このシリーズで考えていたようなことを専門の精神科医がどんな風に見ているかは、この本にだいたい書かれているような気がする。
どうしてこの本が唐突に出てくるかというと、Webやtwitterをいろいろ検索しているうちに、ある人が「中井久夫センセイがこの本はいいと仰っていた」と呟いていたので、じゃひとつ読んでみるかと思って読んでみたわけである。もちろんわたしは精神医学についてほとんど何も知らないので、この本について踏み込んだコメントを書くことはしない。Amazonの書評にしてもWebのあちこちで書かれている書評でも、概ね好評のようである。
ひとことでまとめてしまえば「広汎性発達障害」ということになる。まあ文字からしてひどく漠然とした診断名ではある。著者にしても、そういう診断を下すには下すにしても、「世が世ならこれは発達障害でも何でもないし、普通に暮らせる人達であったはずだ」というようなことも繰り返し述べていて、それが題名になっているわけである。
この本の中で著者が書いている自らの体験の中に、わたしが言おうとしているようなまさにそのものに近いことが書かれているので、それを引用しておく。
むろん著者は日本人の言語能力がもともと低いという風には考えていないし、書いてもいない。あくまでも近年における日本社会の変化がもともとなかった種類の障害とその症状を生み出しているという線で見ている。
わたしの方は、専門家の冷静な見方というのはまずはこのへんにあるのだということを踏まえた上で以後も考察を続けたい。もっともこのシリーズ題(ひょっとすると)で書くのはこれで終わりにする。
時代が締め出すこころ――精神科外来から見えること 青木 省三 岩波書店 Amazon / 7net |
どうしてこの本が唐突に出てくるかというと、Webやtwitterをいろいろ検索しているうちに、ある人が「中井久夫センセイがこの本はいいと仰っていた」と呟いていたので、じゃひとつ読んでみるかと思って読んでみたわけである。もちろんわたしは精神医学についてほとんど何も知らないので、この本について踏み込んだコメントを書くことはしない。Amazonの書評にしてもWebのあちこちで書かれている書評でも、概ね好評のようである。
ひとことでまとめてしまえば「広汎性発達障害」ということになる。まあ文字からしてひどく漠然とした診断名ではある。著者にしても、そういう診断を下すには下すにしても、「世が世ならこれは発達障害でも何でもないし、普通に暮らせる人達であったはずだ」というようなことも繰り返し述べていて、それが題名になっているわけである。
この本の中で著者が書いている自らの体験の中に、わたしが言おうとしているようなまさにそのものに近いことが書かれているので、それを引用しておく。
彼を診察して、私(著者)は20年前、ロンドン郊外のベスレム王立病院にある青年期精神医学専門の青年期ユニットに留学していた時のことを思いだした。早口の英語でやりとりされ、断片的にしか理解できないミーティングに、朝から夕方まで参加していた。しだいに強い疎外感や孤立感を感じるようになっていった。それだけでなく会話の内容を充分に理解できていないことを皆に馬鹿にされているように思えてきて、恐怖感にも似た思いを感じるようになった。話の中で皆が笑い、その笑いに取り残された時、あたかも自分が笑われているようにさえ感じるようになった。日本で仕事をしていた時のような連帯感もなく孤立していた。少なくともそう思っていた。 いつまでたっても進歩しない自分の英会話能力に、自分のアパートから一歩も外に出たくないような気持ちにさえなったが、その中でひとつ分かったことがあった。理解できていないのは言葉としての英語だけではない。英語の背景にある、イギリス人の表情や態度、考え方、人間関係の持ち方、それに加えて議論のポイントや展開が日本でのミーティングと異なり、大きな流れが読めなかった。困っている人への姿勢、当たり前と思っていた治療や援助の文化も違っていたのである。まさにイギリスの文化そのものが、理解できていないということが分かったのである。それだけでなく、言葉の背景にある文化がその場面でかもしだす空気や雰囲気が読めないから、簡単な英語でさえ聞き取れないし、伝わる英語がしゃべれない、というごく簡単なことに気づいたのである。(pp.77-78) |
むろん著者は日本人の言語能力がもともと低いという風には考えていないし、書いてもいない。あくまでも近年における日本社会の変化がもともとなかった種類の障害とその症状を生み出しているという線で見ている。
わたしの方は、専門家の冷静な見方というのはまずはこのへんにあるのだということを踏まえた上で以後も考察を続けたい。もっともこのシリーズ題(ひょっとすると)で書くのはこれで終わりにする。