惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

TRW-S00b (ver. 0.1)

2010年12月12日 | TRW私訳
第1部序(承前)

伝統的な哲学の問題としては、この問題は多くは心身問題のような形で論じられてきた。その他の、社会的存在論の本性のような問題は伝統的な哲学ではそれほど論じられては来なかった。全体的なアプローチは、伝統的な哲学にせよ現代哲学にせよ、哲学的な問いを異なる光のもとで鋳直すものである。なぜなら我々は、哲学における先人達のように認識論的な発見とか懐疑論の克服とか知識の可能性の極限とかいったことに、もはやとらわれてはいないからである。我々は今や宇宙の基本的な構造の知識を当たり前のものと見なすことができる。そして、いかにしてこの枠組みに我々の自己の概念を適応させる(accommodate)か(適応させられるなら、であるが)を問うのである。

それはわたしの理解する限り、哲学における現在の課題である。たぶん最後には我々が最も大事にしてきた仮定、たとえば自由意志のような仮定のいくつかを諦めなければならない。たぶん我々は現実の全体的な概念が、我々は本物の意志の自由を持つという我々の信念と矛盾しないようにすることはできない。この哲学プロジェクトは、わたしがそう書いたことがある通り、一生涯を上回る規模のものである。しかしこの機会に我々がそのプロジェクトの発展のどのあたりにいるのかをまとめておくことは価値あることでありえよう。プロジェクトのある部分はより易しい。それらには科学的難問がつきまとうものだとしても、少なくとも哲学のかかわる側面においては易しいのである。またある部分はより難しく、たぶん最後には求解不能だと証明されることになるだろう。ただいずれにせよ、わたしは今やわたしがそのプロジェクトに関して仕事をしていると思っているところをまとめようとしているのである。

我々はこの途方もなく大きな宇宙の中にいる。その宇宙の大部分はからっぽであるが、しかし天文学的な数の分子を含んでいる。その分子は原子から、原子は素粒子から構成されている。そして分子の大部分はより大きな系の一部である。それから我々の小さな惑星においては、あるいは他の似たような太陽系の似たような位置にある惑星においては、すべての惑星において同じ時期に起きる必然性のない驚くべきことが起きる。生命の誕生である。それは我々の理解における最初の欠落である。我々は生命の起源を理解していない。我々はいつどこでどのようにして我々の惑星の上に生命が誕生したのかを知らない。しかし我々はそれがとにかく始まりを持つものであり、進行するものだということを当然のこととみなす。そこで、再び我々の小さな惑星に話を限定すると、30ないし50億年にわたって生命は現在あるような形態のすべてに進化してきた。我々が持つものは単なる物理的な粒子系ではない。それらの系のあるものは生きている。それらは主に炭素化合物、窒素、水素、酸素を大量に含む炭素化合物でできている。周知の通り、これらの生命形態は現在の植物および動物種となるまでに進化したのだということを仮定しよう。次の発達は哲学的問いの目録の中で最初の重大な問いを提起する。それは心的現実のはじまりということである。

(第1部序おわり)
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