過冷却ってぇ現象がありますねえ。どんな現象かってぇと……ま、あたくしが説明するよりWikipediaの解説を読んでもらうほうが解りやすいかと思います。なのでWikipediaより拝借。
たとえば水を冷却してゆくとその融点である0℃で凍るのであるが、ごくゆっくりと温度を下げてゆくとより低温の水が得られる場合がある。その状態が過冷却にあたる。自然現象の雨氷や霧氷も過冷却によるものである。過冷却状態にある水に何らかの刺激(振動など)を加えると、急速に結晶化する(接種凍結)。
と、まあ、こういうもんです。
なんだか人にもこんなところがあるなあ、と思いましてね。日常ってぇのは平々凡々と過ぎていってるようですけど実のところ平々凡々とは過ぎてないんですな。ごくゆっくりとした変化はあるわけです。ゆっくり過ぎて変化してることにも気がつかず、また変化するきっかけも失っている。そんな気がします。
刺激が加われば相転移が起きる。けれど刺激を与えることなく生活してるから相転移が起こらない。そして代わり映えしない毎日の連続を嘆く。だがしかし代わり映えしない毎日なのはみずから刺激を与えることを怠った結果なのよ。
物事にはタイミングがあります。ジタバタしたところで時を得ないと上手くいかない。自分ではない何か、自分を超えた何かが作用しないことには動き出さないってぇことがある。確かにそれはありますが、だからといってタイミングは棚ぼた式にやって来るわけでもない。何もしないでいると相転移の機会を逃すことにもなります。
今ふとセレンディピティなんて言葉を思い出しました。上記のことに関係があるような無いような。
ともかくも、相転移の準備は既に出来ているのかもしれません。同じ毎日を生きているわけではありませんから。変化は降り積もっています。変化を起こす刺激を与えるかどうかは自分次第。
現状を維持したければそのままに。変化を望むなら一撃を。
前項は自戒をこめて。なかなか愛でいっぱいに出来ません(汗)
深くてとても楽しいです(^∇^)一瞬で変化するなんて出来なさそうですが、その過程を教えて頂くと、確かにあり得るのですね!(゚∀゚)
前作も〜世界中が愛をいっぱいにして、皆で生きたなら(!)きっとどこも平和になるのでしょうね、自分自身なかなか出来ない事と反省しつつ読ませて頂きました(^^)