東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

がん闘病記⑤ 術後~退院へ

2010-08-28 17:16:40 | 日記
 入院時の体重は78キロあったが、少しずつ体重は減少している。
術後1年から2年間で最も減少するらいい。一割から一割五分は仕方ないと覚悟しているが、あんまり痩せてしまうのは如何なものか…。
5月6日、術後8日目である。
家でどんだけダイエットしても75キロを切ることはなかったが、すでに体重はいとも簡単に72キロ台へシェイプアップ。
ただし不健康な減量なので嬉しくもなんともない。
一つだけ良かったことは血圧が下がったこと。以前ブログにも書いたが私は高血圧気味で薬を服用していたが、術後は上110前後、下は60~70と降圧剤を必要としなくなった。
主治医と相談して一応様子見で休止することになった。7年ぶりに薬から開放され嬉しかった。

 巷ではゴールデンウイークも終わり、みんな今日から仕事だ。私は相変わらず病院で休日だ…連休の間は連日多くの見舞い客で病室は賑わった。本当に有り難いことだった。1666号室はゆったりしているが、同室の3人に迷惑がかからないよう食堂脇の談話スペースで過ごすことも多い。
 
 術後9日目、5階にあるファミマや1階にあるドトールで買い食いを始める。
味気ない病院食に比べて甘い・塩辛い・酸っぱいなどは段違いに濃い味で戸惑うほどだ。
プリンやサンドイッチ、ヨーグルトなどの乳製品などを買い漁る。

しかし、悲劇は突然やって来た。。。突然こみ上げる猛烈な吐き気。。胃がないので吐き出す力もなく延々と続くような悪夢の時間・・・
「ううう、ちょっと待ってくれ」、、、30分間以上洗面所から離れられない。
唾液が止めどもなく流れる。指を突っ込んでも吐けない苦しみは表現できない。
ベッドの脇に跪き腹を両手で押さえながら「なんじゃ~こりゃ~」と松田優作のセリフが口をつく。

何を食べたからとか、急いで食べたからとかではなく、何の前触れもなく突然やってくる苦悶の時間。
ひどい時は1時間以上も松田優作のままだ。ついでに最後の言葉だった「死にたくないよ~」とのセリフも言ってみる。このセリフの後、彼は好きなタバコをくわえて仰向けに死んでしまうが、私の場合、状況は何も変わらない。モノを吐くための吐き気でないことに気付くが、どうしょうもない。
本当に苦しいので改めて「死にたくないよ~」と呟いてみるが、鉄砲で撃たれてないので死ねないし、気分も好転しない…

術後10日目、夜10時頃、冷たいヤクルトとバナナを食べてすぐ、あまりに苦しくてナースコールを押すか詰め所に行こうと廊下に出たが、向こうまで歩いていく気力もなく部屋の洗面所の前で跪く…
術後11日目、看護師や巡回してくる医者に対応を尋ねても「ゆっくり食べるしかないですね」とそっけない。こんな状態では飲食に対してすごく臆病になってしまうな~と冷蔵庫に詰め込んだ食料品群を眺めながら気分はブルー。。。
その後は日に一回の頻度で「なんじゃ~こりゃ~」という状況が定着。。。参った。

術後14日で退院できるところ、家の都合で15日間滞在させてもらうことにした。

看護士(ナース)は九割がた若いし、化粧っ気もバッチリだ!どこか指名のきく店にきたような錯覚になる。。3日くらいのローテーションがあって順番で違うナースが面倒をみてくれる。みんな当たり前だが優しい。今回初めての入院で『ナースの嫌いな男はいない』ということも納得できた。。。仕事は時間も不規則だしかなり重労働である。もっと給料をあげてやって欲しい仕事だと思う。N先生に陳情しておこう。
晩遅くにお気に入りのナースOYちゃんがやって来たので色々と取材してみたが、彼女たちも人間関係の苦労が多いみたいだ。患者とではなく先輩後輩とでだ。私自身、さすがに今回ここでの人間関係の深入りはスルーしておこうと決めている(笑)


術後14日目、明日でいよいよ娑婆に出られる。。。
最後の晩飯は普通食にしてもらった。 
とても食べられる量じゃないが御飯も半分以上食べることができて嬉しかったな~
ベッドに横たわりながら目を閉じ、この2週間の貴重な体験をしみじみ反芻してみた。