はい、やっと伊勢街道最終回。
今回は外宮から内宮までの短い旅です。
朝寝坊してしまったので、ゆっくり目の8時台に出発です(^^;
←外宮(豊受大神宮)にもう一度来るつもりです・・・帰りに。
小田橋。
「江戸時代までは本橋の横に小橋(仮屋橋)が架けられており、忌服の人や生理中の女性は小橋を通ることになっていた」とマップの説明に書かれていました。
道標♪
間の山お杉お玉の碑
尾部坂(間の山=あいのやま)の辺りに女二人組の大道芸人「お杉・お玉」がいつも三味線や胡弓をかき鳴らし、旅人に投げ銭を乞うことで有名だった。この辺りにいつも居たのだろう。
東海道中膝栗毛にもそのような女性二人の大道芸人(「いにしえのお杉お玉が面影をうつせし女の・・・」とあるから、お杉お玉ではないのだろう)が出てくる。
旅人達がよってたかって投げ銭を、二人の顔にめがけて「当てようと」するが、大道芸人の女達はこともなげに「ひょいひょい」とかわす。
弥次さんが頭に来て石を投げる(よい子は危ないからマネしちゃだめだよっ)が、女はそれをバチでちょいと受け、石を投げ返して見事、弥次さんの顔に当たるというエピソードがある。
悪いコトしちゃいけません、弥次さん(^^;
もっとも弥次喜多の二人はいつもいつもいつもいつも・・・・悪いことしてますがね。
備前屋(鼓楼)跡
この辺り、「古市」は江戸時代の中期における「三大遊郭」の一つ・・・だそうです。
京の島原/江戸の吉原/伊勢の古市が三大遊郭。
「内宮に参拝した後、男の旅人にとっては精進落としで盛り上がる遊び場があった」・・・というようなことを杉浦日向子先生が語ってたけど、ここのことかぁ~(^^)♪
こちらは「油屋跡」。やはり鼓楼です。
油屋騒動があった場所でものすごく有名になってしまったそうな。相手の遊女が他の客と掛け持ちしていたのに腹を立てた町医者が、脇差しを振りかざして暴れ、死者二名、負傷者七名を出した。事件を起こした人物は十日後に自殺。
歌舞伎の演目(伊勢音頭恋寝刃)まで作られてしまうぐらいに有名になったこの事件。
真実はよくわからない。廻しを取られた(客の掛け持ちをされた)ぐらいで、そんなに怒るかなぁ。
その遊女はケガをしたものの、その後も仕事をしつづけたのでこの油屋は「騒動の中心となった遊女を見てみたい」という旅人が客としてひっきりなしに訪れたため、大繁盛だったそうな。
←この道は鼓楼でいっぱいだったのだろう。
楼閣の面影を残す「麻吉旅館」。
あんまり入っちゃだめなのかと思って控えめに写真撮ってしまった。
道標
いろいろ(←おい)
猿田彦神社。
私が旅をしている間、道ばたには「道祖神」とよばれるものがたくさんありました。
旅人の道中を守るため、また地元の人を旅人からもたらされる悪から守るために祀られたものです。
サルタヒコはニニギが天降りしたときに道案内をしたということで、道祖神と同一視されています。
だから私は今まで、猿田彦命には間接的にお世話になっているわけですね。
一応お礼を言いに行ってきました。
月よみの宮さんけい道と刻まれている道標
さて、いきなりこんな街並みです。
こ・・・ここは・・・。
おかげ横町ってやつですかね。
↑※おはらい町です(もの知らず(^^;)
おかげ横丁はこっち↓でした。
進んでいくと、向こう側から人がいっっっぱい歩いてきます。
今までずっと私は一人で歩いてきたのに、いきなり沢山の人が現れるとかなりビックリします(^^;
どうやらおはらい町に着いたようです。
とりあえず、朝から何も食べていないことに気づいたので休憩です。
←また甘いもの出すのかっ(^^;
いやあ~、お伊勢さんに来たらまずは「赤福」食べないとねぇ。
りっぱな店構えだ。
ふむふむ・・・
( ゜д゜)ハッ!
内宮に向かっていたのを忘れていた!!!
いやー、本気で忘れかけてました(^^;
急いで内宮に行きました。
・・・・ひ・・・人が多くて疲れた_| ̄|○
本気で疲れてしまったため、このままバスに乗って伊勢市駅まで来てすぐに静岡まで帰ってきてしまいました。
外宮も「もう一度」と思っていたのですが完全に行く気力を失ってしまったのでした。
土日に行ったらもっと人が多いのでしょうね(^^;
ところで、昔の人はお土産に何を買っていたでしょう。
江戸時代の旅人お土産ランキング第1位!!
それは・・・「薬」です。
この伊勢にも「萬金丹」という有名な薬があるので、旅人はこぞって買っていたようです。
私も買っちゃった♪
本当は、宮川の渡しのすぐ後に「小西萬金丹」があるのですが・・・見逃しました。
だからおはらい町のハート薬局さんで買いました(^^)
さて、伊勢街道の旅はこれでお終いです。
次は、そこから旅人が京都へ行くために利用した「伊勢別街道」の旅が始まります!!
って、まだやるのかー!!(^^;←懲りない
今回は外宮から内宮までの短い旅です。
朝寝坊してしまったので、ゆっくり目の8時台に出発です(^^;
←外宮(豊受大神宮)にもう一度来るつもりです・・・帰りに。
小田橋。
「江戸時代までは本橋の横に小橋(仮屋橋)が架けられており、忌服の人や生理中の女性は小橋を通ることになっていた」とマップの説明に書かれていました。
道標♪
間の山お杉お玉の碑
尾部坂(間の山=あいのやま)の辺りに女二人組の大道芸人「お杉・お玉」がいつも三味線や胡弓をかき鳴らし、旅人に投げ銭を乞うことで有名だった。この辺りにいつも居たのだろう。
東海道中膝栗毛にもそのような女性二人の大道芸人(「いにしえのお杉お玉が面影をうつせし女の・・・」とあるから、お杉お玉ではないのだろう)が出てくる。
旅人達がよってたかって投げ銭を、二人の顔にめがけて「当てようと」するが、大道芸人の女達はこともなげに「ひょいひょい」とかわす。
弥次さんが頭に来て石を投げる(よい子は危ないからマネしちゃだめだよっ)が、女はそれをバチでちょいと受け、石を投げ返して見事、弥次さんの顔に当たるというエピソードがある。
悪いコトしちゃいけません、弥次さん(^^;
もっとも弥次喜多の二人はいつもいつもいつもいつも・・・・悪いことしてますがね。
備前屋(鼓楼)跡
この辺り、「古市」は江戸時代の中期における「三大遊郭」の一つ・・・だそうです。
京の島原/江戸の吉原/伊勢の古市が三大遊郭。
「内宮に参拝した後、男の旅人にとっては精進落としで盛り上がる遊び場があった」・・・というようなことを杉浦日向子先生が語ってたけど、ここのことかぁ~(^^)♪
こちらは「油屋跡」。やはり鼓楼です。
油屋騒動があった場所でものすごく有名になってしまったそうな。相手の遊女が他の客と掛け持ちしていたのに腹を立てた町医者が、脇差しを振りかざして暴れ、死者二名、負傷者七名を出した。事件を起こした人物は十日後に自殺。
歌舞伎の演目(伊勢音頭恋寝刃)まで作られてしまうぐらいに有名になったこの事件。
真実はよくわからない。廻しを取られた(客の掛け持ちをされた)ぐらいで、そんなに怒るかなぁ。
その遊女はケガをしたものの、その後も仕事をしつづけたのでこの油屋は「騒動の中心となった遊女を見てみたい」という旅人が客としてひっきりなしに訪れたため、大繁盛だったそうな。
←この道は鼓楼でいっぱいだったのだろう。
楼閣の面影を残す「麻吉旅館」。
あんまり入っちゃだめなのかと思って控えめに写真撮ってしまった。
道標
いろいろ(←おい)
猿田彦神社。
私が旅をしている間、道ばたには「道祖神」とよばれるものがたくさんありました。
旅人の道中を守るため、また地元の人を旅人からもたらされる悪から守るために祀られたものです。
サルタヒコはニニギが天降りしたときに道案内をしたということで、道祖神と同一視されています。
だから私は今まで、猿田彦命には間接的にお世話になっているわけですね。
一応お礼を言いに行ってきました。
月よみの宮さんけい道と刻まれている道標
さて、いきなりこんな街並みです。
こ・・・ここは・・・。
おかげ横町ってやつですかね。
↑※おはらい町です(もの知らず(^^;)
おかげ横丁はこっち↓でした。
進んでいくと、向こう側から人がいっっっぱい歩いてきます。
今までずっと私は一人で歩いてきたのに、いきなり沢山の人が現れるとかなりビックリします(^^;
どうやらおはらい町に着いたようです。
とりあえず、朝から何も食べていないことに気づいたので休憩です。
←また甘いもの出すのかっ(^^;
いやあ~、お伊勢さんに来たらまずは「赤福」食べないとねぇ。
りっぱな店構えだ。
ふむふむ・・・
( ゜д゜)ハッ!
内宮に向かっていたのを忘れていた!!!
いやー、本気で忘れかけてました(^^;
急いで内宮に行きました。
・・・・ひ・・・人が多くて疲れた_| ̄|○
本気で疲れてしまったため、このままバスに乗って伊勢市駅まで来てすぐに静岡まで帰ってきてしまいました。
外宮も「もう一度」と思っていたのですが完全に行く気力を失ってしまったのでした。
土日に行ったらもっと人が多いのでしょうね(^^;
ところで、昔の人はお土産に何を買っていたでしょう。
江戸時代の旅人お土産ランキング第1位!!
それは・・・「薬」です。
この伊勢にも「萬金丹」という有名な薬があるので、旅人はこぞって買っていたようです。
私も買っちゃった♪
本当は、宮川の渡しのすぐ後に「小西萬金丹」があるのですが・・・見逃しました。
だからおはらい町のハート薬局さんで買いました(^^)
さて、伊勢街道の旅はこれでお終いです。
次は、そこから旅人が京都へ行くために利用した「伊勢別街道」の旅が始まります!!
って、まだやるのかー!!(^^;←懲りない