明日から4連休だし
今朝方昔住んでいた新松戸を歩く夢を見たのですが夢の中の駅前が
半ば廃墟と化している時点で夢だと気がつき暴漢が襲ってきた時点で
殺される直前で目が覚めるのだなと思ったらドラゴンスクリューで
切り返して息切れしてる所で夢が覚めたのでした。
そんなんブログに書くなと言われるとは思いますがこのパターンで
切り返して目が覚めるのは初めてで、なんなら体すら満足に動かせず
抵抗する事もできなかったので逆に悪い事の前兆かと思ったのですが
目が覚めると枕を抱いていた事が判明。
よくよく思い返すと寝る前にスマホで大型犬の動画見ながら枕を抱いていてので
そのまま寝落ちしたと思われるのですが枕を抱いて寝たのも始めてだったので
ドラゴンスクリューできたのも恐れらくこれが要因だったのでしょう。
どうしてもいかがわしいイメージが先行してしまう抱き枕ですが
安眠効果と合わせてこんな効果もあったりしたんですね・・・。
あべちゃんから菅さんへ。
アベやめろ芸人はスガやめろ芸人に。
政治に関する冗談とかで笑うのはある程度のリテラシーが必要だし
そもそも政治について何か話すこと自体がリスキーだと思うのですが
あの辺の界隈に人達の偉い所は、そこ踏み抜いてわらかしきてくる所。
あべちゃんやめた時点でスガやめろ言い出した辺りは流石と思いましたね。
やってる芸の本質は変わらないけど総理やってた期間が違うだけにどうしても
やめろのフレーズの面白さで劣ってしまうので菅さんには頑張って欲しいなあ。
俳優の杉浦太陽が新型コロナに罹ってしまったそうです。
杉浦太陽と言えばいろんな意味でずっと本人について回るのがウルトラマンコスモス。
そして当然のようにウルトラマンコスモスの劇中で出てきたコロナモードと絡めて
一部の特撮好きな人達から今回の件についてイジられるますよね・・・。
イジられる事について個人的にどう思うかは置いとくとして杉浦太陽が
コスモスに対して強い思い入れを持っていて、20年近くたった今でも
コスモスに定期的に触れるの普通に良いなと思ってます。
2000年代は所謂ジャリ番が俳優のキャリアとして恥ずかしい事であるという
認識が薄れてきた年代という印象があるのでコスモスで何なら杉浦太陽がコスモスに
出演した事を熱っぽく語る姿が、特撮の主演をアピールするのは恥ずかしい事という
世間や業界からの印象を薄めさせた要因のひとつなのかも?なんて思った事も。
しかし恫喝事件の冤罪で番組を打ち切られた件といい・・・
ハタから見ると異様なコスモスに対する思い入れといい・・・
偶然にしてもちょっと出来過ぎなコロナモードといい・・・
いわく付きの何かを見ている様な気になってしまうのも無理からぬ話で・・・。
ナナオンは加齢臭がするようなカバー曲が多かったリリース当初と比べると
大分今っぽい選曲になり今回のイベント課題曲が鬼滅の刃の主題歌だったから
凄い流行ってるソシャゲなのではと錯覚してしまう~!
作品的にも鬼滅とはお話作りというかキャラの掘り下げという点で見ると
似通う部分も多いですし、今回のカバーはオリジナル版と聴き比べても
良いなと思えるのでそういう意味でも抜かりが無い・・・。
カラオケでナナニジの曲歌ってる層の大変が10代~20代の女の子と
40代以降おっさんという意味不明な集計結果があるから違和感のない
コラボ先を探すの大変だしハマるのかなといらぬ心配を常にしてましたが
ちゃんとやれば存外に良い。
前回のmotto✩派手にねが良くも悪くも衝撃的だったのでその反動もあるかな?
それと。
「悲しき過去」での掘り下げが多いといえばもう一つ多くの人が思い浮かべるであろう
青年漫画がありますがナナニジは公式のブランディングがちゃんとしているっぽいので
変なコラボやカバー曲は多いにせよ一線は超えないという安心があるのは良いですね。
■関連
会社の健康診断で胃に影があるという結果が出まして。
胃がんの恐れがあるから胃カメラ飲んで検査しなさいとのお達しが。
驚いた事は驚いたけど親父を始め親戚は結構癌になってるし
そういう家系的と半ば諦めていたせいもあってか完全に癌だと
思いながら今日再検査受けましたところピロリ菌に感染してるから
早く対応しないとアンタ胃がんになるよっていうオチでした。
そうなんだぁだったらお薬飲んで治療すればいいからカメラも
避けられるからいいかって気分が晴れ晴れとしてる所に医者から
駄目だ胃カメラだけは最低でも飲んでもらうと言われてしまい
一転2週間後の検査に怯える状態に入ってしまいました・・・。
15年前に急性膵炎になった際に胃カメラ検査した時は
飲んでる途中に目が覚めて触手にとかスライムに無理無理
犯される人の気分を味わい軽くトラウマになっているので
記憶がよみがえり顔が青ざめちゃってます。
・・・なんて記事を書いてて俺が仮にバ美肉してたとしたら
この日記を受けて口に何か無理矢理突っ込まれてえづいている
エロい目にあう絵描かれたのかもしれない・・・とか思いまして。
バ美肉する人の気持ちが解った気がした日でもありました。
誤解なきように言うと俺自身女の子がそういう目に合ってる絵は
滅茶苦茶苦手なんですが、俺自身がマゾなので仮に自分が女の子で
滅茶苦茶されていると思うと倒錯した感があって興奮するのですよ。
昔の映像を見ると画質が荒い上に動作も飛び飛びで実際に起こった事を
収めた映像のはずなのに何だかこの世ならざる映像にも思えてくる・・・。
ただその一方で実際にあった事を収めた映像ではあるとも解ってはいまして。
映像に写っている人の大部分はもう死んじゃってるんだろうなあ~と思うと
何とも言い難い言えない無常感が沸いてきて怖いというより切なくなります。
特に第二次対戦前の映像とかだと、映像に映ってる建物の大部分は数年後に
どうなっちゃうんだろうなとかいらん事ばかりを想像してしまうのですね。
実際の映像でもそうなのですが例えばそれがフィクションでもそうなります。
それこそ劇画漫画とか萌え系のアニメだったとしても舞台が昔だったりすると
今はこの人たちはもういないんだと。なまじ楽しい話だったり物語の中で
明るい未来が提示されてると余計に物悲しくなってしまう・・・。
昔見た大正野球娘。の物語のメッセージ性だったりそれを象徴する
印象的な最終話の締めは今でもたまに思い出す位に好きなんですが
あの数年後には戦争始まっちゃうんだろうなとか思っちゃて・・・
良くも悪くもビターな後味を感じてしまったりします。
最近とある会話から映像の性器の話になり久々に動画を見返しまして
久々に見ても色褪せない面白さだと思ったのですがやっぱり兄貴が
もういないと思うと寂しさも湧いてくるもんですね。
あれからもう2年半かぁ。