかし、お城は昔、一度
建て替えられたらしいけれど、
虎伏山に鎮座するお城は、
別名『虎伏城』
大小の天守閣を持つ城は、日本では、4つしかないらしい。


和歌山市を一望できる場所は、
素晴らしいと、再び訪れても思うこと。


昔、住んだ場所が見えた。
昔、通った橋が見えた。








この紀ノ川から海を見て
夕陽をずっと見ていたころ
そのころを切り取って、
当てはめたような光景。


近くに住んでいたから当然か。
それが見たくて
天守閣まで無理して上がってきたのだから。


良いことも、良くないことも
今では、浄化されて間違いなく、キラキラしていた。



近頃は、インスタのおかげで
『和製アマルフィ』と言われる漁港にも行った。
その道沿いには、昔、よく連れて行ってもらったドライブインがいまだにあったことが、懐かしさで泣けてきた。






この先の海は
両親を海洋散骨した場所

そっと、手を合わす。
静かな気持ちで。


さてさて
家族みんなが楽しみにしていた、
和歌山マリーナシティにあるポルトヨーロッパ

小さなテーマパークではあるけれど
小さいなりに、頑張ってる
今度のNHKの朝ドラ『まんぷく』のドラマの最初の方のシーンのロケ地にもなったらしい。












その夜には
マリーナシティホテルへ










秋の気配がすこし
夏の終わりに見た『スターダストイリュージョン』
激しい音楽と共に6000発の花火の競演

たった、10分だけの世界だからこそ
焼きついた光景


花火が花を添えてくれたように
私の特別な夏が終わった
両親からの言いつけも果たせたことは
一つの区切り。


感謝と祈りを込めて。





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京都旅行、番外編〜金平糖について〜

2018-07-03 13:56:11 | 旅行
一昨年公開された邦画『本能寺ホテル』
綾瀬はるかさんや、堤真一さんなど
好きな俳優さんが出演されてます。

綾瀬はるかさんが
京都の街で『金平糖』を買うシーン

その金平糖は、映画に重要な役割を果たしていく。

じつは、この映画は、奇想天外なSF映画


信長公のいる、しかも『本能寺の変』が
起きる日に、彼女(綾瀬はるか)は、その時代にタイムスリップしてしまうと言うお話。


その映画にでてくる『金平糖』は、
日本で唯一、金平糖専門店の
『京都 緑寿庵清水』の現物ってなわけで。


史実、信長公がポルトガルの宣教師からもらった金平糖がいたく気に入って
日本の各所に広まるときに
京都、その緑寿庵清水の初代当主の方が
作り始めて、試行錯誤ののちに
出来上がったものが今の店に繋がっているらしい。


そんな金平糖を
映画でみて、食べてみたいものだと思っていたら、、、。


なんと、今回の旅のお土産にと伏見のお友達から頂いたではありませんかー。


金平糖が、桐箱に入ってるー。
それだけで、感激しちゃう。


昔、子供の頃に見たイガイガの砂糖の塊って言うわけでなく
上品な小ささ。
今では、季節の果物の味があったり
ブランデー、キャメル、チョコレート、いちごみるく、コーヒー、紅茶などなで
多種多様な味の金平糖があるそうだ!


そして
金平糖ができるまで、2週間を要するなんて、ビックリ。
職人さんの手間暇を思えば
一粒一粒が貴重な金平糖
悪どさのない上品な甘さ。
まるで砂糖の宝石のよう。










最後に、
伏見のお友達が色々と
持たせてくれたお土産の中に
京都 駿河屋の『蒸し羊羹』があった。


駿河屋と言うのは、和歌山にもあって
友達は、和歌山出身の私が懐かしいだろうと
これを選んでくれたようだった。


じつは、うちの母が長い間、
駿河屋さんの工場で働いていたのです。


渡された時、感激してしまい
有難いやら、嬉しいやら。
その偶然に涙が出そうになった。


どこかで繋がっていくものなのか。


感謝の中に、有り難さと懐かしさ。


不思議なご縁を感じたとともに
その友達の心遣いと優しい気持ちが
甘いお菓子にほどよくとけて
ことさら、美味しく感じたのでした。


今回の旅は
各地、寄った場所で、それぞれに頂いたものは、どれも厳選されたもので、
これを食べておかないとと言われるような
ステキなものばかり。
帰宅しても、楽しみが尽きない。


そんな旅の後からの楽しみ方も
計算されたような
頂いた人の顔が、ふと浮かぶような、お品ばかりだった。


先に食べちゃったものは
写メさえ撮るのを忘れたほど。


有り難く、 嬉しく、いと お菓子(笑)










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京都へ行って④

2018-06-30 18:30:22 | 旅行
京都3日目
新しく建ったホテルで2泊
最後の日

朝食2日とも、朝陽の入るホテルのイタリアレストランでのビッフェとなる

席まで綾瀬はるかちゃん似の可愛い女性に案内され、椅子まで引いてくれたり、オムレツだけは、イケメンシェフが
4種類の中身(トマト、オニオン、シャンピニオン、チーズ)に、お好みのソースをそえて、目の前で作ってくれる。


2日とも、私は中身がフレッシュトマトに、トマトソースのオムレツをオーダーした。
別段、オムレツは好きでもないのだが、
さすがに、イケメンシェフの作るオムレツは、ふわふわトロリと絶妙だった。


フレッシュジュースは、濃縮還元されたものでなく、あくまで生を絞ったものなので、とても美味しかった。


そのクラスのホテルにしては、
サービス、設備が整って、
お高いホテルの多い京都にすれば、
リーズナブルなホテルだったかもしれない。

地震の際には
行くことを周りから反対された一週間後の京都旅行だったけれど、
駅から近い、このホテルがすでに、
キャンセルしても、実費がかかってしまうことを理由に、周りの反対をはねのけたと言うのも、良かった言い訳。


夜中に一度揺れたが、大した揺れではなかった。
帰り支度をして、
後は行きたい場所のお寺を回るのみ。









目指すは、知恩院へ
しかしながら、いまだに、修復工事が続いていた。
全貌は見れず。
あの『ラスト・サムライ』で、
渡辺謙さんとトムクルーズが出会う山門前の石段は
静寂と長い長い歴史を感じて
言葉が見つからないほど美しい。


しかし、知恩院。
ここで、かなり歩くことになってしまうが、最終日なので、大丈夫と判断。
その後、一週間、股関節の腫れに悩まされてることは、予測不能だった。

























美しい、とにかく美しい。

かくして
京都の旅は終わりを告げた。
ポイント、ポイント周りだったけど
京都は、何回来ても、季節ごとを数えたら
数えきれないほど来なきゃ、来た感覚にはならないのだと思うが、色んなことを考えたら
そうやすやすと来れる場所でもないような気もしてしまう。


だから‥
この旅を大切な思い出として。



帰りの新幹線で
『東京』と車内放送があるまで
ぼーと、車窓をみて
出会った人たち
心に残る風景を思い出しながら。

ちょうど
車窓に無理やり映像を映し出して
指や目でなぞってばかりいたように。


夕暮れ時、帰宅。
久しぶりに、東京駅で、崎陽軒のシュウマイ弁当を買ったので、手抜きの夕飯。


ジャスト、旅は、全て終了。




(途中、立ち寄った、金澤翔子さんのギャラリーでの写真)


『笑福』で、ありたいですね。

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