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惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

rationality in decision

2011年05月15日 | 外為相場分析メモ
暑くなってくると哲学はどうしてもはかどらないというか、特に休日はやる気がしない(笑)。今日なんかはもう暑くて何もしてないわけである。

実際、これまでもこの季節はこのblogは休業していることが多かったわけである。しかし今年の場合、THNの私訳は全然始まったばかりであるわけで、ここで休業すると、再開する頃にはやる気がなくなっているに決まっている(笑)のである。だから今年は休業にはしないで、単にペースを落とすことにする。また、書くネタもあんまりアタマを悩まさずに済むようなものを主軸にしてみる。

その「あんまりアタマを悩まさずに済む」ネタのひとつがこの外為相場分析である。つべこべ言っても実際に賭けてはいない、ヒストリカルデータをいじくり回して面白がってるだけだから、まあ正真正銘のお遊びである。



最近気づいたことのうちでまだ書いていなかったことのひとつは、エントリ/イグジットの合理的な条件ということである。

多くの場合、というか99%はそうだという気がするのだが、エントリにせよイグジットにせよ「レートが××円になったら」という条件で行われているわけである。あるいは何か別の指標と組み合わせた条件になっているにしても、その指標は過去のレートに基づいて算出されているわけだから、結局はレートで判断しているのだと言っていい。けれどもざっくり言って、こうした判断には何であれ合理的な根拠がないのである。エントリの側で言えば、いったいどんな条件でエントリするのであるにせよ、その判断は有限の未来においてレートが上がるとか下がるとかいう予測に根拠づけられているわけである。そして一般的に言ってそのような予測には合理的な根拠はないのである。

もちろん非常に曖昧な傾向性のようなものは認められる。それもなかったら外為相場は、システムリスクが何もなかったとしても(たくさんあるのだが)勝てる道理がないことになってしまう。事はそこまでひどくはない。何かは確かにある。ただそれがあるということを合理的な判断と呼ぶことができないだけである。多くの失敗は、というか確実に失敗をもたらす戦術上のオカルトは、根源的なところで合理的でないものを合理的であるかのように見なしてしまうところから生じているように思える。つまり根源の嘘を、さらなる嘘と屁理屈で上塗りしているうちに正真正銘のオカルト相場理論が出来上がってしまうのである。

(つづく)

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外為相場分析再訪・付記

2011年05月12日 | 外為相場分析メモ
今日は熱を出して仕事も休んでしまったので、THN私訳の方もお休みである。

仕事や翻訳はできなくても下みたいな原稿なら書けるのかといって、書けるわけである。こういうことを書くのに頭を使うところは、ほとんどない。せいぜい最後に「コインを百回投げて70回以上表が出る確率」をExcelで計算したことくらいである。これだってExcelにはBINOM.DIST関数という、二項分布の累積確率を一発で正確に求めてくれる大変便利なものがあるわけで、いちいち式を立てる必要もないというか、累積確率の精密な計算は不完全ベータ関数とかを使うわけで、これは、さすがに熱にうなされながらできることではない。

それにしても私訳を休みにするのはいくらか気がとがめることなので、少し書き加えてみる。下の記事の例はもちろんわたし自身がつい最近自分でやらかした失敗を、ほぼその通りの経緯で書いたものである。こういう勘違いは教科書にでも書いてない限りしょっちゅうやらかすわけで、だから対照実験のようなことは「まさか」と思いつつも必ずやるわけである。相場分析というのはその「まさか」がたいてい正解だったりするから実に怖い。自分でも気づかないうちに無意識の願望(欲望か?ww)が、仮定に、モデルに、結果とその評価に、さらには論証にさえ紛れ込んでいることがある。

で、まあ、下は失敗のハナシだが、実のところ失敗ばかりしているわけでもない。詳細は省くが(笑)連休中に作ってみたモデルのひとつは、スプレッド2pip程度までなら明瞭に利益を出すことができるものだった。対照実験もクリアした。ほかのことがなければこれをそのまんまMetaTraderのExpertAdvisorとして実装して動かしてみてもいいくらいのものである。

そして問題はもちろん「ほかのこと」があるということである。モデルは確かに機能するが、業者の鯖落ちとか、約定時のスリページとか、予告なしにふらつくスプレッドとか、外為投機の現実には千年に一度の大地震がさながら毎日起きているような無数のシステムリスクが待ち構えているわけである。モデルを改良することで耐久性はまだ若干上げられようが、これらのリスクを考慮してなお安定して利益を出せるようなモデルなんてものはおそらく存在しない。今のところそれはまだ、英雄になるために最前線に赴くようなものだといっていい。つまり弾に当たって死ぬならまだしも英雄のうちであって、素人金融ギャンブラの多くはそれ以前に輸送トラックの交通事故とか、兵営の集団食中毒とかで死んでいるのである。

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外為相場分析再訪

2011年05月12日 | 外為相場分析メモ
実は連休前からぽつぽつとこれを再開していたりする。実際問題としてホントにぽつぽつとした実験しかやっていないし、目立った発見もないし、仮にあっても「これは儲かる」ということには到底なりそうもない段階で、ここで書くのも躊躇われるので書いていない。ただ、いざという時にはいつでも本腰を入れて取り組めるように、最低限の関心は絶やさないようにしているわけである。

あと、これをやっていると仕事にも関係しなくはなさそうな副産物が時々できたりする。以前に実験をやっていたときには「指数重みつき移動分位数(EMQ)系列」なるもののライブラリを作ったりしていた。名前はいかめしいが要するに移動平均みたいなものである。移動平均の窓(重みづけ)として指数的減衰窓を用いる「指数重みつき移動平均(EMA)」の、平均のかわりに分位数(quantile)を、典型的には中央値(median)を用いるというものである。分位数一般の特徴として外れ値の影響を受けにくいということがある。外れ値だらけの相場分析にはたぶん移動平均よりも適しているはずである──外れ値に影響されない指標があるということは、何が外れ値であるかをそれによって、外部的な命題を導入するのでなくデータそれ自身を使って定義することもできるということを意味するわけである。・・・とはいうものの、実際にそれを使ってやってみた分析では、移動平均を用いた手法と比較してとりたてて顕著な結果は得られなかった。それで、まあオクラ入りとなった。

今回やっている実験は、ある意味初心に帰って「直前の過去数期間のデータから一期先を予測する」手法の実験である。この方法は、線形予測を用いる限り何ら目立った結果はもたらさないことは、よく知られている。実際、ヒストリカルデータを用いた数多くの研究で立証されている。いくつかは自分でデータを入手して確認したことである。

とにかく線形はダメだが、非線形な場合については何とも言えないところがある。そのうちで前から有望そうだと思っていた方法のひとつを試してみているわけだが、やってるうちに面白いことに気がついた。

線形・非線形とを問わず、この「予測」的方法の特徴のひとつは、一見するとあたかも予測ができているかのような偽の結果を、いともたやすく生み出してしまうことである。いわゆるテクニカルチャートを用いた分析にしても、多くの場合それは過去のデータから何らかの絵(笑)を描かせ、その絵(笑)から未来についての何事かを判断しようとするものだから、広い意味ではすべてここでいう「予測」的方法のひとつではあるわけなのだ。そういうのは基本的に全部無効だというか、有効性が立証されたものは何ひとつないわけである。しかし、今でも素人金融ギャンブルと言えば、オカルトみたいなものを除けば基本的には全部テクニカルな手法を用いているわけである。どうしてなのか、ということは正当な疑問のひとつだとわたしは思っている。

以前にひとつ見出したことは、そうした「偽の手法」はしばしば本人も気づかないうちにマルチンゲールを構成してしまっているということだった。マルチンゲールは「コツコツドカン」で最後は元も子もなくしてしまう危険な手法だが、手法の構成如何によっては、致命的な「ドカン」が来るまでは他のどんな手法にもまして堅実な、むしろ真面目人間の生き方そのもののような(笑)手法に見える、という悪魔のような特徴があるわけである。「1日1歩、3日で3歩、3歩進んで1歩下がる」というあれである。だから、真面目は価値だと思っている人に限ってこの手の手法のどれかに誑かされることになりやすいわけである。

今回見つけたのは別の「騙し」である。インチキな予測手法はたくさんあるが、それらのインチキな手法にしても、一見するとインチキとは思えないというか、最初から最後まで真正の統計的手法を用いているものが少なくない、というか、たいていはそうなのである。そしてそのインチキな手法を使うと、数字の上では勝率が7割とか8割とかいうような途方もない的中率を持つような予測がたやすく生み出されたりする。それがインチキであると判るのは、実に、その予測を現実に適用してみて初めてわかることだったりするのである。つまり真正の理論によって作られる一方、真正の(ただし不十分な)理論によって誤りを排除し損う可能性が高い、という、これまた悪魔のようなインチキが「予測」手法の上には存在するのである。

いま直前の過去のN期分のデータを参照して一期先の値を予測させるとする。ただし線形性の仮定は置かないものとする。そうすると、各期の値を有限なM階級に区分するとして、全体としてはM^N通りの識別可能なパタンをもつことになる。一番簡単な場合でM=2(上がるか下がるか)とし、N=10とすれば、2^10=1024でおおよそ1000通りの異なるパタンを考えることになるわけである。そして、やってみればそうなることが確かめられるが、このパタン集合をヒストリカルデータに当てはめ、予測性の高さの順に並べると、最も高い予測性を示すものは、設定によって7割とか8割とかの的中率を示す「黄金パタン」である。

直前の10期の推移を眺め、それがある特定のパタンを描いていると思ったら、それっとばかりエントリして、少なくともその7割か8割は利益が出る、そんな方法がもしも本当にあったら半年で億万長者も夢ではない。この「黄金パタン」は、しかし、どんな種類の、またどんな大規模なヒストリカルデータを使っても、ほぼ必ず得ることができるのである。なにしろ計算機で作った完全にランダムなデータに対してさえ得られる(笑)──そんなバカな!

そう、最後の最後にわざと作ったランダムデータで対照実験をやってみて、初めて自分が間違っていたことに気づくのである。どこが変なのか。改めて考えてみれば、上の簡単な設定でもパタンは1000通りもあるのである。だからそのうちの10通りくらいはほぼ必ず「有意水準1%」の1%の方に入るわけである。いまの場合は約1000通りだから最もよいものは「有意水準0.1%」の範囲に入っていておかしくないわけである。可能なパタンの数を増やし、だいたいどれも均等に出現するくらいに大規模なヒストリカルデータを用いれば、その中には途方もない的中率を示す「黄金パタン」が、そういうわけで自然に──ただしもちろん無意味かつ無効な偶然として──生じるのである。

それにしても的中率が7割とか8割とか、冗談じゃないと思うかもしれないが、改めて調べてみると、どんなに大きなヒストリカルデータを用いても、パタンの数を増やせば、パタンが検出される頻度は少なくなるわけである。たとえばコインを百回振って70回以上表が出る確率は約0.00161%である。めったにないというか、まさしく無視できるほど小さな確率だと思うかもしれない。だがほぼ独立した1000通りのパタンがあるというとき、そのうちのひとつがこの条件をクリアしてしまうということは、決して珍しいことではないのである。

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