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湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

明けましておめでとうございます(遅い?)

2020-01-03 19:28:00 | 旅行
房総半島の九十九里の
温泉に行ってましたので
ご挨拶が遅くなってしまいました。

あらためて
『明けましておめでとうございます』

途中、九十九里町に寄り
『海の駅九十九里』にある、
青いポストを見てきました。

何故ポストが青いのか、、。
日本で唯一、青い丸いポスト。
本当に投函できます。
どうやら、九十九里の青い海にちなんで、郵便局と町のコラボと言うことで。
隣には、幸せの鐘もあります。







後ろからみたら
思わず、ドラえもん〜(笑)
声をかけてみたくなりました。


この青いポストのあるあたりは、
3.11の津波に流され
先日の台風にも被害を受け
あちこちに
被害の跡が、、、。

津波の避難タワーもあちこちに立っています。

防波堤も高くなってしまって
昔々は浜が見えていたように思うところさえ、もう浜は見えない。

高い防波堤と、その工事をしている場所が多かった。
いまだに、民家の屋根には
ビニールシートのところもあったり。

3.11は、別にしても
関東圏内への巨大台風や
災害の多い年でしたね、2019年は。

穏やかな2020年になりますことを。

あ、そう言えば
九十九里町のとなり町に
片貝町(かたかいまち)と言う場所があったのです。

和歌山に、
加太(かた)と言う漁村町があります。
どうやら、昔々
和歌山の漁民が移り住んで
開いてきた町のようです。
九十九里から房総半島には、
白浜、勝浦と、和歌山の県下にある名前と同じ町があります。

区別させるのに
和歌山のほうは、
南紀白浜、南紀勝浦とか言いますね。

先に和歌山の名前が先だったのでしょうが、、、。


房総半島の付け根にあたる銚子市も
漁師の町でもあるけれど
有名なお醤油屋さんの企業が軒をつらねています。
その昔、和歌山の湯浅からの醤油を持ち込こまれたからだとか、、、。


何かと、和歌山と結びつきがある房総半島と言うことでしょうか?


地図の方向を傾けてみたら、
房総半島は、紀伊半島みたいな形ににているのかもしれません。

紀伊半島のあたりでも
よく食べられている伊勢海老も
この辺のご馳走でした。

縁起物と言うことで
伊勢海老のお刺身を、、。

あくまで
皆さんの幸福を願い
食べてきました(笑)

と、言うことで、
今年もよろしくお願い致します。













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CMにでた街(香取市佐原)

2019-12-26 13:09:00 | 旅行
昨日は少し遠出
クリスマスだとか言うんじゃなくて。

この一年
とても、頑張った年下の女友達のために。

家のこと、病気のこと。
彼女は、本当によくがんばった。

癌を患い寛解した途端、
母親を亡くし
立ち直ったら、こんどは、
また、彼女自身が再発かと
何度も検査ののち、良性の腫瘍とは言え、女性の大切な臓器を摘出した。

母親のいない、そうした経緯は
さぞ辛かったと思う。

私にできること、、、。


こう言うと
さも、私が善人であるかのようだね。
いや、一番楽しんでいたのは
その彼女よりも私だったかもしれない。

だってそうでしょ?
彼女にすれば
連れて行ってもらう。
その相手が自分のためのわがままなことに従って、
もしくは、同情心から
動いてくれたとしたら
とてもとても、気を使ってしまう。


一緒に楽しんじゃえばいいのだ!
彼女が気を使わずに済む!


前から約束していた『CMに出てきた街』
千葉県香取市佐原





日本の地図を作った、伊能忠敬さんの生家のある街。

もちろん、『伊能忠敬記念館』もあり、日本地図に晩年の命をかけた足跡と苦労を物語る場所

しかし、今回訪れたのは
その伊能忠敬さんの生家近くにある、小野川沿い。








その昔、小江戸と呼ばれ
伊勢神宮をお参りして
江戸に戻った人々が
香取神宮、鹿島神宮を参拝するために寄った街でもあり
水郷の潮来とも通じていて
商人が集まる街だった。

古い商家が並び
また、新しいイノベーションで
古い街並みを残したまま
それぞれの商家が『町の博物館』として、町巡りができる。

家々の形態は、
京都の町屋と言う感じ。

間淵が狭く、奥行きがある家々

この川を挟んで
立ち並ぶ商家

映画のロケや、ドラマ、CMに
よく出てくる街

有名なシェフのイタリアンや
フレンチの店もあり
町屋を利用したカフェも沢山立ち並ぶ

景観を損ねないように
あえて看板がないので
どんな店かがわからない。

そこは
持ち前の誰にも話しかけることを厭わない私の出番

『ここは、何屋さんですかー?』

そして、ひとしきり
そこの女将さんと話し込む

年下の彼女は言った
『リアル、ぶらり旅のようだゎ』

私もたくさん、楽しんだのよ。

岡山の美観地区と似ているけれど
歩く距離はこちらのほうが長い。

それに、人と町が馴染んでいるせいか、親しみが湧いてくるような暖かさを感じるように私は思う。

カフェや商店を巡り
街並みを楽しんだ。

彼女の顔が
だんだんと穏やかになり
笑顔が増えて
私のほうがはしゃいでしまった。











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糸島『パーム・ピーチ・ザ・ガーデンズ』にて

2019-12-11 11:43:00 | 旅行
先日、義母の病院に行った際に
息抜きにと
息子ファミリーが連れて行ってくれた、福岡県糸島市。

福岡の湘南と呼ばれているそうで
今や、フォトジェニックな(笑)
インスタ映えすると言われている場所になった。

昔は、通り過ぎていたはずが、、。

色んな作家さんがその景色や
作物や気候が気に入って
ひとりふたりと移住して来て
今のフォトジェニックな糸島になったと言われたりしているようです。

塩作り、手作り石鹸、生活雑貨
サーフボード、カフェ、レストラン
個性的な店が点在している。

今回、すべてを周るわけにもいかず
一番のスポットと言われる『パーム・ビーチ・ザ・ガーデンズ』
6店舗の様々な店が
小さな湾に沿って建っている。








ちょうど、
夫婦岩があり、鳥居がある。
桜井二見ヶ浦と言うらしい。






どこかでみたような?

三重県伊勢市にある二見浦を思い出す、夫婦岩。

伊勢市の夫婦岩からは、朝日が。
そして、こちらの夫婦岩からは、夕日を。
『日本の夕陽百選』に選ばれた夕景だそうです。

その二箇所を訪れたなら
ご利益があるとかないとか。

夫婦岩ですから、夫婦円満や縁結びのご利益ですかね。

そして、紛れもなく日本海です。

昔々、京都の丹後地方、それこそ、舞鶴の近くの海に行った時の日本海の印象は
波が荒く、暗くて深い。
まさに、演歌に出てくるような印象が、山口県萩市の海は
同じ日本海であっても、砂は白く
コバルトブルーに近い色をしていた。

ここ糸島も
海岸を見ると、ちょっと日本ではない感じなので、日本海?

山口県から続く海岸線
糸島までは、唐津の虹の松原が途中にあることを思えば
西日本の日本海は、なんて美しいのだろうと思ってしまう。

時間がたっぷりあったわけでなく、
まして、雨が心配なところを
超晴れ女と晴れ男がいたせいか
私の強力な雨女が居ても
雨の予報が、曇りの少し薄陽さえ刺す日にしてくれたようである。

そのビーチのサーフショップの横にある、ハワイアン料理の店で
もし、私が相方と来ても
おそらく絶対に入ることの無い店だと、選んでくれた息子ファミリーの提案で、私はハンバーガーを食べた。





(↑こちら、すこし離れたカフェでのコーヒー。プラスチック問題を重視して、蓋なし。結局、船の帆崎のように折り畳まれたところから飲みますが、、コーヒーが口に届くまでの飲み心地は、新しい感覚)

バーガーは、ボリューミーで
パテの肉が1.5センチはあろうかと言うもので、むろん、かぶりついたのは言うまでもなく、
肉汁と中のソースをポタポタと垂らしながら、
目の前にある海を見ながら
至福のひとときを過ごさせてもらいました。








日頃、こちらのブログにも
書いたことがあるけれど
カーナビも、スマホも見ずの
ドライビングはどれほど楽なことか!
道や店の選定は
若い夫婦に任せて、後部座席で
となりのちっちゃくても女子を
笑わせながら、一緒に歌いながら
楽しく愛しい時間

きっと
年を重ねても忘れないだろうと思うひとときでした。

けれど
もう一度、行きたいなぁ。
















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京都の旅の最後(東京駅難民になる)

2019-09-12 22:30:00 | 旅行
京都の旅、最後の日
ご機嫌な朝食をとり
トランクに荷物を詰め込んだ
お土産もシッカリと持った

さぁ、いざ行かん

目指すは、京都駅八条口のコインロッカー

あと一箇所
新幹線に乗る前に
行っておきたい場所があったので。

次に目指すは『東寺』
弘法大師ゆかりの地

真言宗としては見逃せない場所。

ここも、いつも行こう行こうと思いつつ
決して来れなかった場所









今回の旅は
今まで行けなかったところをめぐるような旅で
本来、京都に来た目的は
娘の婚約者さんの親御さんに会いにきたというのに
ついでとはいうにはあまりにも豪華版

東寺は、
お大師さんが描きたかった立体曼荼羅がある

色んな仏像が意味を持ち
そこにおわします

のちに、ここから
即身成仏となるために高野山に渡った書かれていました。

呑気にこうして京都の最後を
最後まで満喫。


関東に上陸した台風
大雨と大風に思いを馳せることなく
昼前には
新幹線に乗り込んだ


新幹線が動いてるから大丈夫!
何故か妙な自信めいたもの


新幹線の中でお弁当を食べていると
家のご近所さんから連絡が入ってきた

『かえってきても停電してるから
そのつもりで。
それから、瓦が何枚か壊れているよ』

そうなんだーと。
半ば他人事のようにメッセージを受け取って
新幹線が動いてるんだから
普通に自宅に帰れる!
帰ったら、どんな具合かをみてみよう、、、と。


私の乗った新幹線は、
東京駅に10分遅れで着いた


駅構内の
あたりを見渡すと
物凄い行列の場所と
途方にくれた顔のような人だらけ
みんな疲れた顔をしていた、なぜ?


私達さっさとこれから電車に乗ろう!

電光掲示板を見た

運転見合わせ、、、

この文字を何個見ただろう。


疲れた足を引きずって
元来た改札を見るも同じこと

もしかして
もしかして

私たちは、東京から出られない?
家に帰れない人になってる?


東海道本線、新幹線のほかは、
山の手線がかすかに動いてるだけで
高速道路も不通
家のもよりのインターチェンジなぞは、行き着くのは不可能だと言われているのと同じ。


高速バスもダメ
快速もダメ


せめて、成田空港までいければなんとか帰れそうだから
検索するも、その時は
成田空港内は、陸の孤島化していた。

叫び声が聞こえそうなほど
ニュースが飛び込んでくる!


東京駅と成田間が寸断されたんだ!


認識するのに、どのくらい時間がかかったんだろう、まさか。
その線だけは、何があっても
揺るぎないだろうと思っていた私


佇んで、トランクを脇に
しゃがみこんでしまっていた。

次第に息がしずらくなる
パニック症候群の前の予兆
冷や汗と、動悸

マズイぞ!

そう思った途端、大きな声が飛ぶ

『ここ通ります、空けてください。
緊急搬送です、空けてください』

担架に乗せられた、どこかの婦人が運ばれていく。

怖い、、、。

このまま、ここに居る訳には行かない。

東京駅の近くのホテルを
押さえることは可能か?
動いている電車はあるか?

自然とスマホで行き先を入れた

各電車会社の『運転見合わせ』の文字。

しかし、数時間前のまま
新しい情報ではない

ツイッターの誰かの言葉が突き刺さる

常磐線がノロノロと動いているのは何故だ?被害はなかったのか?

誰かのつぶやきをみた

2分前になっていた

立ち上がり、トランクを持ち
『常磐線、常磐線はどこだ?』

常磐線の特急があと少しで出発らしい。
全て指定席となっているせいか、
人はまばらだ

ツイッターでは
どこかの電車では、電車に殺到する人達で、気分を悪くなった人が出たとも、書いてあった

これなら余裕で、
車を置いてある駅までいける!
思わず飛び乗ったら
すぐに発車した

アナウンスでは
指定席、特急券が必要ですと、繰り返す。
私達は、無賃乗車してるの?

相方は、堂々としたものだ。
お金なんていうのは
後からなんとでもなる
新幹線を降りた時、改札は再び新幹線のチケットを吐き出したので
改札を通ることなく乗り込んだ特急

生きたここちがしなかった。

行き先の途中でまた、止まる。
倒木があるとのこと。
しばらく待たされたあと

『柏駅まで行かれる方は、となりに各駅停車が入ってます。
そちらへ乗ってください。
ただし、特急券は払い戻しはいたしません』

誰も動かない。

しかし、私達は手を上げ、その特急から降りて、柏駅行きの各駅停車の電車に乗った。

柏駅までは、そのままスムーズに行ったが、また、倒木のため止まった。
柏駅で降りた。
清算するため、スイカと新幹線のチケットを駅員に渡した。
計算されたのは各駅停車の電車分ほど。

あ、助かったー。
ホッとして、バスを探したが
もうバスは無かった。


タクシー乗り場までは、
また、反対側の出口

重いトランクを抱え
階段を上ったり降りたり。

かといって、タクシーがいるとは限らないし、沢山のお客さんがならんでいるかもしれなかったが、
もう、そうするより術はないように思えた。

タクシー乗り場では、お客さんが3人。
車が一台のみ

待っていてもどうなるか、、、。
けど、全く来ないわけではないだろう。
10分ごとに一台ぐらいのタクシーが入ってくる。
缶コーヒーを飲みながら待った

あたりは、夕方へ。
夕暮れになっても、生ぬるい風
ビルとビルの谷間

汗だくの時間

やっとタクシーに乗れた

事情を説明し、車を置いた駅の名を告げた

二本の国道を使えるが
どこも、渋滞のため、数時間かかるという
利根川の河原を走り、昔の街道をいけば、もしかしたら、渋滞にはまきこまれないかもしれないとドライバーが言った。

もう、こうなれば賭けだ

『お願いします』

そう言ったあと、走り出した。

1時間半。
タクシーは、走った

目的地である駅に着いたときはあたりが真っ暗で信号も付いてない状況だった

自分の車を駐車スペースから出して
自宅へ向かう

途中で明るい道に出て
営業している飲食店を見つけ
とにかく食べて、
また走らした

自宅に着くと
自宅の駐車場のコンクリート部分は
枯葉、落ち葉、木っ端が一面に
敷き詰めた状態で
コンクリートが見えない

ミシミシとした足元
スマホの懐中電灯を照らしながら
家の中に入ってからすぐ
震災を経た後に、災害用に作った階段下の木箱の中から
ランタンとろうそく、電池を取り出した










震災の教訓が役に立つなんて。

まさか、台風の後とは思いもよらなかったけど。

見える範囲で目視して
連絡しなきゃいけないところに連絡したあとは、疲れて眠ることにした

朝が開けて
被害の確認。














既に停電から1日が経っていた

停電が解消されたのは
次の日のお昼過ぎ

冷蔵庫には旅に出るために 
ほとんど空っぽにしていた

何が幸いするか分からないものだ


うちは、まだ、これでも感謝です。
この暑さ、停電されているお宅が沢山いらっしゃる

今回の台風は、
私自身、出会ってない。
みんな口々に言った
『こんな怖い思いは初めてだった』

ご近所は、うちと同じか、すこし軽い程度の被害

旅は、家に帰った時に完結するという。

待っていたのは、停電と、ちょっとした被害


けれど、うちより酷い地域、
方々に、お見舞い申し上げます。
1日でも早いライフラインの復旧を
お祈りしておりますm(__)m










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京都2日目

2019-09-11 09:18:00 | 旅行
冷房が少し私にはキツすぎた朝の目覚め。

涼しいほどにも限度がある

相方は
朝早くに走るんだと出て行ったきり

一人で上掛けをクルクル足に丸めて
二個ある枕を一つ抱えてた

カーテンを開けるとそこは
朝だと言うのに
もう日差しは眩しかった

そうだ!
台風はどこに行った?
京都に来る直前まで
新しく発生した台風15号の行方ばかりを気にしていた

スマホを開けて
やや北に傾いていく、いくつもの円を眺めていた

私はここにいるよ
そっちに行くの?
そっちは、私の家の方角なのに

こちらを晴れにしてくれたのね

だけれど
もっともっと右のほうに曲がれ!
願いつつ
軽いシャワーを浴びた

クーラーで冷えた体には
少しの温水だけでも熱く感じる

今日は
大阪から私の従姉妹が
会いに来てくれるので
ランチを川床料理に行こうと約束してある

少し急かされてる気持ちのまま
朝ランから帰ってシャワーを浴びた相方と朝食のイタリアンレストランに行った

最近のホテルの朝食は
ビッフェスタイルが多い
ここ京都では
朝ごはんだけを提供する店も増えて
ホテルは、素泊まりだと言う人もいる中、朝から出歩く気も起きなくて
そのままホテルでの朝食が
私にはお気に入りとなっている


軽い気持ちと急かされてる気持ちで
ビッフェの数々の惣菜、サラダ
飲み物を繰り広げられてる場所に立ったら
さっきまでの自分の気持ちが
全て打ち壊された


京漬物、おばんざいの品数に
目を奪われてしまった

『何食べよ、好きなものばかり』




とりあえず、とりあえずと
独り言のように取り込んだものは
やはり半分が京漬物
半分が、おばんざい

万願寺とうがらしとジャコの炊いたの
賀茂茄子の炊いたの
かぼちゃの漬物
千枚漬け

フルーツウォーターには
グレープフルーツにリンゴ酢が少し入っているのか
朝はスッキリと喉越しが良い

あとから
お抹茶を点てるコーナーで
おうすを飲むつもりが
もう、これだけでお腹はいっぱい

ビッフェに行くと
いつも思う
もっと食べたい
あれもこれも、、、。
自分のお腹と相談するのはやめにして、別腹の別腹が開いてはくれないかと思ってしまう。


朝、娘と婚約者が
時間より早めに迎えにきた

川床料理の前に
世界遺産の二条城に行きましょうと。

歩くこと15分

高校時代の卒業旅行の時に
行きそびれてしまったままの
二条城を目の前にした


大政奉還が会議された場所
黒書院の数々
見事な装飾の葵の御紋
ハスの花の欄間
部屋の襖絵は侍の位ごとに絵図が変わっていく

写真が撮れないことにイライラするが仕方のないこと
外観だけを残すことにした














見事な石垣
掘りの中の緑の水の中の大きな鯉達

なぜか
故郷、和歌山城を思い出しながら歩いていた


お寺やお宮さんには御朱印がある。

お城には『御城印』と呼ばれるものがある。
私は御朱印帳しかなく、
一緒に書いて頂くには、趣旨が違うため、今回は諦めたが
娘達はこれから2人で歩んでいく夫婦の趣味として、お城の御城印を集めていくのだそうだ。

程なく
従姉妹達と合流する時間が来て
待ち合わせの場所へ移動した

久しぶりの再会
尽きない話

川床料理の料理屋さんから
出向いてきたマイクロバスに
話しながら乗り込んで行く

私と従姉妹達親子との会話に
娘も婚約者も、
うちの相方さえ話に入る隙がないほど関西弁が、炸裂していく

マイクロバスは、
嵐山の奥へ奥へ
高雄の山々をすり抜けて
あっという間に到着した

ここはまた別世界だった











昔、この上から見下ろした
高雄パークウェイを秋の紅葉の頃だった

今は青々した紅葉が
残暑の強烈な燃え残りの光に照らされながら
透けて、塊になった影が
涼を運んでくれていた

これが
川床料理の醍醐味
風流な京の遊びのひとつ
一通りのコース料理をいただく

美味しいものを目の前にすると
うなり、黙り、喋る

皆を巻き込みながら
笑いあいながら
私と従姉妹の昔話が繰り広げられて
相方も娘も知らなかった幼い頃の私の姿に思いを馳せているようだった

従姉妹が話す私の話
私が話す従姉妹の話

従姉妹の娘は目を丸くしながら聞いていた

不思議なもので
真実は当の本人より
ほかの人から聞くことにより
より真実味が増す

私が両親を亡くして
私の幼い頃を知る人は
一番近い場所にいた、この従姉妹だけになってしまったことが
より愛おしさを募らせていく

従姉妹も
年老いていく従姉妹の母と
色んなものを重ね合わせ
ゆくゆくの姿を私に見ていたのだろう

もう、互いに自分の幼い頃を知る人物が
この世から一人二人と去っていくこと。
残された自分達は
親達のいにしえで繋がっていることに感謝しょうと語り合った


次第に
昔話を聞き飽きた若者達は
清流に足をつけて
小さな子供のように遊び始めた


時間が来て
また、マイクロバスに乗り込み
途中で下車させてもらった

向かうは嵐山
そして
ここにも、昔、行きそびれてしまったままになっていた天龍寺へ



天井一面に龍がいる

どこをどう歩いても
睨み続けてくる龍の目
『睨み龍』
怖くはないが、その大迫力の大きさに息をのむ

上を見上げたまま
口を開けたまま
無言になる

ここも撮影は許可されていない

(パンフレットより)




そして
お決まりの渡月橋を渡り
従姉妹達を駅まで送り
自分達もホテルの途についた


嵐山の辺りはすっかり様変わりしたけれど
渡月橋から見た川の風景は昔のままだった





夕方に差し掛かっているものの
暑すぎて汗が止まらなかった



軽い夕飯のあと
ホテルの最上階の温泉に入り
スパ・ラウンジで
柚子酢の水割りを飲んだ


疲れと懐かしさ
きっと今日のことは
ずっと、先にまで思い出と残ることだろう


至福のこの時
有り難さ、幸せな時間


次の日が
長い怒涛の一日になるとは
この時、予想もしていなかった。













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