あるマーケティングプロデューサー日記

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新ドイツ空軍の三首脳

2008-03-16 20:29:47 | インテリジェンスの歴史
今日は、新ドイツ空軍の指導層を見ていきたいと思います。

◆新空軍の三首脳

ここで、新ドイツ空軍の指導的地位を占めた人達に焦点を当ててみよう。

空軍総司令官はヘルマン・ゲーリングで、彼は実力があり、精力にあふれた政治的指導者でもあり、力量と信望は頂点に達しつつあった。しかもナチ党の創設以来、ヒットラーの最も親密な友人であり側近でもあったから、彼の地位はゆるぎないものであった。また、20機撃墜という第一次大戦の戦闘機乗りのエースという声望を持ち、こと航空に関しては“権威”であると自負していた。

しかしゲーリングは、1918年以後、飛行機から遠ざかっていた歳月の間に航空界に生じた大変化をほとんど理解できず、新しい航空時代から取り残されていた。ところが、とりわけ自己顕示欲の強いゲーリングは、何事も新空軍に結びつけて、自分で処理しようとする傾向があった。彼は、どんな任務でも、空軍が関係せずに遂行されるのを許さなかった。その上、部下の忠告を聞くことも嫌がった。

それにも関わらず、ゲーリングは、その政治的影響力を利用して、例えば資材の配分については、陸海軍よりも空軍の優先権を確保した。こうした強引さと非妥協的性格から、彼は、陸海軍の総司令官とは永久に仲たがいしたままであった。

ゲーリング直属の部下は、エアハルト・ミルヒ次官である(※写真/ニュルンベルク裁判で、弁護を担当する兄ヴェルナーと接見するエアハルト・ミルヒ ウィキペディアより抜粋)。ミルヒは、疲れを知らぬ有能な活動家であり、同時に健康な実務家であった。

空軍に入る前は、国策航空会社ルフトハンザの支配人だったので、航空機の運用について、詳しい知識を身につけており、ミルヒがいよいよ空軍を建設することになった時、これが大変役に立った。

ミルヒに続く地位にいたのは、空軍作戦部長ワルター・ウェーバー大将である。歩兵出身だが、新空軍に転じたウェーバーは、ナチズムの熱心な信奉者であった。

ウェーバーは、自分の職務に非常な熱意をもってぶつかった。46歳で飛行機の操縦を学び、部下達と一緒に、新しく発見した技術に熱中した。彼は極めて優れた空軍参謀で、新生の空軍が避けられぬ生みの苦しみを、和らげるのに尽力した。

その上如才なさと、必要な時には縁の下の力持ちになるのを厭わぬ性格なので、ウェーバーは、ゲーリングともミルヒともうまくやり、その地位を保つことができた。

この三人のもとで、ドイツ空軍は急速に発展していったのである。


どんな組織でも、その創立時には創業メンバーのチームワークが重要です。新ドイツ空軍をベンチャー企業に例えると、この3人が創業メンバーと言えるでしょう。初期の売上が確保され、インフラも整い、いよいよ成長期に入っていく過程を、次回は見ていきたいと思います。

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