ローバーリングは電源である 1956年、英国のローバースカウトの制度が改正になったとき、当時の総長ロード・ ロウオーラン氏は、「私はローバーたちが、これに対して忠実な支援をおくってくれるこ と、ならびに、ルールを守って、ローバーリングをして、スカウト精神生産工場たらしめ るだけでなく、スカウティングの全ての部門が、本当の電力をそこから引くことのでき る発電所とするように、このローバーリングを、最善の水準にあげることを望む」と云 った言葉を、特記したい。 次に、B-P、「スカウティングは、組織ではなく運動である」と云った言葉を、これと ならんで、考えたいのである。 この Movement(運動)であるという意味は、たしかに大きなボエンだと思われるので あるが、私にはまだ、確とした意味がわからない。推察の程度でいうならば、スカウテ ィングは、制度や規約や、組織で縛られた窮屈な、発展性のないものではなくて、生 物のように、有機体のように、成長し、発展し組織員以外の人々のあいだにも伸びひ ろがるものだと、いうように解される。見方を変えれば、「運動である」ことの方が「目 的」であって、その目的を達するための「方法」として、「組織」がいるのだ、と説いてい るような気がする。 私は、こういう見かたから、B-Pとロウオーラン氏のいう「発電所」「運動」という二 つの言葉を味わっている。すなわち、スカウティングは、現在、全世界の800万人の 青少年にまで及んでいるが、これで満足すべきではなく、この運動は、1000万人の 人々、さらに、2000万人の若者や、あらゆる人たちに向かっても伸びてゆかねばな らないであろう。数量の上だけでなく、質の面でも、さらに掘り下げられ、層を深め、充 実されねばならない。換言すれば、遠心運動と、末心運動の二つの運動を増大せね ばならない。そういう「運動」だ、と示し、そしてその電源はローバーリングにある、と、 言っているように思うのである。 すなわち、このスカウティングという大運動のメカニズムには、カビングという部分や、 ローバーリングという部分がある。けれども、この、メカニズムにおいて、ローバーリン グこそが、その電源だという解説である。 そこで、もし、ローバースカウトたちが、その使命を怠って、発電しなかったなら、ま た、発電はしても、弱い電力しか出さなかったとしたら、スカウティングという大運動の メカニズムは、充分な活動をすることができずに、お茶をにごすほかないことになる。 英国は、前述のように1956年4月1日、電力強化のため、大英断をもって、ローバ ースカウトの課題を大幅に改正したわけである。 日本のローバーリングは、1960年現在、そのプログラムもきまらず、発芽期にある。 このような制度(進歩制度のような)は、作ろうと思えば、机上のプランで、わけなく作 れる。衆智を集めれば、1カ月で出来る。しかし、それでは、「運動」にならない。これ が、運動から盛りあがったものとするには、ローバースカウト自らの力で、発芽し、育 て、組み立てた制度でなければならない。時日や年月はかかっても、その方が本当で ある。「根」をもつからである。そうでなかったら、「造花」にすぎない。 今夏、第1回のローバームート(青年スカウト大会)が、那須日光にわたって催され た。全国から、大学ローバー(立教、慶応、大谷龍谷、京大、中央大学)や、地域団の ローバーたちが参加した。こんな愉快なものなら毎年集まろう。と皆が云った。最初、 「日連は、ローバーリングに対して定見をもたない」とか「案を出さない」とかいう声も あったが、最後には、「自分の舟は自分で漕ぐべきだ」、「ローバーのことは、ローバー 自身で建設すべきだ」ということがわかって、少しずつ、電力を出してきた。そして、お わりには、すばらしい成果を、おさめたのであった。 私は、ロウオーラン氏の、「電源論」を、みんなに、紹介しておいた。 単位が団でも地区でも県連でも、ローバースカウトの発電力がなかったら、機械はうま く動かないだろうと、思う。 (昭和 35 年 11 月1日 記)