惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

12月2日(金)のつぶやき

2011年12月03日 | miscellaneous
08:35 from web (Re: @yakko_bot
そんなわけあるか、と思って調べてみたら「人は」じゃなくて「いまの人は」だった。勝手に限定取ったらあかんがなww @yakko_bot 人は、みな何かをしなければと思いすぎる  by心理療法家・河合隼雄
08:42 from web
実際「人はみな」というのだったら、それは人間の本性だということになるから、「思いすぎる」とか言われたって思うもんはしゃーないやないか、という話にしかならない
08:45 from web
もちろん字面上は「いまの人は」でも広すぎるのだが、こういう言い方は世相を眺めてそのふいんきなり典型例なりをとらえて言う場合に使うわけだから、ただ「人はみな」というのとはまるで意味が違ってくる
08:50 from web
もっとも本当に限定を抜かして「人はみな」と言えるのではないかという面がなくはない
08:53 from web
その場合「何かをしなければと思う」のではなくて実際には「していることが『何か』だと思いたがる」という格好になっている
08:55 from web
つまりしていることを意味づけずにはいられないということで、それは人間の本性というよりは人間の言葉の本性だ。「言葉は、みな何かを意味せずにはいられない」のだ
08:59 from web
「コトバダト ウソニナル」ことが多いのもそのためだ
09:02 from web
「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」ハ オレノ コトバダ
23:08 from gooBlog production
THN1-3-14(12) http://t.co/sbKvhHQK
by celsius220 on Twitter
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