あるマーケティングプロデューサー日記

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スペイン内乱での実践訓練

2008-03-24 23:02:06 | インテリジェンスの歴史
再び、第二次世界大戦ブックスからです。まだ創立したてのドイツ空軍が実践力をつける格好の練習台となったのが、スペイン内乱でした。


◆スペイン内乱での実践訓練

それは、スペイン共産主義共和政府に反抗するフランコ将軍の国家主義党軍を支援する、という形で行われた。

その時ドイツ空軍は、はじめわずか20機のユンカースJu52爆撃機と6機のハインケルHe51戦闘機を出動させたに過ぎなかったが、それでもこの貧弱な航空部隊は大きな功績をあげたのである。

フランコ将軍にとっては、彼に忠節な軍隊をモロッコ(北アフリカ)からスペイン本土へ移動させることが絶対必要であった。1日に4往復、一機が1回に25人の完全武装した兵員を運ぶユンカースJu52部隊は、短期間におよそ1万人の戦闘要員を移動させた。

このような大規模な空輸作戦が行われたのは史上初めてであり、不安定だったフランコ将軍の地位を固めるのに十分役立った。

しかし、その後まもなく、フランコの反乱部隊はさらに多くの救援が必要だということがわかった。そこで数ヶ月にわたり、ドイツ空軍派遣部隊の増強が続けられ、11月にはその名も「コンドル」軍団と名づけられ、約200機の勢力となった。その約半数はユンカースJu52爆撃機とハインケルHe51戦闘機で、残りは偵察機、地上襲撃機および輸送機であった。

初めの数ヶ月、この部隊はほとんど成果を上げることができなかったが、それは、人民戦線軍に使用されていた近代的なソ連製ポリカルポフ・イー16単葉戦闘機に対して、He51戦闘機が劣っていたためであった。(※中略)

スペインの上空で、ドイツ戦闘機隊は、みずからの戦術をあみだすために自由にふるまうことができた。かれらはまず、イタリア空軍がもちいている翼と翼とがふれあうほどの密集隊形飛行からはじめた。(※中略)


◆新隊形と新戦術

結局、ウェルナー・メルダース中尉があみだした、散開した「四つ指」隊形が、火力の集中と行動の自由性とに、もっとも合理的であることがわかった。(※中略)

スペインでの経験は、ドイツ空軍の将来の方針に重要な影響をもたらしたが、その一つは、戦闘機としては旧式になったHe51を、地上襲撃機として活用する方法を見つけたことである。(※中略)

He51は9機以下で密集隊形をつくり、約150メートルの低空で侵入する。編隊長が激しく機首を振るのを合図に、パイロットはいっせいに搭載物を投下する。この戦術は殆どの場合、成功した。なぜなら、この時代には、空からの攻撃は地上軍に恐怖心を与える効果があり、兵士達は飛行機の姿が見えると、抵抗するどころではなかったからである。

コンドル軍団の参謀長ウォルフラム・フライヘル・フォン・リヒトホーフェン大佐(第一次大戦のエースのいとこ)が、この新戦法の開拓者であった。(※写真はスペインから凱旋したコンドル軍団を閲兵するゲーリング:後ろにウォルフラム・フォン・リヒトホーフェン大佐が見える)


スペインの内乱に介入することで、新生ドイツ空軍は実践訓練を積み、装備だけではなく、戦術の確立と優秀なパイロットの養成という目的を達します。短期的には周辺諸外国と比較しても十分な戦闘遂行能力を保持していましたが、長期的には重大な欠陥が生じていたのです。

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