ブリの森づくりプロジェクト  

~森の再生からブリの来るまちへ~  小田原市無尽蔵・環境(エコ)シティ  ブリの森づくりプロジェクト 

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月明かりの鹿島踊り ~『扣之帳』40号より~

2013-07-27 00:21:32 | ブリ漁絵馬~忘れられた漁業史を探る


『扣之帳』40号に「月明かりの鹿島踊り」西田清三著
が掲載されました。


「月明かりの鹿島踊り」西田清三著 pdf
http://web2.nazca.co.jp/yamamori/PDF%A1%A1%C0%BE%C5%C4%A1%BF%CA%C6%BF%C0%A4%CE%BC%AF%C5%E7%CD%D9%A4%EA%20.pdf

五月の半ばだった。のらこさんから短いメールがあった。
こんどのどようびのしちじからこめかみのはちまんさまでかしまおどりがありますのらこより
ブリモリだかヤマモリだかモリの会ののらこさんだ。
・・・・・




5月19日ブリ森記者も見に行った、米神神社の伝統芸能の見聞記です。

・・・・

『扣之帳』は郷土の歴史・民俗・文芸誌です。
伊勢治書店の郷土コーナーに常設されています。

年間購読料2500円。(年四回発行+郵送料他)

年間購読を希望される場合は以下を編集人までご連絡ください。 
1、年間購読とその冊数
2、送り先 郵便番号、住所、氏名

〒250-0853 小田原市早川60
扣之帳刊行会
青木良一
☎0465-22-8852

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森と木に包まれる夏まつり 8月17日(土)~18日(日)

2013-07-24 20:19:36 | 小田原市環境イベント


「森と木に包まれる夏まつり」を開催します!!
in いこいの森辻村農園わんぱくランド 皆様ふるってご参加ください!

小田原市アクセスサイト
森と木に包まれるチラシ PDF形式

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野遊び探検~久野川で遊ぼう! 2013年8月18日(日)

2013-07-24 19:41:26 | 美しい久野・里地里山協議会
久野川で、川遊び楽しいぞ



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コアジサシ番組の紹介(森ヶ崎水再生センター等)7月25日(木)15:45~16:00

2013-07-22 23:34:38 | ブリ川-酒匂川の環境
今繁殖期は、小田原市内の酒匂川のコアジサシ繁殖はダメ(全滅)だったのですが、上流の大井高校わきでは繁殖成功して巣立った幼鳥が飛んでます。町の境なので小田原と言えば小田原です(;^_^A。
で、酒匂川の話ではないのですが、コアジサシ再放送のお知らせ。

子供向けの自然番組で
絶滅危惧種コアジサシが編み出した都会の中での子育て戦略を追う。
東京の森ヶ崎水再生センターをメインに葛西海浜公園のコアジサシの様子が紹介されるそうです。
森ヶ崎水再生センターは、数年前から屋上の砂利地にコアジサシ誘致繁殖をさせてる下水処理場です。
 NHK・Eテレ『モリゾー・キッコロ森へいこうよ!』
 再放送7月25日(木)15:45~16:00
http://www4.nhk.or.jp/morikoro/2/

 ちなみに酒匂川の場合は、近年の土砂堆積問題により、産卵環境(広域な砂礫地中州)だけはあちこち豊富にありますが、東京湾沿いでは、砂礫地が埋め立てでほぼ消滅してしまったので、屋上が貴重な産卵可能場所となってます。

 なお、東京の森ヶ崎水再生センターは、なんと!!! 下水処理の工程を利用して汚泥中の有機分メタンガス発電と小水力発電もやってます。
小田原の下水処理場(寿町終末処理場)も発電できないかなあ~?
詳しくは森ヶ崎水再生センターのhpみてね
http://www.gesui.metro.tokyo.jp/odekake/syorijyo/03_11.htm
ブリ森レポーター 伊豆川哲也(野鳥の会西湘ブロック、博物館学芸員)
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山田町・大槌町訪問記 ~米神ブリ漁絵馬と東北~

2013-07-21 00:55:56 | ブリ漁絵馬~忘れられた漁業史を探る
山田町・大槌町訪問記 ~米神ブリ漁絵馬と東北~
ブリ森プロジェクト 川島範子

もう一つの米神ブリ漁絵馬が岩手県山田町にあると知ったのは昨年の10月だった。同じ構図の元絵馬は、かつて日本一の漁獲高を誇ったブリ漁の本場、我が小田原市・米神の米神正八幡神社にある。山田町・山田神宮に奉納された絵馬の謎を巡り、当ブログでは様々な想像を巡らして来たが、山田町に絵馬を奉納された御子孫がいられるという情報を得て、はるか北のもう一つの絵馬を巡る旅に出ることになった。
6月20日、旅の道連れブリ森記者の小貝さんと東京池袋のバスターミナルで落ち合い、22時発大槌・山田行高速バスに乗り込んだ。高速バスは学生時代に奈良に行って以来で、三十うん年ブリである。お互いこの日のために調べて来た自慢の資料で情報交換をし、早めに着いて一杯やっていた小貝さんと、修学旅行のノリで旅は始まった。
宮古経由の高速バスは土曜日に当たる帰路は便が無いため大槌町経由としたが、絵馬と東北とのつながり知る旅の途上で、もう一つ気になる事例、江戸時代活躍した吉里吉里の廻船問屋・前川善兵衛家を調べるチャンスとなった。前川善兵衛家は小田原の前川村出身といわれている。





高速バスには慣れている小貝さんが元気に飛び降り、タイヤの真上の振動で眠れなかった私がふらふらと降り立ったのは翌朝6:40、バス亭の周りは茫々たる被災地の大槌町吉里吉里だった。



前川善兵衛家歴代の墓所をめざし歩き始めると、いまだ復旧されていない山田線の線路や、人気のない駅に被災地の真っただ中にいることを実感した。
最初、間違えて善兵衛家が寄進した大銀杏のある吉祥寺という寺に到着してしまい、方向を変えて墓所にたどり着くまで、通学中の屈託のない子供たちに道を聞き聞き歩いた。
朝食のパンを買ったローソンは、通り過ぎてしまいそうなプレハブの仮設だった。沿岸部の商店街を失い、人気のない荒野の中では唯一人の集まる所といった様子だった。





塗り替えられたばかりの真っ赤なお稲荷さんと、その先は津波でなくなった住宅街の基礎が海までずっと続いている所に出た。間一髪で家屋が助かった隣家の住人に聞くと、真っ赤なお稲荷さんは前川稲荷で、道路の向かいは当主が住んでいた前川本家だという。稲荷正面脇には赤さびた船のイカリが置いてあり、前川家が近代まで営んでいた漁業の名残りと想像された。



程なく高台にある前川善兵衛家歴代の墓所に到着。先祖がこの地に来て以来およそ400年間の墓所である。



一代目は小田原北条氏の水軍、清水氏ゆかりの人であったらしく、二代目以降は出身地と言われる前川を名乗っている。小田原では全く知られていないが、この前川家は代々善兵衛を名乗り、廻船問屋として全国で活躍し、飢饉で苦しむ領民3万人を救ったヒーローである。この機会に多少なりとも資料を見たいと思い、この後大槌町中央公民館の図書室に向かった。



タクシーを呼び、来た道を少し戻る形で大槌町を通ると、テレビで見覚えのある廃墟がいくつも残っていた。ここは最も津波の被害の大きかった所で、役所の人も多数亡くなっている。図書館も流失し、中央公民館にある図書は住民らの寄付によるものだと司書の女性に伺った。図書室では大槌町町史や前川善兵衛家文書集など拝見し、必要なところはコピーを取らせて頂いた。山田町町史も別の所から持って来ていただくなど大変親切にしていただいた。

10時開店の店でやっとレンタカーを借り、再び吉里吉里方面に向かう。その昔善兵衛家が灯籠を寄進した神社に立ち寄り、昼食は海辺の高台にあるその名も「吉里吉里善兵衛」というレストランで、海藻や魚介類のたっぷり入った磯ラーメンを食べた。レストランの経営者は残念ながら御子孫ではないようだ。









更に北進して午後1時、今回の目的地、山田町山田八幡神宮に到着した。絵馬を奉納された方のご子息で神社総代の福士政人さんが神社正面で職員の方と待ってくださっていた。電話で想像していたのと同じ温かな笑顔に迎えられ、小田原土産と米神絵馬の写真をお渡しし、早速社殿の正面に掲げられている絵馬を拝見した。
長く外気に晒されているのに、海の青緑色鮮やかで、思いの外大きな絵だ。最初に作られた銘板の文字が色あせ、隣に奉納者の名がずらりと書かれた新しい板が掲げられていた。

奉納 
一金五拾円也 
奉納者名 
福士政二郎 福士政一 佐藤勘一 石山長之助 福士園一 織笠信一 安部清治 福士重男 内館健治 井筒富次郎 沼崎弥一郎 加藤正治 斉藤多利治 福士三之助 昆功一 
昭和十六年 六月一九日納 
神奈川県米神 米神漁場 鰤大漁



昭和16年に米神定置網に来た山田の方達はどのような方で、絵馬を奉納した経緯はどのようなものだったのだろうか? 福士さんの説明によると、福士政二郎(次男) 、福士政一(長男)、 福士園一さん、福士重男(4男)は兄弟で、4男の重男さんが福士さんの父上とのこと。そのほか石山長之助(伯父)、福士三之助(祖父の兄弟の子)、織笠信一(父上の同級生)、昆功一(総代)など、15名のうち8名は血縁と親類縁者の構成になっているそうだ。
どのような人が米神の定置網に来たのかという疑問には、「職業は定置網の漁師ではなく、サッバ船の漁師だった」とのこと。サッパ船とは底が平たい一人乗りの和船で、イカ釣り、海藻、魚介などの磯漁に使われる船の事だ。昭和の初期頃から手漕ぎから次第にエンジン付きに代わってきたそうだ。



佐藤宮司が加わり、一緒に福士さん宅に残されていた絵馬奉納当時の写真を見せていただいた。写真の裏書には「鰤漁奉納記念 米神漁業部 昭和十六年 鰤大漁記念写真」とある。山田町には定置網もある。ブリも入るが小田原と違ってサケが主体だ。一行はサッパ船の個人経営の漁師とのことなので、米神での大漁記念に絵馬を奉納したという事なのだろうか。残念な事にここに映っている人は皆故人なので詳細は分からない。

所で山田と言えば何かと祭りと絡めて語られるのがこの町の特徴らしい。佐藤宮司によれば「山田では、お祭りバカは褒め言葉。漁師町の山田では昔は船主しか御神輿を担げなかった。」という。福士さんもその「お祭りバカ」を自認し、還暦まで散々担いだが今は神輿運行の指示を出す側に回ったそうだ。となれば昭和16年に米神に訪れた山田の漁師一行も、おそらく大変なお祭り好きだったに違いない。
絵馬が奉納されたのは六月一九日とある。5月にはブリ漁が大方終わり、米神では5月15日に神社のお祭りで鹿島踊りが催行される。一行はあの賑やかな鹿島踊りを見て大いに血が騒いだことだろう。米神定置網では豊漁で良い稼ぎができ、米神神社のブリ漁絵馬を見て、これにあやかり山田でも豊漁を祈願しようと絵馬を作らせたのかも知れない。

山田神宮は震災の折津波の被害は免れたが、その後の火災で火の手が迫り木の灯籠が焼けたが、すんでの所で風向きが変わり類焼を免れたそうだ。しかし佐藤宮司管理のもう一つの大杉神社では、神輿が流され復興には数千万円掛かるが目途が立っていないということだ。お祭りの山田町に神輿がないとは何とも残念なことだ。



このあと福士さんの案内で、山田町在住で前川家分家筋にあたる前川長栄さん宅を訪問した。山田町の前川家は4代目から別れた分家で、先祖は山田町の網元であったようだ。御当主は不在で奥様とお母様にお話しを伺った所、後に酒屋になり、その後大工が3代続いているとの事だ。



大工の長栄さんもまたお祭り男。鹿舞の名手で後進を育てる顧問をしているとのことだ。 コピーだがと前川家4代目からの家系図を見せていただき、お母様が手作りで作った丸に二引きの家紋を背景に写真を撮らせて頂いた。

山田町生涯学習課にはメールで午後訪問させて頂きますと連絡してあったのだか、神社と役所は隣同士で午前中神社に本当に来るの?と二度も職員が見えたとのことだった。
以下、生涯学習課の川向さんに絵馬と漁業についてのお話を伺った。

「山田町には定置網はあるが時期的に限られた操業で、今でも宮城、神奈川、静岡に出稼ぎに行っている者がある。漁業者は昔から全国を股にかけて歩いていて、ニシンが良いと言うと北海道や日本海に行き、ブリが良いと言うとそちらに行くと言う具合だった。大漁になると乗り子には大漁ボーナスがあった。山田と新潟で岩越神社か作られ、一緒に定置網をやったり会社を作ったりした事例もある。新潟県には山田のイカ漁が伝わっている。岩手県では絵馬を奉納するという風習はなくて、代わりに祝い半纏を作る風習がある。戦国時代には岩手県内には北条氏の知行地があり、前川家移住以前から交易等の繋がりがあった。山田町の前川分家は網元で廻船問屋をやっていたのではないか。山田町では漁業関係者も歴史家も津波で皆亡くなってしまった。津波で亡くなった神社総代表で歴史家の木下善三郎さんからは、ずいぶんいろいろとお話を伺った。」

川向さんのお話を聞き、漁師の広域の繋がりがなんとなく理解できた。よくお話を聞いたという歴史家の木下さんは、山田神宮の珍しい絵馬についても、きっと関心を持って調べたことがあったに違いない。そんな気がした。

昭和14年に奉納された米神神社の元絵馬は、ブリ漁が隆盛となり小田原の定置網に次第に大きな資本が投下され、小田原の主要な産業として育っていた時期である。
三陸では明治29年、昭和8年と繰り返し津波の被害にあっている。津波から8年経た昭和16年、当時国内でも指折りの米神のブリ漁の援漁に訪れ、ブリ大漁を体験した一行が、もらったボーナスの一部を出し合い、郷土の海の大漁を願って美しい絵馬を奉納した。海と人との広域のつながりを感じさせる、ささやかな歴史の一こまである。



夕方4時近く、役所の自動販売機で一服し、最後の訪問地山田町漁協へ行った。漁協参事の鈴木さんが丁寧に応対してくださり、山田町の漁業、カキ漁、復興途中のご苦労など伺った。今回の津波では山田町の漁民の大半が船を失い、生きがいを失い、老人達がバタバタと亡くなっていった。そんな中、意気消沈していた父親がサッパ船を買い、今は元気を取り戻して漁に出ていると伺った。
ここでサッパ船がまたしても登場した。サッパ船は人の手で海の幸に触れることのできる古くて新しいツールなのかもしれない。山田町には織笠川など三本の鮭が遡上する川があり、手を付けず自然のままに大切にしているというお話も伺った。こちらは子貝さんがお話を全文活字に起こしているので、是非ご一読頂きたい。

鮭については、小田原の主要河川酒匂川でも縄文時代遡上していたと聞く。今も一、二匹捕獲してニュースになることがある。しかし酒匂川は山田町と違い、上流にダムができ、下流に取水堰ができ、取水して都会に水を送り、手を付けまくったお蔭で自然本来の機能を失いかけた川である。
今、米神定置網はハイテク化され相模湾の漁業を担っているが、真水と砂の補給が減った海は変わり、昔のようにブリは来なくなっている。津波で苦しめられている山田町は、主要産業のカキ漁は復興に向け奮闘中であるが、自然のままに昔から変わらぬサッバ船漁労が今も健在で、川には原始さながら鮭が登り、自然が人間の糧であることを私たちに教えてくれる町である。





漁協を出て海を見に大沢地区の埠頭のあたりまで行ってみた。長く濃密な一日の終わりに夕暮れの山田湾が目に染みた。陸上はがれきが取り除かれ、夏草が生える茫漠とした風景だが、目を転じるとカキやホタテの筏が水面に浮かぶ、のどかで美しい海の風景がある。
車が川を渡る時、織笠川の豊富な水量に目を奪われた。これがサケの登る川かと合点した。

大槌町でレンタカーを返し、21:00再び高速バスに乗り込む際、「どちらから来ましたか?」と声を掛けてくれた人のお名前が偶然前川さんだった。
絵馬と海のつながりを求める旅の途上では、それぞれの偶然の出会いにも何かどこかでつながっているような不思議な感覚を感じさせてくれた。たった一日の間にいろいろな方とお会いしたが、遠く小田原から来た私達を一様に温かく迎えてくださった。
バスは満席で窮屈であったが、被災地の人情と自然の恵みに感謝しつつ、今度は朝までぐっすり眠ることができた。(了)


・・・・・

※山田町のブリ漁絵馬については「ふるさと岩手の芸能と暮らし研究会」の飯坂真紀様より、様々な情報を頂きました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。


・・・・・・・
※山田町のお祭りの復興にご支援いただければ幸いです。

◆わわプロジェクト「山田八幡宮・大杉神社 復興祈願例大祭」

●山田八幡宮・大杉神社へのご支援
(山田八幡宮・大杉神社へと明記)

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