3月26日、28日と29日に合わせて1600尾のブリ・ワラサが小田原市の米神定置網に来てくれました!
写真はブリ森プロジェクトの小田原魚國さんのツイッター(https://twitter.com/odawarauokuni)より。尾又長が65cm前後ならまもなく2歳になるブリで、回遊はまだしないので相模湾で育ったブリ、尾又長が75cm前後ならまもなく3歳になるブリで、中には回遊するブリがでてきます。
1月以降これまでブリが全く獲れませんでした。梅が咲くのが遅く桜が咲くのが早い気候と関係しているのかもしれません。
米神定置網ではかつて最も多くブリが獲れたのが昭和29年(1954年)の19万1900尾で、昭和44年(1969年)には80尾まで減少しました。昨年の米神定置網は2100尾の漁獲で、真鶴町や湯河原町の定置網の方が多く獲れている状況です。
さて、3月21日は国連が制定した「国際森林デー」で、それにちなんで南足柄市にあるアサヒビール神奈川工場では3月23日に「水と森林について考えるパネルディスカッション」が開催されました。
南足柄市の「地下水政策」のお話もあり、南足柄市の水収支解析さらに水源年齢は、箱根水系は40年前の水、酒匂水系は15年前の水で富士山からの100年前の水も入っている、それと関本水系(水源年齢は未調査)、とのことでした。
『ブリは低塩水を好む。水温は15度を好む。
小田原市の地下水も南足柄市とほぼ同様の水系と考えられ、海底からその地下水が噴出している。
小田原市扇町にある「酒匂」と呼ばれる地下水は年中15度とのこと。
15年前の水、ブリが獲れなくなったのが昭和44年、ということは昭和29年の水!
昭和29年は、天然林を一斉に伐採してスギやヒノキなどの針葉樹を植え人工林を広げる、「拡大造林政策」が政府から出された年である。。。』と、会場内で頭をよぎりました。
生きもののつながりを考えさせられる出来事とイベントでした。
なお、「拡大造林」の見方としては、例えば、
「江戸時代に生まれた村人が見渡す山のほとんどは、現在の発展途上国で広く見られるような荒れ果てた山か、劣化した森、そして草地であった。この事実を実感として把握しない限り、日本の山地・森林が今きわめて豊かであることや、国土環境が変貌し続けていることを正確に理解することはできないと思われる。」(太田猛彦『森林飽和 国土の変貌を考える』NHKブックス、2012年)
のように、「森林飽和」とする見方と、
「このように手入れが行き届かない過密状態の人工林などが増加し、森林が本来持っていた保水力などの機能が著しく低下してしまうことを「森林崩壊」と呼び、最近では環境破壊や自然災害に結びつく憂慮すべき問題の一つとして強く指摘されるようになった。」(徳川林政史研究所『森林の江戸学』東京堂出版、2012年)
「森林政策から見た“徳川300年”は、次のようにまとめられよう。最初の100年間は、幕藩制国家という「新しい国づくり」の過程で、森林を木材の資源として無秩序に活用し、その結果、洪水や土砂災害の頻発と深刻な森林資源の枯渇を招いた。次の100年では、荒廃した天然林の利用を抑制しつつ、人工造林で森林資源を増やしていくことが試みられた。そして、続く100年では、森林の保続と活用のバランスをいかに図っていくか、森林と地域との共存のあり方はいかにあるべきかを真剣に考える時期にあたっていたといえるだろう。」(徳川林政史研究所『森林の江戸学』東京堂出版、2012年)
のように、「森林崩壊」とする見方、があることを付記しておきます。
【ブリ森サポーター 小貝】