久しぶりにこのカテゴリにひとつ追加してみよう。
まだ全部を読んではいないのだが、読んだ範囲のことで言うと、この本を読んで著者の哲学者としての力量を思い知らされるとか、そういう本ではないのである。
そうではなくて、この本は、この十数年間にわが国で起こったさまざまの出来事や風俗の転変について、その時々に著者が書いてきた文章を、時間的な順序とかもあまり気にしないでポイポイ並べたような本である。文体もそうした構成に相応しく軽いのだが、扱われている題材は決して軽くないのである。
そもそもこの十数年間、わが国ではろくなことが起こったことがないのである。そのひとつひとつについてただ漫然と普通のことを書いて並べたとしたら、読み終える頃には自殺したくなるほど暗い気持ちになってしまうに違いない。そうかと言って奇矯な逆説に終始してみせたところで、本当は読者は白けるだけだ。日本がいまどん底なのも、これからも当分はどん底のままであることも、今や誰でも判っていることだからだ。面白くもない過去現在未来の姿を改めて他人の文章として読まされたいとも思わないし、逆説を弄して「そうではない」ゆえんを説かれたところで、そんなもの嘘に決まっていることは、人々からはとっくに見破られているのである。実際、そうした動向に気づく余裕すらなくなった出版社やメディア企業が、いま相次いで大赤字を出したり経営難に陥ったりしているのではないだろうか。もっとも、左前はこの「ちくま学芸文庫」も例外ではない気がするのだが(笑)。
読んでそうした暗さや嘘くささをそれほど感じないというだけでも、この著者の物書きとしての力量は相当なものだと言いたいわけだ。正直に言えばわたしはこの著者の主張していることのいちいちにツッコミを入れたくなる種類の、つまりまったく異なった考えの持ち主だ、けれどもここでそれを開陳する気にならないのは、たぶんこの著者が「自分を持っている」し、その自分から自分の言葉を紡ぎ出している、少なくともその意味においては間違いなく一級の哲学者だからだと思う。
重ねていうが、この本から著者の哲学を読み取ろうとしてもまず無駄だとは思う、けれどもプロの哲学者が日々不可思議な論理をこねくり回していることのほかに自らの内側にはたとえば何を蓄積しているのか、その一例を読み取るには格好の本だということになるのではないだろうか。
新編 普通をだれも教えてくれない(ちくま学芸文庫)鷲田 清一筑摩書房Amazon / 7net |
そうではなくて、この本は、この十数年間にわが国で起こったさまざまの出来事や風俗の転変について、その時々に著者が書いてきた文章を、時間的な順序とかもあまり気にしないでポイポイ並べたような本である。文体もそうした構成に相応しく軽いのだが、扱われている題材は決して軽くないのである。
そもそもこの十数年間、わが国ではろくなことが起こったことがないのである。そのひとつひとつについてただ漫然と普通のことを書いて並べたとしたら、読み終える頃には自殺したくなるほど暗い気持ちになってしまうに違いない。そうかと言って奇矯な逆説に終始してみせたところで、本当は読者は白けるだけだ。日本がいまどん底なのも、これからも当分はどん底のままであることも、今や誰でも判っていることだからだ。面白くもない過去現在未来の姿を改めて他人の文章として読まされたいとも思わないし、逆説を弄して「そうではない」ゆえんを説かれたところで、そんなもの嘘に決まっていることは、人々からはとっくに見破られているのである。実際、そうした動向に気づく余裕すらなくなった出版社やメディア企業が、いま相次いで大赤字を出したり経営難に陥ったりしているのではないだろうか。もっとも、左前はこの「ちくま学芸文庫」も例外ではない気がするのだが(笑)。
読んでそうした暗さや嘘くささをそれほど感じないというだけでも、この著者の物書きとしての力量は相当なものだと言いたいわけだ。正直に言えばわたしはこの著者の主張していることのいちいちにツッコミを入れたくなる種類の、つまりまったく異なった考えの持ち主だ、けれどもここでそれを開陳する気にならないのは、たぶんこの著者が「自分を持っている」し、その自分から自分の言葉を紡ぎ出している、少なくともその意味においては間違いなく一級の哲学者だからだと思う。
重ねていうが、この本から著者の哲学を読み取ろうとしてもまず無駄だとは思う、けれどもプロの哲学者が日々不可思議な論理をこねくり回していることのほかに自らの内側にはたとえば何を蓄積しているのか、その一例を読み取るには格好の本だということになるのではないだろうか。