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謝るということ

2010-08-26 03:53:03 | イルミネーション



「ごめん」という言葉を心底から出すのが困難なときがある。人にぶつかったりなど日常の些細な場面では、「ごめん。」、「ワリィ。」、「すみません。」といつも言っているはずである。でも、ちょっと込み入った事になったり、相手が親しかったりすると「ごめん」という3語が喉に詰まり、関係がギクシャクし、苦い思いをすることになる。

なぜ謝れないのか。

・プライド
自分の非を認めることをプライドが邪魔する。

・羞恥
失態を恥ずかしく思う。自分でも呆れるほどのおバカをしてしまいとても認めたくない。

・怒り
謝罪が必要な事が一方通行なことは稀であり、多くの場合、両者の歩みよりが必要である。自分に非があるがあっちにも非がある。なぜ俺が謝らなければならないのかと。また、怒りのあまりにその怒りを正当化しようとしてしまう。

自分が一番大事でかわいいのは当然のことであり、それ故自分を防衛するのはごく自然のことである。でも、生死に関わるわけではないし、謙虚な心持で人間誰しも、いつも失敗するものだと受け入れる。自己否認では進化できない。

謝るとき
中には120パーセント自分が悪くなければ謝らない輩もいる。彼女が待ちぼうけを食ったのは俺のせいじゃないと。でも、完全に一方のせいということはほとんどないのではないか。例え自分で勝手に割り出した非の割合が5%(自分)で95%(他者)でも、謙遜し歩みよる余地はある。空想裁判で勝つために頭の中で相手の非を探すような日々は時間の無駄だし、精神衛生上よろしくない。些細なことで自分が正しいことを躍起に証明するより、健康な関係を持つことのほうが大事と寛大でいるほうが魅力的である。自分が正しいことを証明しても大してうれしくないし、ひとりよがりになりがちだ。

自分に非がなければもちろん謝る必要はない。でも発端以外にその後の過程の中でどんなに小さくても何か改善できることがあった場合、それについて自認すればお互いの歩み寄りがずいぶん楽になるものである。些細なエゴ、プライドに左右されず、率先して寛大になりたいものである。エゴ、プライド、感情の言いなりになるのは動物と同じである。

・たとえ誰も気づいていなくても
子供の時、弓矢でガラスを割ってしまい逃げたこともある。誰にもばれないようにと祈りながらハラハラしたものである。でも、貴方は子供ではない。捕まるかとか考えず潔く自首すべし。そして早く謝ったほうがよい。1日伸ばす度に両者の間の軋轢は深まり、関係は余計悪くなる。

謝らない時
・信じることのために
自分の信じることのために口論となり、声をあらげたり、罵るなどつまらない奴となってしまった場合は自分の愚かな振る舞いについて謝罪するべきである。でも、相手に敬意を持ってきちんとした形で議論した結果に相手を怒らせた場合、誤る必要なし。自分のハートにあるものについて謝る必要なし!

・無理難題を押し付けられたとき。
できることとできないことがあるものである。相手(上司)は平謝りを期待するかもしれないが、立ち上がり言うべきことを言うときがある。

・何でも
全てに対して謝ってなどいられない。視力が悪いなど誰のせいでもない。また、誰も気にしていないようなことを自分で持ち出し謝る。皆忘れてどうでもいいのに誤り続ける。謙虚を遥かに通り過ぎ尊敬すら失ってしまう。

謝る際
-誠実に謝る。ゴールデンルールである。不誠実な謝罪は、謝罪しないよりも悪い。同じ言葉でも不誠実な謝罪は明らかにわかるものである。

-謝罪するとき決して言い訳しない。誠実さと言葉の重みは言い訳によって半減する。

-自分の何が悪かったか、それによって何が及ぼされたかを述べる。状況を把握しており、事に関して真剣に考えたことを示す。何で誤っているかわからないけど、とりあえずというような謝罪に意味はない。

-その人に会い謝罪するのが一番よいが、“どうしてもできない”という場合はメールなどで自分の気持ちを正直に述べ謝罪するのは代替策となりえる。時間をかけてじっくり書くことができるし、更なる口論を引き起こすことを避けることができる。

-埋め合わせする。いつも可能とはいえないが、トライすべき。食事をおごるなど簡単なことでもいい。

-自分を卑下するのはよくないが、時と場合によってはユーモアを持って自分を卑下することによって緊張をほぐすことができる。

-同じ過ちを起さないよう努める。誓ったり、約束する必要があるとは思わない。何故なら悲しいかな、同じ過ちは誰しも起すからである。「約束しただろ!」などと言われたくない。でも、絶対自信があれば約束するのはよりよい。

-行動と反する言語は全く意味をなさない。誤った後は、気にするべからず。それより謝罪を証明するよう行動で示すように努める。

誠意を持って謝った後、さらに謝る必要はない。相手は、気が治まるよう幾度に渡る謝罪を求め、謝るたびに相手の気は少し晴れるかもしれないが、長期的に見れば関係を崩すだけである。いつまでも謝っていては公平な関係は築けないし、敬意を失う。

謝る。後は相手次第。謝罪を受け取るか、受け取らないか。二つにひとつ。もし、受け取らなければ卑下に謝罪を重ねる必要はない。貴方を信用していないということでありその関係は残念ながら保つ価値はない。

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