ブリの森づくりプロジェクト  

~森の再生からブリの来るまちへ~  小田原市無尽蔵・環境(エコ)シティ  ブリの森づくりプロジェクト 

ブリはどこへいった?(ブリの好適水温)

2012-04-27 13:01:45 | ブリ海コーナー





梶 達也,2008:ブリ資源有効利用に向けた回遊履歴の解明,平成19年度高知県水産試験場 事業報告書,105,25-38
http://www.pref.kochi.lg.jp/uploaded/attachment/6630.pdf


 魚は好きな水温帯で泳ぎます。これは大型魚の場合、餌となる小魚群やイカ類がいる温度だからです。報告はアーカイバルタグを装着して放流したブリの体外水温の解析から、「定置網で漁獲されるためには、適した水温帯が存在することが示唆された。」と言っています。

 すなわち、「ブリ漁期における体外水温は、16~17℃が多かった。これは、「水温16℃の潮がくるとブリがとれる」という漁業者の経験則に一致する。」とのことです。

 更に、「高知県東部の椎名大敷と、西部のマルハ株式会社伊佐漁場における日別水温と、ブリ、メジロの日別漁獲尾数の関係を調べた(図6)。(中略)両漁場とも、ブリ銘柄の漁獲尾数は水温約17℃の時に多かった。メジロ銘柄は椎名で水温約19℃、伊佐では約18℃の時に多かった。いずれの漁場及び銘柄でも、水温16℃以下、20℃以上ではほとんど漁獲されていなかった。これらの結果は、アーカイバルタグの体外水温データ(図5)から推定されたブリ漁期における本種の遊泳水温とほぼ一致した。ブリが高知県海域に来遊し、かつ定置網で漁獲されるためには、適した水温帯が存在することが示唆された。」と述べています。なお、メジロとは関東のワラサにあたり、ブリより少し高い水温を好むようです。

 「定置網で漁獲されるためには、適した水温帯が存在することが示唆された。」ということは、相模湾でも適用できると考えます。ただし、水温も高知県と一致するかというと漁期も異なり、違うようです。

 本報告の回遊群は高知県で放流された後、回遊魚1843は遠州灘から伊豆半島周辺に滞留し、回遊魚1743は房総半島周辺に留まったと推定されました。
本報告では分析されていませんが、図5を参照すると、回遊魚1843と回遊魚1743は、2007年3月から2007年11月までは体外水温が似ていますが、2007年12月は全く異なるようになり、回遊魚1843は2008年1月2月には14~15℃で14.5℃前後を好むようになりました。回遊魚1843は遠州灘から伊豆半島周辺に滞留したブリです。

 1尾だけのデータですが、海域が近いことからすると相模湾のブリも回遊魚1843と似て14.5℃前後を好むかもしれません。

 なお、ブリの好適水温はこれまで様々な報告によって様々な値が示されていました。


平成20年度 高効率発電のための発電設備利用技術及び諸制約の調査報告書
http://www.jmf.or.jp/japanese/houkokusho/kensaku/pdf/2009/20kodoka_09.pdf

 アーカイバルタグによる体外水温がわかるようになり、銘柄、海域、季節、回遊群/根付き群など、違いによる詳細な好適水温を把握できるようになりました。これまでの報告を参照する際は、水温の記述内容に注意が必要です。

 最後に、最初の報告(梶 達也,2008:ブリ資源有効利用に向けた回遊履歴の解明)に戻ると、「ブリの主漁期は冬春期であり、その回遊生態と漁況には水温が大きく影響する(図5、6)。一方、高知県水産試験場の調査船による海洋観測から、土佐湾の表面水温は上昇傾向にあり、特に冬春期にその傾向が著しいことが報告されている。長期的視点から定置網漁業の安定した経営を考えるためには、海洋環境に関するモニタリング調査の継続と拡充も不可欠である。」と、定置網漁業の温暖化に対する対応について述べており、相模湾も例外ではありません。

 気象庁|日本の年平均気温(http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/temp/an_jpn.html)によると、日本の年平均気温のトレンドは1.15℃/100年。相模湾でブリがよく獲れた大正2年(1913年)~昭和41年(1966年)の時期から現在は約1℃上昇しました。ちなみに、小田原市の観測データの1975 年~2003 年の間の年平均気温の上昇量は約0.02℃/年で、30年間に0.6℃上昇しました。気温1℃の上昇は水温0.5℃の上昇となり、夏冬の海水温の差が10℃程度でいつも裸の魚は、陸の5℃と言われています。

 さらに、山本敏博, 井野慎吾, 久野正博, 阪地英男, 檜山義明, 岸田 達, 石田行正, 2007: ブリ(Seriola quinqueradiata)の産卵,回遊生態及びその研究課題・手法について. 水研センター研報,第21号,1-29.( http://www.fra.affrc.go.jp/bulletin/bull/bull21/sousetsu.pdf)は、
「マイワシなど浮魚類ではレジームシフトと呼ばれる環境変化と、加入量変動,資源変動の関係が示唆されているが(Chavez et al., 2003)、ブリでも富山湾において過去の漁況の長期変動と環境要因の長期変動の関係が示された。この現象は環境変動に伴うブリの回遊様式の変化による富山湾の漁況の変化なのか、加入量そのものの変動なのか、あるいは両方なのか、今のところ明確ではなく解決すべき課題と考えられる。」としてブリのレジームシフトについて触れています。
【寄稿:ブリ森サポーター 小貝】
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ブリはどこへいった?(ブリの漁獲形態)

2012-04-22 19:40:34 | ブリ海コーナー



平成23年度ブリの資源評価
http://abchan.job.affrc.go.jp/digests23/details/2341.pdf

 水産研究所ほかは、図11の大型定置網によるブリ銘柄の漁獲量(尾数)の変動について「木幡(1986)は、1950 年代後半から1980 年代前半におけるブリ銘柄の長期減少傾向の原因として、若齢魚への漁獲圧の強化をあげた。近年の資源状況は加入乱獲ではないが、未成魚を主体とした漁獲形態が資源の年齢構成に影響を与え、大型魚の漁獲尾数の減少を引き起こした可能性が考えられる。」と報告。また、「大型魚の増大には、未成魚に対する漁獲圧を引き下げるとともに、年齢毎に漁獲努力をコントロールし、親魚量を確保しながらバランスの取れた利用形態を取ることが望ましい。」としています。
 なお、引用されている下記の文献はインターネット上に公開されていません。
木幡 孜(1986)ブリ太平洋系群成魚の長期減少傾向について. 日水誌,52,1181-1187.

 既に述べた「ブリはどこへいった?(人の自然との関わり)」では人工林の拡大や酒匂川取水堰などによる影響に触れました。酒匂川取水堰は1日平均約732,000m3(平成21年度)を取水、酒匂川の平水時の流量は河口部で約20m3/秒程度、1日当たりの量は約1,730,000m3ですから、42%を取水しているのです。結局最後は人の問題に帰ってきます。自然環境が悪化して植物プランクトンが育たない、その結果少ない若齢魚を漁獲して限度を超えた可能性が考えられるというのが私の考えです。
 山本敏博, 井野慎吾, 久野正博, 阪地英男, 檜山義明, 岸田 達, 石田行正, 2007: ブリ(Seriola quinqueradiata)の産卵,回遊生態及びその研究課題・手法について. 水研センター研報,第21号,1-29.(http://www.fra.affrc.go.jp/bulletin/bull/bull21/sousetsu.pdf)では、「太平洋側におけるブリ成魚の資源変動は、1956年を境にそれ以前の自然要因によると推定される変動と、それ以降の人為的要因によると推定される減少傾向とに分かれるとされるが(木幡,1986)、相模湾で1960年代以降に大型魚の漁獲量が三重県や高知県に比べて極端に少なくなったことと、大型魚の分布・回遊様式の変化が関連している可能性もあり、今後、海況変動と漁況の変化について検討する必要があるだろう。」としています。

 では、平成23年度ブリの資源評価(2010年度を対象)付表1.年齢別漁獲尾数と漁獲量、平成22年度(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests22/details/2241.pdf)表3.2009年における海域別漁業種類別漁獲物の年齢組成と平成21年度(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests21/details/2141.pdf)表2.2008年における海域別漁業種類別漁獲物の年齢組成、の情報を使って2011年の小田原市・真鶴町・湯河原町の若齢魚の漁獲状況(0、1歳漁獲量/2、3歳以上漁獲数)を比較します。
 なお、神奈川県、静岡県、千葉県における定置網年齢別漁獲尾数および漁獲量は以下の方法で振り分けられています。
0歳:7~12月のワカシ、イナダ
1歳:1~6月のワカシ、イナダ、7~12月のワラサ
2歳:1~6月のワラサ、ブリ
3歳以上:ブリ
 7~12月のワラサは1歳の集計であり、7~12月のワラサは真鶴町で1400kg、湯河原町で600kgが該当し、小田原市・真鶴町・湯河原町の年齢別の振り分けに考慮しました。


 ブリの海域別年齢別漁獲量と漁獲尾数に結果を示します。2、3歳以上漁獲数(万尾)に対する0、1歳漁獲量(トン)は、2011年の小田原市・真鶴町・湯河原町の合計が37トン/万尾であり、2009年の山陰定置網の異常値を除く各海域の定置網の値が31~46トン/万尾であることから、同等の数値であると言えます。ただし、相模湾の資源尾数が少ないと想定されることからすると、大型魚の増大には未成魚に対する漁獲圧の一層の引き下げが必要で、かつ未成魚が一層育つ環境が必要と考えます。
 未成魚は小魚を、小魚は動物プランクトンを、動物プランクトンは植物プランクトンを食べる食物連鎖があります。その植物プランクトンはというと窒素やリンを吸収して育つのですがその時、鉄を必要とします。その鉄分を運ぶためには落葉が朽ち果てた後に出てくるフルボ酸が必要で、豊かな森には豊富にあります。このフルボ酸が土の中の鉄分と結合し、水に溶ける形のフルボ酸鉄になり、川によって海に運ばれるのです。
【寄稿:ブリ森サポーター 小貝】
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ブリはどこへいった?(ブリの回遊様式)

2012-04-17 09:44:42 | ブリ海コーナー

阪地英男・久野正博・梶 達也・青野怜史・福田博文(2010)2.太平洋における成長段階別の回遊様式の把握.(1)年齢別回遊群について.水研センター研報,(30),35−104.
http://www.fra.affrc.go.jp/bulletin/bull/bull30/30-2-1.pdf

 不明の多かった太平洋沿岸のブリの回遊生態が解明されてきました。
本研究によると、相模湾のブリ成魚は太平洋沿岸において遠州灘-四国南西岸回遊群、紀伊水道-薩南回遊群、豊後水道-薩南回遊群に大きく分けられた中の遠州灘-四国南西岸回遊群に属します。また、東北海域と外房との間の未成魚の季節的南北回遊が確認され、成魚になって遠州灘-四国南西岸回遊群に吸収され、再び東北海域に戻ることは少ないと推定されました。なお、ブリ成魚の回遊は年代とともに変化しており、戦前では東北から熊野灘および熊野灘から四国・九州、1960年代では東北から相模湾および相模湾から四国・九州に回遊していたという報告が引用されています。また、根付き群の存在が足摺岬周辺において確認され、3つの異なる回遊群および例外的な回遊群と合わせ、時に回遊群または根付き群の乗換えが起きると考えられたとのことです。

 では、「Fig.2-41. 遠州灘-四国南西岸回遊群に属するブリの回遊様式」を使ってさらに詳細に説明します。なお、放流魚の年齢は、イナダを0歳、ワラサを1歳、80 cm未満のブリを2歳、80 cm以上のブリを3歳以上としたとのことです。
・遠州灘-四国南西岸回遊群の生息範囲である外房から熊野灘の0、1歳は大きな移動はしません。
・2歳の小型個体(東北海域の未成魚が成魚となって)は、熊野灘で産卵しそのまま翌年の冬まで滞留します。
・2歳の大型個体は、2~3月に初めて移動して四国南東岸(室戸岬)で産卵し、その後5~6月頃に遠州灘から外房の元の海域に戻り、3歳の冬まで滞留します。
・3歳の2~3月に再び移動して多くは四国南西岸(足髄岬)で産卵し、その後5~6月頃に元の海域に戻り、4歳の冬まで滞留します。
・4歳の2~3月には四国南西岸(足摺岬)、または薩南で産卵し、また元の海域に戻ります。

 漁獲されたブリに、アーカイバルタグ(記録型標識)を装着して再放流し、再捕獲されたら、記録されたデータを解析し、得られた成果です。照度・水温・水深を記録でき、照度から経度を推定し、水温・水深を人工衛星などの海況情報と照合することにより、ブリの回遊生態が推定されるのです。もちろん照度・水温・水深によって遊泳生態が分かります。アーカイバルタグ(記録型標識)を装着したブリの標識放流の調査状況は三重県水産研究所のHP(http://www.mpstpc.pref.mie.lg.jp/SUI/shigen/buri/buri.htm)で公開されていますので参照ください。神奈川県での調査で2011年11月21~24日ブリ成魚6尾を三崎市城ヶ島沖で放流したとのことです。

 相模湾には戻ってきています。ただし、回遊中に漁獲されることはあります。たとえば、静岡県での調査で2011年3月3日ブリ成魚10尾を伊東市川奈沖で放流し、5尾が再捕獲されています。再捕獲された日時と場所は、2011年3月7日(4日目)伊東市、2011年4月13日(41日目)尾鷲市、2011年4月24日(52日目)室戸市、2011年10月18日(229日目)河津町、2012年3月6日(369日目)室戸市です。4日目に再捕獲されたブリを除くと、半分が漁獲されないで戻ってきて、漁獲できたのはさらにその半分(結果1/4)ということになります。
 そうであってもブリの漁獲がはるかに少ないように思えるのです。
【寄稿:ブリ森サポーター 小貝】
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ブリはどこへいった?(人の自然との関わり)

2012-04-13 09:17:07 | ブリ海コーナー
平元 泰輔(1997) 相模湾における定置網型の変遷-2 大型定置網型-(1),神奈川県水産総合研究所研究報告第2号,25~47
http://www.agri-kanagawa.jp/suisoken/pdf/SUISKN/suiskn2-05.pdf
P27~28の「表1-2 年別漁場別ブリ漁獲尾敷数 1925 年~1994 年(大正14 年~平成6年)」の数値をグラフ化


 ブリ漁獲尾数は昭和5年(1930年)189430尾であったが昭和7年492864尾、昭和8年528604尾となり、その反動か丹那トンネルが開通し東海道線が熱海経由になった昭和9年は28253尾と約1/20まで激減した。
 その後は徐々に回復し太平洋戦争が始まる昭和16年は185564尾、戦争中の大量伐採があっても影響はまだ出ずに昭和19年は320459尾までになった。昭和20年の終戦を経て昭和21年は79980尾と減少、ここにきて大量伐採の影響が出てきたのであろう。以降、復興期の木材需要にあっても人工造林の効果がまさり漁獲は増加していき、人工造林第一回目ピーク(43.3万ha)の昭和29年には575381尾を数えるまでになった。
 しかし高度成長期が始まった昭和30年からは漁獲は減少また減少となる。昭和35年は、木材輸入自由化が始まり、香川県ではハマチ養殖が成功し、昭和36年は、人工造林第二回目ピーク(41.5万ha)となりほとんどが拡大造林で、以後10年間は毎年30万ha前後の高い水準で拡大造林が行われた。昭和38年は20079尾まで減少したのである。
 木材輸入前面自由化が実施され、西湘バイパス着工のあった昭和39年からは漁獲の回復の兆しがあったが、西湘バイパスの一部供用を開始した昭和42年は1万尾をも割り5277尾まで低下した。
 昭和46年は50841尾であったが、その後、箱根町を起点に小田原市と真鶴町を通り湯河原町を終点とする白銀林道が全線開通し、養殖ハマチの需要が関西から関東に拡大し、そして高度成長期が終わった昭和48年は8440尾、酒匂川取水堰が供用開始した昭和49年は3284尾、三保ダム完成の昭和54年は7663尾、そして巻き網漁が急激に増えていき、平成3年は39尾とブリは全くいなくなってしまった。

 すなわち、人が豊かさを望んだ高度成長期が始まる昭和30年までは、自然の中で人が生活していました。ブリを獲り過ぎてブリが減ってもやがて回復し、戦時中・復興期の大量伐採にあってもまだ自然が残っており回復しました。しかし、高度成長期の昭和30年から昭和48年の人工林の拡大造林、西湘バイパス、酒匂川取水堰、そして、それ以降の三保ダム、養殖ハマチ用のモジャコの漁獲、巻き網魚による若年ブリの漁獲、人工林の手入れ遅れ、あるいは温暖化など、人の中に自然が存在するようになり、自然が少なくなったのと同じように自然の一員であるブリはいなくなってしまったと思うのです。
 自然を再認識した今、問われているのは人のありようではないでしょうか。
【寄稿:ブリ森サポーター 小貝】
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教えて「森の再生からブリのくるまちへ」~その2~

2012-04-08 16:31:37 | ブリ海コーナー
文部科学省検定済 教科書
小学生の音楽5 教育芸術社

僕にできること
作詞 荒木とよひさ(作詞)石原ゆかり・角田多江子(原案)
作曲 宮川彬良

教育芸術社
http://www.kyogei.co.jp/publication/textbook/h23_elementary_school/a5.html

 毎日新聞公募で作られた森づくり賛歌「僕にできること」が、小学5年用音楽教科書に掲載され合格し、検定結果が公表されたのは2010年3月30日のことでした。歌詞は著作権法で規制されていますので以下を参照してください。
  http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B29882
 2008年6月の秋田県での全国植樹祭でもソプラノ歌手の雨谷麻世が歌い披露された歌です。CDも発売されています。真鶴町、湯河原町、箱根町、川崎市、鎌倉市、他がこの教科書を採択しています。人もブリもつながって生きていることを音楽からも知ることができます。小田原市は他の教科書ですから、小田原市の子供たちに機会があったら是非この歌を教えてあげて欲しいものです。そして、この歌を歌った子供たちは、きっと質問するでしょう「ブリが来るって?」と。
 私はこのように説明します。

●ブリが来るって?

ブリは3歳になると、産卵のため秋から冬にかけて南下し、春から夏にかけてはエサを求めて北上します。この移動の通り道(回遊ルート)に定置網を置くのですが、そのブリがたくさん獲れることです。ブリは好きな水温帯で餌となる小魚群やイカ類につけて移動し、水温や潮流などの微妙な変化で食欲が出て、追って食べます。特にイカ類はブリなど大魚の大好物です。また、ブリは賢く沿岸の環境にも敏感です。ブリがたくさん獲れた時期と違って、漁獲が最盛期の1割に減少、温暖化により回遊ルートが変わる、川からの水道用水の取水による海に流れる水量の減少、沿岸の高架道路や自動車の通行による自然環境の悪化、川のゴミの問題、などもブリと共存するためには人間を含めた生きものとそれらを取り巻く環境がお互いに関わりあって、ひとつのまとまりを形づくっていることを、みんなが理解することが大切です。みんなで森に植える苗木を育てて森に植えたいですね。

 国連森林フォーラムより「フォレストヒーローズ」の6人に選出された畠山重篤氏は、海側から森を見ること、森と川と海は一つ、5~6万本を植樹しそれでも自然からすると点でしかない、効果が出るには20年はかかると思う、流域の人々の意識が一番の問題、持続することが大事、と言っておられました。また、以前に畠山氏の「森は海の恋人」を伝えた朝日新聞の見出しは「山に翻る大漁旗」だったそうです。森への感謝の気持ちですね。
 小田原市の人々の意識はどうでしょうか。小田原市の子供たちは森からの栄養分で育つ植物プランクトンの味は何の味かを知っていますか?
 では、次回からブリから嫌われた(人々の意識の問題は除いて)理由に迫ります。
【寄稿:ブリ森サポーター 小貝】
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