
加害者の家族の気持ちとは・・・・



手紙
すごく色々なことを考えるきっかけになった
まず犯罪者とその家族に対する"差別"
私は凶悪犯罪の報道に触れると
「本人はともかく、その家族がかわいそうだよね、悪くないのに」
と、つい考えてしまう
これは、同情をしているようで、明らかに"差別"だ
読みながらそのことに気づき、直貴の悔しさや苦しさを思い知らされ、そんな自分の思考を情けなくさえ思った
でも、途中で語られる直貴の勤め先の社長の言葉
・差別はね、当然なんだよ。
・犯罪者やそれに近い人間を排除するするというのは、しごくまっとうな行為なんだ。
・我々は君のことを差別しなきゃならんのだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる―すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね
等等・・・
これらの言葉に衝撃を受け、何度も何度も読み返してしまった
確かに私を初めとして世の中の人は無意識に彼ら(犯罪者の家族)に対して差別意識をもっている
それは間違いじゃないってこと?
堂々と差別しちゃっていいの?
いや、そういうわけではないだろう
この社長はこういう言葉を以って、直貴に世の中建前論ばかりではない、という、誰も言えなかった事を伝えているだけなんだろう
これこそが社長の優しさなのだ
そんな考えが頭の中で入り乱れ、自分の本音がよくわからなくなってしまった
この物語で作者が一番言いたかったことはこの社長の言葉なのではないだろうか
主人公直貴は、読むのが辛くなるほどに"犯罪者の弟"ということで不当な扱いを受けつづける
バンドメンバーとしてのデビュー
飲食店でのバイト
就職先での希望の職場
愛する人との結婚
上手く行きかけると、必ず最後には"刑務所の兄"の存在が彼の夢を阻む
それの繰り返し
確かに気の毒ではあるけれど、誰だって、建前では、悪いのはお兄さんで本人じゃないんだから・・・と思いつつも、できれば関わりたくないと彼のことを遠ざけしまのも当然のことだと思う
大声で、「加害者の家族も差別されて当然だ!」と言うつもりは無い
それでも、社長の言葉のように
「犯罪者の家族も差別されて辛い目に遭うのは当然だ、だから家族をそんな目に遭わせたくなければ犯罪者にならないことだ」
という考え方はある意味で犯罪の抑止力になるのかも・・・・と思った
そして、もう1つ感じたのが、タイトルにもなっている"手紙"の持つ力
私自身は自意識過剰で臆病なので、自分から手紙を出しても相手から返事が来なければ多分それきりにしてしまう
自分からの手紙を相手が疎んじているかもしれない、なんて思った瞬間にそれまでのやり取りを全て"無かったこと"にしてしまいたくなる
でも、この作品では「迷惑がられても手紙を送りつづけること」という兄の行為が最後の最後に実を結ぶ
(途中までは、確かに兄と弟の唯一のつながりは手紙であるけれど、タイトルにするほどの意味があるのだろうか、と思っていたけれど・・・・・)
彼の場合は、"迷惑がられている"という自覚がなかったし、現実はもっと厳しいのかもしれないけれど、直貴が被害者の家族に逢い、兄の手紙を読んだあたりから涙が出て仕方なかった
色々考えさせられることの多い作品だった
時間がたってから読み直したら、また違う感想を持つかもしれない