しぞーか人ならちゃんと「あべかわ」と読めますが、県外の友だちにも「あべがわ」とかよく言われます。
でも餅はちゃんと「あべかわもち」って言うじゃんかー。
まあそんなことはどーでもいいか(^^;
今年も無事に安倍川花火大会が行われました。
今年は第六十回です。
1953年から始まってます。
じーちゃんばーちゃんっ子だったワタシは、「安倍川河川敷で、静岡大空襲の時の犠牲者の方々が火葬された」という話を小さい頃に聞かされていました。
調べたら2000人ほどの人がそこで火葬されたようですね。
その犠牲者に対する慰霊として、安倍川花火大会は開催されるようになりました。
ただ、江戸時代から(毎年かは不明ですが)7月終わり頃に安倍川で花火が上げられたという記録もあるようです。
まあ、あのあたりはそのころ超繁華街だったから、あってもおかしくないですね。
あんなに遠くで花火があがっているのに、クリニックまでとどろく大きな音。
あの音を聞くと、夏だけ元気になる蝉女のワタシはもーガマンできません。
今年も夕方にちゃりんこをゆっくり漕いでまずは静岡駅まで行き、
駐輪場に自転車を預けて、会場近辺までテクテク歩きました。
なぜ安倍川花火だけはワタシも行くのかというと、安倍川花火大会の会場は東海道だからなのです!
だから、歩いていくのにも呉服町から東海道ルートで歩きます。
昨年はうっかり会場の方まで行ってしまい、みごとに人の川におぼれて、花火どころではありませんでした。
~~~ここから去年の回想です~~~
なんせ屋台が出ていて交通規制が行われているところは歩き続けて、立ち止まってはいけないというルールがあり、花火が上がったときにうっかり立ち止まろうものなら
「立ち止まらないでくださーい!」
と注意されます。
周りは人だらけで、小さな子どもに注意しなくてはいけないので、歩きながら花火を見上げたらどんな事故がおこるかわかったもんじゃありません。
だから、花火があがったら0.3秒のチラ見!
そして屋台。
まずどの屋台もすごい行列です。
人の川のなかにすごい行列ですから、そこに並ぶにも発ってる場所が困るため、とても買う気にはなれません。
たとえ並んで買えたとしても、今度は食べるところがありません。
ということで、お腹が空いたままパス!
ひたすら歩き続け、花火の音がしたら0.3秒チラ見して、行き止まりの丸子橋まで行って、河川敷(こちらも超混雑)に出ないまま引き返して帰ってきました。
~~~去年の回想、終わり~~~
そんな去年のことを反省して、今年は交通規制の行われていない、誰の邪魔にならない歩道の隅っこで、ビルの谷間に上がる花火を見てました。
もちろんその間、静岡大空襲で命を落としたたくさんの人たちの事を思います。
とはいうものの、お祖母ちゃんに聞いた話しを頭の中でリピートさせたりしただけですが。
ほんの5分ぐらい見て満足したので帰ってきました。
そういえば昨年は屋台の何処にも寄れなかった悔しさがあったのですが、安倍川橋から引き返すときに「石部屋(せきべや)」が安倍川餅のお土産品を販売していたので、思わず買っちゃいました(^^)
▲石部屋
▲石部屋の店内で食べる「あべかわ餅」。
注文してから出来たての温かい餅を出してくれます(^^)めちゃウマ♪しかも砂糖なしでいけるぐらい。
駅で売っている安倍川餅とは全く違う美味しさです。
▲もちろん江戸時代のころから安倍川餅を売る人たちは大勢いて、今もいろんなお店の安倍川餅があります
(どの写真も、撮影は2010年の東海道歩きの時)
安倍川餅の歴史は江戸時代初期にまでさかのぼります。
この安倍川は幕府からの命令で橋がかけられていませんでした。(軍事的な意味で、家康のいる駿府城を攻められないようにするため)
ですから歌川広重の東海道五十三次の「府中」は安倍川の徒渡りが描かれています。
そして、この安倍川の上流には金山があったことでも有名で、井川や梅ヶ島の金山を御用金山として採掘させていました。
安倍川餅の由来には諸説ありますが、だいたい大まかにまとめるとこんなところです。
ある男が、きなこをまぶした餅を徳川家康に献上した。
この餅の美味しさが気に入った家康が「なんという餅か」と男に尋ねると「金な粉(きなこ)もちです」と洒落て答えたため
「あっぱれじゃ!この餅をあべかわもちと名付けるが良いぞ」
・・・と言ったかどうかは不明ですが(^^;それから安倍川餅と呼ばれるようになったそうな。
その後安倍川の渡しを待つ旅人の間で、この安倍川餅は大ヒット。
東海道駿河三大名物のうちの一つとなりました。あと二つは「古庄のうさぎ餅」と「清水の追分羊羹」です。
安倍川餅の由来は、詳しく調べている人からはもっと興味深い情報が受け取れるはずなので、ネットなどで調べてみてください。
ちなみに安倍川餅、他の地方で売られているのとは形態が違うと思います。
きなこという点は共通していますが、他の地方で「あべかわ」として売られていたのは、どーみても「信玄餅」でした(^^;
だって黒蜜かかってたですもん!
本場安倍川餅には黒蜜ではなく「上白糖」がかかっています。
白砂糖は昔、たいへん貴重なものでした。
その貴重な頃から安倍川餅には白砂糖が使われていたので、値段もそれなりだったようです。
この超ベストセラーの本にも「安倍川の五文どり」として出てます。
道の両脇に茶屋があって華やいでおり、茶屋娘が「名物をあがりヤアし。五文どりをあがりやアし~」と呼びかけている場面があります。
作者は府中出身でしたから府中での出来事は、かなり濃い~い「しぞーか弁」が出てきます。
一度読んでみるのも面白いですよ(^^)
安倍川を語り出すと、架橋のこととか薩摩土手のこととか出てきて止まらなくなりますので、今日はこのへんにしようかと思います。
でも餅はちゃんと「あべかわもち」って言うじゃんかー。
まあそんなことはどーでもいいか(^^;
今年も無事に安倍川花火大会が行われました。
今年は第六十回です。
1953年から始まってます。
じーちゃんばーちゃんっ子だったワタシは、「安倍川河川敷で、静岡大空襲の時の犠牲者の方々が火葬された」という話を小さい頃に聞かされていました。
調べたら2000人ほどの人がそこで火葬されたようですね。
その犠牲者に対する慰霊として、安倍川花火大会は開催されるようになりました。
ただ、江戸時代から(毎年かは不明ですが)7月終わり頃に安倍川で花火が上げられたという記録もあるようです。
まあ、あのあたりはそのころ超繁華街だったから、あってもおかしくないですね。
あんなに遠くで花火があがっているのに、クリニックまでとどろく大きな音。
あの音を聞くと、夏だけ元気になる蝉女のワタシはもーガマンできません。
今年も夕方にちゃりんこをゆっくり漕いでまずは静岡駅まで行き、
駐輪場に自転車を預けて、会場近辺までテクテク歩きました。
なぜ安倍川花火だけはワタシも行くのかというと、安倍川花火大会の会場は東海道だからなのです!
だから、歩いていくのにも呉服町から東海道ルートで歩きます。
昨年はうっかり会場の方まで行ってしまい、みごとに人の川におぼれて、花火どころではありませんでした。
~~~ここから去年の回想です~~~
なんせ屋台が出ていて交通規制が行われているところは歩き続けて、立ち止まってはいけないというルールがあり、花火が上がったときにうっかり立ち止まろうものなら
「立ち止まらないでくださーい!」
と注意されます。
周りは人だらけで、小さな子どもに注意しなくてはいけないので、歩きながら花火を見上げたらどんな事故がおこるかわかったもんじゃありません。
だから、花火があがったら0.3秒のチラ見!
そして屋台。
まずどの屋台もすごい行列です。
人の川のなかにすごい行列ですから、そこに並ぶにも発ってる場所が困るため、とても買う気にはなれません。
たとえ並んで買えたとしても、今度は食べるところがありません。
ということで、お腹が空いたままパス!
ひたすら歩き続け、花火の音がしたら0.3秒チラ見して、行き止まりの丸子橋まで行って、河川敷(こちらも超混雑)に出ないまま引き返して帰ってきました。
~~~去年の回想、終わり~~~
そんな去年のことを反省して、今年は交通規制の行われていない、誰の邪魔にならない歩道の隅っこで、ビルの谷間に上がる花火を見てました。
もちろんその間、静岡大空襲で命を落としたたくさんの人たちの事を思います。
とはいうものの、お祖母ちゃんに聞いた話しを頭の中でリピートさせたりしただけですが。
ほんの5分ぐらい見て満足したので帰ってきました。
そういえば昨年は屋台の何処にも寄れなかった悔しさがあったのですが、安倍川橋から引き返すときに「石部屋(せきべや)」が安倍川餅のお土産品を販売していたので、思わず買っちゃいました(^^)
▲石部屋
▲石部屋の店内で食べる「あべかわ餅」。
注文してから出来たての温かい餅を出してくれます(^^)めちゃウマ♪しかも砂糖なしでいけるぐらい。
駅で売っている安倍川餅とは全く違う美味しさです。
▲もちろん江戸時代のころから安倍川餅を売る人たちは大勢いて、今もいろんなお店の安倍川餅があります
(どの写真も、撮影は2010年の東海道歩きの時)
安倍川餅の歴史は江戸時代初期にまでさかのぼります。
この安倍川は幕府からの命令で橋がかけられていませんでした。(軍事的な意味で、家康のいる駿府城を攻められないようにするため)
ですから歌川広重の東海道五十三次の「府中」は安倍川の徒渡りが描かれています。
そして、この安倍川の上流には金山があったことでも有名で、井川や梅ヶ島の金山を御用金山として採掘させていました。
安倍川餅の由来には諸説ありますが、だいたい大まかにまとめるとこんなところです。
ある男が、きなこをまぶした餅を徳川家康に献上した。
この餅の美味しさが気に入った家康が「なんという餅か」と男に尋ねると「金な粉(きなこ)もちです」と洒落て答えたため
「あっぱれじゃ!この餅をあべかわもちと名付けるが良いぞ」
・・・と言ったかどうかは不明ですが(^^;それから安倍川餅と呼ばれるようになったそうな。
その後安倍川の渡しを待つ旅人の間で、この安倍川餅は大ヒット。
東海道駿河三大名物のうちの一つとなりました。あと二つは「古庄のうさぎ餅」と「清水の追分羊羹」です。
安倍川餅の由来は、詳しく調べている人からはもっと興味深い情報が受け取れるはずなので、ネットなどで調べてみてください。
ちなみに安倍川餅、他の地方で売られているのとは形態が違うと思います。
きなこという点は共通していますが、他の地方で「あべかわ」として売られていたのは、どーみても「信玄餅」でした(^^;
だって黒蜜かかってたですもん!
本場安倍川餅には黒蜜ではなく「上白糖」がかかっています。
白砂糖は昔、たいへん貴重なものでした。
その貴重な頃から安倍川餅には白砂糖が使われていたので、値段もそれなりだったようです。
東海道中膝栗毛 上 (岩波文庫 黄 227-1) | |
十返舎 一九,麻生 磯次 | |
岩波書店 |
この超ベストセラーの本にも「安倍川の五文どり」として出てます。
道の両脇に茶屋があって華やいでおり、茶屋娘が「名物をあがりヤアし。五文どりをあがりやアし~」と呼びかけている場面があります。
作者は府中出身でしたから府中での出来事は、かなり濃い~い「しぞーか弁」が出てきます。
一度読んでみるのも面白いですよ(^^)
安倍川を語り出すと、架橋のこととか薩摩土手のこととか出てきて止まらなくなりますので、今日はこのへんにしようかと思います。