あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

人に甘えてみないと他人も甘えてくれない

2019-02-26 | from:sachiaki
3月のラインオンで桐山くんが言われていたやつです。
人と関係を作るってことは「お互い様」ということだ
みたいな話です。

んなこと誰でも知ってるし、やってるよ。
って人は多いと思うんですけれど
私はけっこうできないタイプなので
なんとか人に甘えることに慣れたいなぁと思っているsachikaiです。

アダム・スミスが『国富論』の中で述べていた

 私たちが呼びかけるのは、彼らの人間性に対してではなく、
 彼らの自己愛に対してであり、和足たち自身の必要について彼らに語りかけているのでなく、
 彼らの利益について語りかけているのである。
 同胞である市民の慈愛心に主としてすがろうとする者は、乞食以外には誰もいない。

っていうのから、私たちは利益に基づくものでないと人は動かないと思っているし、
実際そんなもんだし、
母が子を思うように、無償のものなどはないのですよなぁ。
(その母ですら、「子がかわいい」という対価を得ていることについては傍に置いておきます)

てことでね、とくに長女育ちの私からしてみたら
他の人がなにかをしてくれるなんてことは期待できないし
むしろ弟たちが出来ないことについて
やかましくも口出しをしながら後ろをちゃんと付いてくるか
そういった心配をしながら常に与える側でしかなく
”してもらう”ということに耐性がないのですよね。
両親からの期待には応えるものだと思っているし
弟たちにとって頼りになる姉であるポジションであることを
どこかで勝手にしょいこんでいる。

だから苦しくてもしんどくても「〜して欲しい」というのができないし、
「〜して欲しい」には対価が必要だと思っている。

でもはたと気づくわけですわ。
弟たちにしてきたことについて、なにか恩返しが欲しくてしてきたわけでもないし
弟たちが「ねーちゃん、あれが欲しい」と言った時に
しょーがねーなって言いながら出してきたことについて
別に嫌な気持ちもなんもないし、
対価としてもらったといえば
姉としての尊厳をもらったというものがありますね。

ウィークポイントを晒して「助けて欲しい」と言った時に
それを拒む人はそれなりにいるだろうけれど
捨てる神あれば拾う神ありってことで
助けてくれる人もいるってことなんでんな。

「きっと助けてくれる」と信じ抜くのはとても難しいけれど
自ら動いて真摯に向き合えば意外なところから手が差し伸べられたりするものですよなぁと。

人にものを頼むのは怖くてこわくて仕方がないけれど
言うだけいってみて、100回に1回のOKを取りにいきましょうかね
とかそんな気持ちです。

とりあえずうまくいったらどえらい見晴らしのいい場所にて
そこそこいい写真を撮りにいけそうです。
ていうか、写真はどういじっても良いのが上がってくる人にお願いしているので、
場所、場所さえOKが出ますように。

私ができることなんて祈ることくらいしかないんじゃよ。。

というわけでこの辺にて。モイモイ
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