東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

がん闘病記④ 手術からの生還~

2010-08-27 16:00:21 | 日記
胃の上中部を中心とした進行癌、あるいは低分化癌で胃全体に癌がひろがっているような症例では、胃を全部摘出する「胃全摘術」が選択される。私の場合は複数のリンパ節にかなり転移していたようで、それで尚且つ周囲への浸潤があるときには膵臓や脾臓も合併切除すると言われていたが、それはまのがれた。
それでも術後の主治医からの説明では、ステージ2-Bと想定されていた段階からワンランク悪い方へシフトしたステージ3-Aとの判定だった。リンパ節への転移数が多かったことによるという。。。

胃全摘後の再建術は食道と小腸、小腸と小腸をつなぎ、十二指腸側は閉鎖してしまう「ルーワイ法」が一番よく用いられるが、私もその方法で飲食ができるように再建された。


入院した際に看護師から色々な資料をもらうが、その中に今後のおおまかなスケジュールが記された「クリニカルパス」なるものが私の希望の源であった。
術後何日目に水が飲める、食事ができる、ドレーンチューブがはずれる、点滴がはずされる、
風呂に入れる、といったことが細かく書かれている。
とにかくたくさんの管に繋がれているので鬱陶しいことこの上ない。そんな不自由さの中、『明日になればこれができる』というのは何よりも励みになった。

術後は毎日検診に看護師や医師たちが回ってくる。検温や採血や血圧測定、ベッドに寝たままのレントゲンなど、最初のうちは結構頻繁に行う。。。
毎日自分で便と尿の回数を記入する。。
術後翌日、色々なものをぶら下げながら看護師と歩行訓練をする。ゆっくりにしか歩けない!腹が引きつってる感じがして猫背になって一歩一歩院内を歩く。。。
夜中や明け方の院内は空いている(当たり前か…)  
術後2日目に弾性ストッキングを脱ぐ。これはエコノミー症候群のような症状を回避する目的で術後ずっと履いている。看護師に体を拭いてもらう。。。いい気分~
術後3日目にようやく水を飲むことができる。うがいは毎日マメにしていたが、水が飲めないのが結構辛い。。。背中の硬膜外麻酔のチューブがはずされる。
術後4日目、三分粥が始まり点滴が朝晩2回となる、、、
う~ん、、、これではパワーがつかないし~ これが噂に聞く病院食か~。。。
看護師に洗髪してもらえるが管はまだ幾つか装着したままだ。でも生き返った気分になる。
術後5日目、五分粥に、、。
術後6日目には七分粥で少しはお米の歯ざわりが確認できるか。。腹腔内の汚れた体液や血液を排出するドレーンチューブが2本はずされた。液洩れする左のドレーンを抜き、チューブより広い傷口を麻酔無しで縫う。五秒の我慢もかなり痛い~!これが入院中に一番痛い経験だった。どうやら合併症もなく良好のようだ。ただ腹帯でかぶれたのか胴体が真っ赤になってしまった。すぐにクラリチンという薬を処方してもらうが…効果はなかったかな~
術後7日目、食事は全粥になり、院内のコンビニとかドトールでの買い食い(笑)もOK!
管が取れたので明日からシャワーもOK!

徐々に普通の生活が実感できる幸せは筆舌につくせない。あと一週間で家に帰れる!
しかし、この時は強烈な吐き気やダンピング症状など、術後の苦しみはまだ味わっていなかったのだった・・・