東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

がん闘病記⑥ 退院を前に・・・

2010-08-29 23:55:51 | 日記
 明日の退院を前にベッドに横たわりながら目を閉じる。がんの告知から検査、入院、手術、術後の入院生活…毎日毎日仕事の後に来てくれた家内には感謝のしようもない。お世話になった方々や離れている子どもたち、内緒にしている両親のことなど様々なことが脳裏に浮かんできて眠れなかった。
これからの抗がん剤治療のことも頭をよぎった。せっかく時間を巻き戻してもらった命、しっかりと受け止めて耐えていこうと決めると意識が薄れていった。

入院中にしみじみ思ったのは、『誰かに起こることは、誰にでも起こり得る』ということだった。私の人生で「死」ということをこれほど深く考えたことはこれまでになかった。しかしこれは悪いことではなかったような気もする。ここらでそういった事も少しは考えよということだろう。

病院内で点滴をぶら下げてヨタヨタ歩く人々は何も特別な人たちではない。
最近、自分はいつまでも死なないと思っている人が多いらしいが…
私も漠然とだが、少し前までは今のような溌剌とした楽しい日々が延々と続いていくものと思っていた節がある。実に傲慢な考え方だ。
これまで周りで大きな病に罹る人たちを何人も見てきたし、亡くなっていく人たちも数え切れないほど見送ってきたが、今の自分にはまったく関係のない話だと信じていたし、ずっと信じていたかった。。

 実際に私が「がん」という「死」と隣り合わせのような病気になり、ステージ3の自分の病状で5年生存率が60%とか50%とかいう数字をネットで見るにつけ、ショックで眩暈を起こしそうになったこともある。だからその手のコンテンツは見ない方がいい。凹むだけだ。しかし『5年の間に半分の人はこの世から消えて無くなる現実』を私には関係のない話だと打ち消すことは、もはや不可能である。
たった5ヶ月ほど前までは毎日パラダイスのような人生を送っていた私が、この年齢で「死」というものをはっきり意識することになるとは思ってもみなかった。

 昔の人は死生観というか死に対するふんぎりがしっかり身に付いていたようだ。
年を重ねると「あの世」というのを意識し始めて、人間は皆そこへ旅立つものと納得していた節がある。都合がいいと言えばそれまでだが、祖先もみんな「あの世」で待っていてくれると思えば何となくは安心である(笑)

今日の希薄な人間関係が嘘のような濃密な社会の繋がりがあったこともあり、また祖先の供養を日常的に行い、宗教的儀式とも縁が深かったため、絶えず「死」という現実を目の当たりにしていたはずだ。今の義父母たちを見ていてもそう思う。
人間はいずれ自然に還るんやという覚悟みたいなものが備わり、確固たる還る場所、基盤が備わっていたから「死」というもを受け入れやすい土壌があったと思う。生きているのはそのための準備期間という考え方もあるほどだ。

ところが今は違う。ものすごく諦めが悪い。まさしく往生際が悪いのである。
これからはもっと殺伐としてくるだろう。1人で暮らして1人で死んでゆく人が増え続ける。自身のアイデンティティも根無し草のように頼りないまま、社会やしきたりと無縁で過ごす人が増えて、死んでしまったらどうなるのかと自問すれば『有り得ない現実』としか認識できず、そこのところは目をつぶって日々を過ごしている人が大勢いる。

身内にさえ無関心になり、この世に存在しない人が存在する時代にもなってきた。自分だけは当分死なない。死ぬわけがないという身勝手な思い込みが現代の幽霊を生み出しているのかも知れないが、そう思って死んでいく人間たちも現実に死に切れないでいるから皮肉でもある。帳簿上、200歳とか150歳とかの人間がうようよ亡霊のように彷徨っているのが今の世の中だ。

 人間は1人では生きていけない。死んでからも人のお世話にならなければならない。
だから謙虚でいるべきところでは周りを慮っていこうと思う。
今回、私は病を患ってちょっと周りが見えてきた。以前より周囲に感謝したり、思いやる余裕が出てきたような気がする。
『先が見えてくると変なこだわりを捨てて謙虚になれるのかも知れないな~』と言うと家内は『先が見えるって??Yちゃんは前より我儘になってるから当分は大丈夫やろ』と言い返された。。。マジかよ!?我儘かな~??でも良かった(笑)

生と死は表裏一体…誰にでも、いつでも「死」は起こり得るということを肝に銘じ、爽やかに生きていきたいと願いながら、非日常の入院生活を終えようとしていた。