ブリの森づくりプロジェクト  

~森の再生からブリの来るまちへ~  小田原市無尽蔵・環境(エコ)シティ  ブリの森づくりプロジェクト 

米神の民俗芸能・鹿島踊り

2013-05-25 19:11:23 | ブリ海コーナー




 小田原市米神の鹿島踊りは、5月20日に近い土曜日・日曜日の米神正八幡神社の例祭で土曜日のみ(古くは5月15日だったとのこと)行われます。今年は5月18日(土)に夜7時30分より始まりました。

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 さて、鹿島踊りはというと

 真鶴町真鶴の貴船神社の鹿島踊りが国指定重要無形民俗文化財、湯河原町吉浜の素鵞神社の鹿島踊りが国選択無形民俗文化財、小田原市根府川の寺山神社の鹿島踊りが県指定無形民俗文化財になっているように、鹿島踊りは貴重な神事舞踊であります。

 また、鹿島踊りは小田原市石橋から静岡県東伊豆町北川の相模湾沿い22箇所に伝承され、千葉県や東京都奥多摩町でも踊られています。小田原市石橋から東伊豆町北川までの相模湾西岸は海に面し平坦な農地が無く背後には山が迫る、いずれも石材産出にかかわった地域で、夏に鹿島踊り行われることから悪疫退散、石材産出の無事と運送の海上安全、そして大漁と豊作を祈願する神事として続けられています。

 なお、鹿島踊りの起源は鹿島神宮の神職「事触れ」の布教であろうといわれており、熱海市網代の阿治古神社には江戸時代の1722年(享保7年)に神社に奉納したという記録が残っています。

 鹿島踊りの歌には

  誠やら 鹿島[または地名]の浦に 弥勒(みろく)お舟が 着いたやら
  艫舳(ともへ)には 伊勢と春日の 中には鹿島の御社(おやしろ)

とあり、鹿島踊りは弥勒(みろく)踊りとも呼ばれ、弥勒信仰があります。日本人の心のどこかには、未来世に幸せを託し弥勒の世を待望する気持ちがあるのかもしれません。豊かなくらしをだれもが待ち望んでいた。弥勒(みろく)が出現するのはそんなときです。
 民俗学者の柳田国男は「みろくの船」という論考をし、著書『海上の道』に収録されています。弥勒(みろく)の船がやってきてほしいという世直し思想が共通している、東国の鹿島踊りと南方の八重山諸島の弥勒踊りとの直接のつながりを試みたものです。

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 半月の月の光に照らされて鹿島踊りの一行が、米神正八幡神社の横の広場から集落の中を抜け、太鼓役・鉦役二人・三役を先頭に正寿院の階段を上っていきます。正寿院は江戸時代末期に編纂された書物にも載っている由緒ある寺院です。踊りの一行以外は誰も階段を上がりません。様子を伺っていると、鹿島踊りが始まりました、神社でなくお寺で。私も階段を駆け上がりました。ご住職の前での踊りです。







 衣装は浴衣で下に長襦袢(昔は女物の長襦袢を着て浴衣の右肩を脱いで踊ったとのこと。米神自治会長の松本勇さんから教えていただきました。奥多摩では女装して踊りますから似ていますね。)、真鶴も浴衣で神奈川県の他の地域は白衣をまといます。
 踊りは、太鼓役と鉦役二人に三役と呼ばれる黄金柄杓・日形・月形の役、踊り手、そして歌を唄う役の歌上げと警備役からなり、男性の手で、踊り手には女子を含めた子どもたちが加わります。
 踊りは、最初は踊り手が輪になって時計と同じ方向に回る円舞形で踊られ、その後、行列の方舞形での踊りでした。
 黄金柄杓の中には細かな切り紙が入っているようで、踊りとともに撒き散らされます。踊り手は右手には扇、左手には御幣とよばれる長い柄を持って踊り、踊りの中心では踊りの主役である太鼓役が腰を低く落としたところから太鼓を上に突き上げて打ち、鉦役二人がそれに付き添うようにして鉦を突き上げて打たれます。

 お寺での鹿島踊りが終わって私は踊り手のあとについていきました。一方で、同行の青木良一さん(扣之帳編集)の機転で、川島範子さん(ブリ森プロジェクト)がご住職にお話を伺っていたとのこと。

「米神の鹿島踊りはおよそ130年続いているお祭りです。
明治の初期にお寺さんが、娯楽の無い米神の人々に鹿島踊りを勧めたのだそうです。
お飾りなどすべてお寺さんが用意したので、今でも敬意を表して一番最初に見せに来るのだそうです」(川島さん原文ママ)

 130年前というと、米神村窪尻に1866年(慶応2年)、当時の他の漁具漁法より漁獲効率が良い根子才網と呼ばれる定置網が敷設されたと言われています。この網は「地獄網」とか「根拵網」と呼ばれ、特に「根拵網」は根こそぎ魚を漁獲したから,その名称が付いたと言われています。米神ではこの網による期待も大きく、米神の鹿島踊りはこの網の大漁も祈願したことでしょう。

 お寺のあとは、ブリ漁絵馬(ブリ漁絵馬についてはカテゴリー「ブリ漁絵馬~忘れられた漁業史を探る」を参照ください)がある米神正八幡神社で鹿島踊りが奉納され、今年の米神の鹿島踊りは終わりました。





 米神自治会長の松本勇さん、米神のみなさん、非常に美しい夜祭をありがとうございました。

 鹿島踊りは、神奈川県では湯河原町鍛冶屋で4月中旬の土曜日・日曜日、小田原市米神で5月20日に近い土曜日、小田原市根府川で7月第3日曜日、真鶴町真鶴で7月26日~28日、湯河原町吉浜で8月1日、に演じられます。是非、貴重な民俗芸能をご覧下さい。

【追記】
 米神のブリ漁絵馬と同様の絵馬が岩手県三陸の山田町にあることを紹介していただいた岩手県盛岡市の飯坂真紀さん(ふるさと岩手の芸能とくらし研究会)も鹿島踊りを観に来られ、ブログに「相模の米神で祭を見る」を掲載されています。こちら参照ください。

【参考資料】
(1)中日新聞2005年1月18日 【民俗は生きている】浜の漁師、豊作も祈る 来宮神社の鹿島踊(熱海市) 
http://www.chunichi.co.jp/shizuoka/hold/fork/CK2007032202102639.html
(2)小田原市 無形民俗文化財・寺山神社の鹿島踊
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/property/cultural/intangible/muukeiterayama.html
(3)柳田国男『海上の道』岩波文庫、1978年、P126~P142
(4)平元泰輔(1994)相模湾における定置網型の変遷-1 神水試研報第15号, 15~19
http://www.agri-kanagawa.jp/suisoken/pdf/SUISHI/suishi15-03.pdf

(小貝眞)

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