光速(秒速299,792,458メートル(約300000キロ))で飛ぶ宇宙船に乗り、元旦の零時に太陽を出発。
まず、水星を通過、そして金星。
太陽から地球までの距離1億5000万キロを8分19秒で到達、そして、火星、そして、木星、土星、天王星、海王星を通過。
太陽を出発し5時間31分後に冥王星とその月へ到達。
旅は56億3150キロ離れた我々太陽系の端っこへといざなう。まだ、元旦。
太陽系を抜け、9つの惑星と太陽はあっという間に背後へ。
彼方に光る星々はあまりに遥か彼方で全く動かず、宇宙の空虚さを物語る。
1年経過、2年経過、3年経過、4年経過、
そして、5年目の4月19日、我々太陽系に最も近い星、Alpha Centauri Aを通過。
現在までに40兆2250億キロを飛んだが、旅は始まった瞬間である。
太陽から10光年(1光年=約10兆キロメートル)。これだけを旅し、遥か彼方の星はようやく収束を始める。
100光年、我々銀河系の螺旋の腕を構成するガスが見え始める。
1000光年。腕、ディスクが見えてくる。
10万光年。ようやく銀河系の螺旋全体がはっきりとしてくる。
ここでは全ての光の点は星ではなく個々の銀河であり、それぞれの銀河に何千億兆、何兆兆の星がある(10の10乗、1000乗の違いはあるかもしれない。数学的には恐ろしく莫大な違いだが、これでけ天文学的な数では哲学的に何の違いもないだろう)。
500万年後、我々銀河系はローカルグループと呼ばれる30ほどの銀河の塊の一部に見える。
5000万年光年、2000以上の銀河系からなる塊が見える。
さらに、さらに旅は続く。
10億年経過。
50億年経過。
100億年以上経過。宇宙の形が見えてくる。
銀河である光の粒がはかなく美しく漂う。
僕ら人類が宇宙で特別な存在と考えるのは傲慢に思える。僕らは宇宙にとってとても些細で取るに足らない存在で、僕らの存在に原因はあっても絶対的な理由などありようもないし、意味もない。
それをふまえた上で、地球が数十億年前に誕生して、生物は自然に芸術的に進化し僕らは現在にいたる。モラル、価値、意味を見出し、考え、考え自体を考え、想像、創造しる。宇宙の彼方に旅行できるのは何世紀、何百世紀先かもしれないが、思いは馳せることができる。
それぞれの経験、境遇、思い出、人々、社会によって彩られた個々の人生は誰のものでもなく個人のものであり、決して個人以外が主観的に体感できるものではなく、命果てるとともに全て埃の中へと消え去り、その後は生まれる前の状態へと戻るだけである。生まれる前のことは何も覚えていない。そのはかなさ無常さを見つめることで、僕らの人生は僕らにとって特別であり、今を生きなければと感じる。今があるうちに。
Twitterでシェア
Del.icio.usにブックマーク!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます