「予想通りに不合理」が発行されたのは2008年
そして行動経済学が注目され
どういった動線を作れば人は思ったように動いてくれるか的な
マーケティングが注目されて
今はさらにもっと早い「反応の良いもの」を取り入れる
そんな消費社会になっているなんていう話なんてのも聞きますわね。
まぁマーケの話は私は全然わからないので
ここで話を切り上げるとして、
人がエラーのような行動を起こすってのは
まるで法則に乗っかってるようだな
なんてことを思うsachiakiです。
成功する法則は存在しないが
失敗する法則はあるっていうのと似てるのかな。
昨日は月のものがきて頭もお腹も痛いのに
時間が比較的ポンと空いたので(個人制作の作業しろ)
2019年にインディペンデンス映画のお祭りで
各賞を総なめにしたというSF法廷サスペンス
「センターライン」を見て
人工知能に人権を与えることについて考え、
次に「コロニアの子供たち」を見て
ナチというのは本当に宣伝とうか
対面に対しての作りがうまかったのだなって
ヘドが出つつも感心し、
ついでに漫画の「ダーウィン事変」を読む
といったことをしていました。
全てを通して思ったことは
・自分に自信がない人は権威の許可があれば
残忍なことでも履行することに戸惑いが少ない
・不安を抱える集団は暴徒化しやすい
・美しい体裁(一件の正論など)を与えられると
それを突き崩すのは難しい
ってことでした。
他にもあるけれど、揃っているのはこの辺だったかな。
頭のいい人や本をよく読む、映画をよく見る人なら
「今更そんなこと?」って思うんだろうけれど、
私も社会心理学で勉強したなって思いながら
自分の頭の中でようやく点と点がつながった感じがして
面白いなってなったのでした。
ハンナ・アーレントが「凡庸な悪」と残したものと照らし合わせても
個人がきちんと自分の頭で考えた答えに
しっかりと向き合わなければ
たちまちリーダーと呼ばれる権威に逆らえなくなり
権威の元で悪をなし続けるのは明白なのだよなと。
なにかことを起こした時も
「〜に言われたからやった。自分はやりたくなかった」と
自分の罪を認めない人がいるけれど
それこそ”私”という個人の権利を放棄した結果じゃない
って思ってしまうし、放棄し続けるのだな
なんてことを考えてしまう。
誰かやなにかを見た時に嫌な気持ちになったり
阻害したい気持ちになるのは誰にでもあるけれど
それを行う時に誰の命令(+自分の内なる声)であれ
従ったのなら、行動を起こしたものにも罪はあるわな。
「従わざるを得なかった」
そういう状況はあると思うけれど、
そうであっても「したことはしたこと」だからね。
逃れられないことだと思う。
↑なんか小泉構文ちっくでちょっと笑った
それと、「センターライン」を見て
自分から見て”非”人間であるものに対して
人権を認めるきっかけって
なによりも強く訴えるのは
そいつに「殺意」とか暴力の種を見つけることなのか
ってちょっとだけ悲しくなりました。
もっと他になかったのかな。
でもきっとそういうものなのかもしれないな。
と、そろそろお出かけの時間なのでこの辺にて。
めちゃくちゃ面白い映画で60分程度なので
ぜひU-NEXTに加入されている方は見てみてくださいね!
それではまた。モイモイ