あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

飽き性なのでクリアができない

2021-03-31 | from:sachiaki
ゲームを久しぶりに買いました。
「ゼルダの伝説Breath of Wild」以来2年ぶりぐらいかしら。
私がクリアできたゲームは今のところ
パズルゲームの「キャサリン」と「ドラクエビルダーズ1と2」です。
あ、あとショートパズルの「ゴルゴア」もクリアしたか。
とはいえ、基本的に途中で飽きてしまうので
ゼルダもクリアできてないまま放置しちゃって1年近く経ちますからね。
いやはや、なんてこったですよ。
どうも、飽き性でいろんなことに手を出してはやめてしまうsachiakiです。

ソシャゲの「ドラクエウォーク」は毎日続けているのにねぇ。
なにが違うんでしょうね。

まぁ色々と違うんでしょうけれど。

今日は色々色々なことが重なりまくって
あああぁああぁああぁってなっていたのですけれど
お店が暇だった(よくないね!)ので
ひたすら緊急事態の対応をしていました。
今日は本当になんて日だ!って感じだったな〜。
ため息。

とりあえずお仕事を受けた時に一括で引き受けるのは
すごくありがたいことだけど、
一つ一つのところに振り分けて見積もりを取ったり
発注かけたり連絡をかかさずしたりするのは
相当に骨が折れることなのだな……って改めての実感。
こういったやりとりを行う中間管理職の方々は偉大だわ。
会社ってものが会社として成り立つのも
こういった一括でやると大変なことを
それぞれバラしてやっていけるからなのだなぁ、なんて。
フリーランスとしては、そういったバラけたものの一つを受け取り
キッチリとした仕事をするのが理想的なんだけど
時にはイレギュラーをやってみると
他人のお仕事の大変さを体験できて良いことなのかもしれない。

まだ完成品の納品までいきついていないので
気を抜くわけにはいかないのだけど
とりあえず今日をやり過ごせたのでOKということで。
また明日も生き抜きましょう。
そして無事に納品できてお客様達のお手元にそれが届く頃には
大きな達成感となりますように。
心の底から祈っております。

そんな感じ。
なのでってわけじゃないけれど、
少しお疲れな自分に対して確定申告を終わらせることができたことも含めて
よくやった頑張った!ってことで「リトルナイトメア2」を買ってきたので
これから自分のための時間を過ごそうと思いますw
さー、ゲームの世界にインザワールドだ。
そんじゃまたね。モイモイ。
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ハクスリーの「すばらしい新世界」を読み終えた

2021-03-30 | from:sachiaki
ここのところ寝不足なのは、春の自律神経がイカれているからだけでなく
眠くて仕方ないからお布団に入ったのに眠れず
そんじゃいっちょ読書しますか〜といって読み始めたら
とても寝るなんてことができないぐらいのめり込んでしまい、
結局のところ自分が悪いんじゃん!ってなってたsachiakiです。

日曜日はこのご時世でウカウカ出かけている場合か?
ってなったけれど浅草までおでかけしていたよ。
なぜなら新コロちゃんに患って大変なことになるよりも
別ベクトルで深刻な自体だったので
これはイカンと小規模な友人とお出かけしてきたわけです。
あたしゃもう”自らこの世界からグッバイする人”を
もう一人も抱えられんってなってしもてるのですわ。
それこそ月初めに知ることになった
年若い友人の突然死のきっかけよりも先に
仲の良い友人を二人もなくし、
その時も相当なダメージを受けたのに
今回のことで予想以上のダメージを受けていることに気づいたので
これ以上は無理だ……ってなっているのです。

そんなおり、ちょっとしたきっかけで
ーユヴァル・ノア・ハラリの「21 Lessons」を読んだのがきっかけで
「すばらしい新世界」について気になったので
そういやこの古典SFを読んだことがないな〜って気づいたので
図書館で借りてきて、読み始めたら一気に引き込まれてたってわけ。

1932年という時代から考えると、たしかに未来を予知できていないな
っていう端々はあるものの、大きなストーリーとしては
ものすごくよく練られていて、さすがディストピア小説の双璧の一つ…と
背筋に衝撃が走りました。
あの時代の背景を考えると共産主義が台頭し、
「最大多数の最大幸福」というものがあり、
それを突き詰めて考えていくと
ああいったディストピアが成り立つのだろうな……とも思ったりしました。
曰く、みんなのものはみんなのもの
個人の幸福を成り立たせながら社会秩序を営むためには
バカとエリートという格差構造が必要なこと
しかしその構造に疑問を持たせない程度に胎児の頃から「条件付け」を徹底し、
あらゆる強い感情から逃れるために薬(ソーマ)を持ちうること。
人々は快楽のためと、考える時間となる”暇”がない程度には階層ごとの仕事があり、
宗教や美術からは遠ざかり、父母、恋人という概念がなく
いつでも好みの異性(この時代なので)を誘い
2週間以上は同じ人と付き合わないことを道徳化され
年老いることなく30歳以降はホルモンを整えたり
血液を入れ替えたりとシステム的に活発な時代のまま生きられる。
しかし高齢者があまりに多いと人口の入れ替えが起こらないので
肉体的には30歳でも中身的に60歳近くになると老衰が起こり
脳と心臓だけが歳をとって病院に収容され
収容されたあとも好きなだけ薬を含み、
いい匂いに包まれ、感覚だけを楽しむテレビを見続けることができ
恐怖を抱くことなく往生することができる世界となっています。

人によっては「それのどこが悪いの?」って思うのかもしれないけれど、
なんて気持ちの悪い世界なのだろう、と私なんかは思ったりします。
堕落した自分は高潔に生きることはできなくなってしまったけれど
それでも自分の頭で考え、自分の内側から出てくる言葉を紡げるように
あらゆる言葉や考え方を知りたい。
知的なものへの興味を失うことが良しとされる世界では
とても生きる場所がないなってゾッとしてしまうのです。
孤独になることや、辛い感情を持つことを許してもらえないなんて
とてもじゃないけれど耐えられない。
みんながみんな条件付けという脊髄反射で人に親切にすることを当然とし、
不快なことをされてもニコニコ笑いながら薬を含んで
お互いやり過ごすなんて、大きなお世話だってはね退けたくなります。
人に親切にする理由や人を愛する理由や
一つのつながりが強固であるからこその苦労などは
むしろ人生の彩りであるし、
それらがないなんて信じられません。
私たちには社会に対して疑問を持つことができるし
善良であることを当たり前としなくてもいい、
そういう世界であって欲しい。

そりゃ人々は善良であった方がいいのは間違いないけれど
それは誰かに押し付けられているものでない方が良い。
それは絶対に譲れない。

私たちは個人であって全体の一ではない。
いやもちろん、全体の一であることも承知しているし、
個人のためだけに全体があまりにも不利益を被るなんてことは
とても地球人・共同体として考えられない。
けれど全体の不利益になるようなことをしでかす人がいる権利
ぐらいは保障されててもいいんじゃないかしら。
もしその人が不利益を行使した場合、
その社会に対しての著しい損壊を招いたとしても
人間はそれらを乗り越えられるぐらいの知性はあるだろうし。

そりゃまぁ誰かのせいで自分が損するなんて
とても引き受けられるものでもないけれど。

ところでこの「すばらしい新世界」では
この管理された社会に対してのアンチテーゼとして
野人と呼ばれる「観察保護」の対象地域があり
そこでは比較的原始的な生活様式が残っている
ネイティブアメリカンな人たちや野生動物などが生きながらえています。
彼らは「野人」と呼ばれるだけあって
野性味あふれ残酷で獰猛な習慣などを持ち続けています。
そんな「野人」の中で一人の美青年がおり
その彼がこの「すばらしい新世界」について疑問を持ち
反抗的な立場を取るのですけれど
この彼がまたシェイクスピアの引用ばかりを持ち出し、
都合よく「神」や「崇高な理念」を持ち出して人々を断罪し
そればかりでなく、自分に好意を抱く娘さん(野人も一目惚れしてたのに!)に対して
「お前のせいで俺は堕落する!この淫売!売女め!あっちへ行け!」と暴力を振るうので
どちらの立場で立っても自分の頭で考えられない人間は
いやしくもヒドイことを簡単にするし、
それが素晴らしいことだと信じ込めるのだなぁなんて
憤然やるかたなしな気持ちにさせられました。

なんで怒っていたかといえば、
野人がなんとなく高貴なものの象徴として扱われているにもかかわらず
彼自身も人に対して「もっと自分で考えろ」と言うくせに
自分の言葉など持っておらず、全て引用ででしか喋っていないし
行動すらも宗教や習慣から逃れられず
人に対して押し付けているということに気づいていないからで
人と向き合うことを拒否したあげく自死を選ぶという最期にも
本当に腹が立って仕方がないのです。

あんまりに腹が立って仕方がないので
「素晴らしい世界」の直系と呼ばれている伊藤計劃の「ハーモニー」を読み始めました。
現代人の感覚で再解釈された「新世界」こと「ハーモニー」の方がピンとくるし
やはり伊藤計劃の頭の良さに惚れ惚れとしているところです。

とりあえず清廉であり厳格さを求められる僧侶の道を選んだ
「カラマーゾフの兄弟」アリョーシャがゾシマ長老に
「もっと世俗と交れ」と言われたところを読み返しているところ。
人は人と関わらずには生きていけないし、
そのためには、時にその清廉さが邪悪と同義であることを
きちんと知っていなければならないと私は思っているので
思い返しては「カラマーゾフの兄弟」の第二巻をなんども読み返してしまうのです。
人を愛するための宗教が、人を拒絶してはいかんよね。
そういうこと。

さて、久々の日記がアレな感じになってしまったので
そろそろやめにしようと思います。

アレな気分にさせてしまった申し訳なさの懺悔として
最近の私のお気に入りのウマ娘・ゴルシちゃんを置いていきます。

かわいいなぁ。

ウマ娘プリティダービーの2期もとうとう終わってしまったけれど
最近競馬のトゥインクルレースがずっと気になっていたので
今度友達とお馬さんを見に行ってみようと思います。
それじゃまた。モイモイ。
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うちのハリネズミが尊過ぎる

2021-03-26 | from:sachiaki
うちのおチビちゃんことハリネズミ様ですが
ここ数日は夜に小屋から出して私の膝下に置くってことをしているのですけれど
そのおかげか、4年も経ってってところでもあるけれど
ようやっと私が仕事をしている最中でも
回し車で遊ぶということをしてくれました。
尊すぎて死んじゃう……。
死なないけど。

うちのハリズミが可愛すぎると親バカ気味のsachiakiです。

友達が「ホンマでっか」というテレビ番組の見ていたらしく
飼うペットは自分に似ているものを選ぶそうだよとブログに書いてまして
あ、はい。
なんて気持ちになったりしてました。

ハリネズミって可愛い見た目のわりに
とにかく臆病で人になつかないんですよね。
慣れるってこともあるし、個体差があって
なついてくれる子もいるけれど、
基本的にはなつかないんですよ。
そしてとにかく神経質なので大きな音を立てないとか
あまりライトを明滅させないとか
ストレスになりそうなことは避けるように頑張ります。

慣れてくれば抱き上げた手の中で寝るようにもなるし、
小屋から出てきてウロウロしてくれたりもします。

うっとこの2代目こと今飼っているハリ様は
臆病が過ぎてなかなか小屋から出てきてくれませんが
1代目はまぁまぁ人懐こい子で
小屋からよく出てきて小屋の屋根に登り
私のお仕事中に目があったりすると鼻をフンフン鳴らしてくれたりしました。
回し車もよく回していて、とにかくよく動く子だったぶん
見ていて飽きない子でしたなぁ。
2代目は人懐こさは全然ないけれど、
割と観念するタイプらしく、どんだけ機嫌悪い日でも
抱き上げてしまえば静かになるという、おとなしい子なんですよね。

で、その人懐こくない臆病過ぎる2代目ですが
リラックスしていないと見せない回し車を回す姿を
今日やっと見せてくれて、
あたいたちやっと少しだけ仲良しポイントを増やせたのね……。
なんて気持ちになっていたところです。
とはいえ、ガラガラと元気よく回すというよりは
なんとなく気が向いたからちょっとだけ回してみた
って程度のものでしたけれど、
いつもなら餌を食べたらサッと小屋に消えてしまうので
珍しいこともあるものだなぁと深く感じ入ったところなのです。

はぁ、かわいい。
餌を食べている姿もなかなか見せてくれなかったけれど
昨年末あたりから少しずつ見せてくれるようになり
長くかかった私たちの絆の基盤もようやくできてきたのね
なんてジーンとしているところなのです。
1代目があまりに簡単に慣れてくれたってのもあるけれど
2代目とは通じるまでに時間がかかった分、可愛さが違ってきますね。

そんな感じです。
さて、今日もそろそろお夕飯タイム。
ご飯作りに行ってきますよ〜。そんじゃまた。モイモイ
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背中押しのプロ(適当)

2021-03-25 | from:sachiaki
なんの才能も才覚も持たずに40年という時間を過ごしてしまい
人生って50年ぐらいがちょうど良いんじゃないのか?
なんてことを考えているsachiakiです。

あ、子孫繋いだ人とか、事業起こしていたりと
責任の重たいところにいる人は別で。
むしろそういった人に寿命を譲渡したい。

なんていつも通りのネガティブ日記を綴りつつ
今日も今日とて「ありがとう!おかげで決心できました」
って別々の人から言われて、お、おう。
なんて気持ちになってました。
誰かの捨て石になるのならそれはそれでいいかな、
なんてかっこつけてみても、
それもこれもなんか違うなって気がする。

「わしが背中を押した」
なんていうのはその人にとって大きなポイントにはなったかもしれないけれど、
結局のところ、その人が持っていた努力や運などの積み重ねであって
私がたまたまのたまわったことは
その最後の揺れにほんの少し触れたことでしかなくて
それは誰でもよかった話なのよな。

ていうか、こんなネガティブな話を書いている暇があるなら
少しでもやらなくてはならないお仕事をやらないとだ。

ありがたいことに現在バンドネオンの兄さんから
ほぼご指定で様々なデザインを請けているのだけど
相当頑張らないと実力と見合わないので
なんでご指定なのかと首をかしげるしかなかったりするのよね。

色々と思うところあるけれど
実力をつければ良いだけなのだから頑張りますかね。
才能なしでもある程度見せられるものは作れますよと
胸張ってまではできなくても
日陰でこっそりと歩くぐらいはできる程度に。

努力しないと0地点にもたどり着けないんだから
せめて努力はしないとです。
というわけで作業に戻りますにて。モイモイ。
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春は死にたい季節

2021-03-24 | from:sachiaki
春は天候が不安定で体調やら精神的なものにきやすいのか
死にたがりばかりが跋扈する季節だなぁ
なんてことを感じたりしているsachiakiです。

え?私?
私も軽く「あー、死にて〜」なんて思ってたりもしますが
私のそれは「退屈」とか「人に会わす顔がない」とか
「実力が追いつかなくて辛い」とか
そういうクソどうでも良い理由なのと
本人が鬱屈はしていても根が腐っているからか
意外とダルイ気持ちとうまく付き合う術を心得ているので
寝てしまえば「今日もいっちょ生きぬきますか〜」
なんて気分に切り替わっているわけです。

徹底的に自分を甘やかす術として
脳内筋肉の部分を増やすためにも
ともかく”動く”を最重要項目に上げておきます。
”動く”というのは文字通りのことで
散歩をするとか、プールで泳ぐとか、
プラモデルを組み立てるとか、
ルービックキューブをするとか、
料理、掃除など家事をするなんてのも良いですね。
体を動かしている時って脳が考える能力を落としているので
憂鬱な考え方から逃れる隙ができます。
少しでも憂鬱さから逃れられたら
その間に風呂に入るかご飯を食べます。
順序的には風呂が先かな〜。
お風呂の方が面倒臭い度が高いので
できるうちにやっておいた方が良いですね。
その代わり、お風呂の効果は絶大で
入ることさえできれば大体のことがど〜でも良くなります。
お風呂から上がったらそのまま寝てしまっても良いし、
ご飯食べても良いですね。
風呂上りにフルーツジュースなんか飲んだりするのも良いですわ。
体の水分が抜けているので染み込みやすいし
糖分がめっちゃ心地よいです。
「直接的な糖分は云々」とか言う輩がいたらブン殴っても良いです。
そんな悠長なこと行ってられる場合ではないので。
でも殴る拳も痛いのでやめておきましょう。=͟͟͞͞๑و•̀ω•́)‾͟͟͞ว)༝˟):、;'.・
心の中で「顔はやめなよボディボディ」と三回呟けばOKですw

良い感じにスヤンできれば
だいたいのことはど〜でもよくなってると言うか
寝ると人間リセットされるので割と生き延びることができますわ。
だから寝る時間だけはきちんと確保しておきましょう。
だいたいの過労死なんかのケースを見ていても
寝ている時間が極端になさすぎて
考える力をなくしているのが原因かな〜って気もしますし。

考えすぎな人は体を動かし、
体を酷使している人は脳内のストレージを増やしてあげる。
そんな感じです。

ついでに言うと「死にたい」って言っている人に
「そんなこと言っちゃダメだよ」とか
「生きたくても生きられなかった人もいるんだよ」
なんて言葉は一番言っちゃダメです。
マジFUCKです。


そうでなくとも自分自身を否定して否定して否定しまくって
消え入りたい気落ちの中、ほんのちょっと漏れ出した言葉なんですから
そんなものまで否定しちゃったら
本当にその人の肯定される機会がなくなっちゃいますよ。

なので、「死にたい」っていう言葉を聞いた時は
「死にたいほど辛いんだね」ってだけで良いんですよ。
最後の言葉まで否定までされた人は
誰にも相談もせずにいきなり先立たつってこともしますから。

優しくしてあげて。
マジで。

無理に明るい方に連れ出そうとかしなくて良いから。
疲れて眠たくて仕方ない時に
ホームパーティ会場とか連れてかれても迷惑でしょ?
そういう感じだから。

と。なんか後半が変な感じになってしまったけれどこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
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エスプリが効いてるね

2021-03-22 | from:sachiaki
ずっと「エスプリが効いてる」って意味がイマイチわかっていなかったのですが
バルザック著の「艶笑滑稽譚」を読み始めたら
なるほど「エスプリ」とは皮肉が通じる程度の教養があるうえで
ボケをかまして笑わせる超難易度の高い笑いのことだったのだな
ってことに気づいたsachiakiです。

知的であるってところがミソです。

なんていうか、京都の人をディスるわけじゃないんだけど、
京都的な笑いなんですよね。
エスプリの効いている笑いって
元がフランスのものだってこともあって
こう、なんていうか知識教養がありつつの都的なものというか
底意地が悪いなって感じがあるんだけど
捉え方次第では教養がない人には通じないわけなので
嫌な思いをさせてキレられることもなく
お上品よねって感じる次第です。
とはいえ、こそこういったエスプリジョークの
ネタバラし的なことがおこると「知的だけど嫌味だ」とか
「性格が悪い」っていう言葉がついて回るのも分かる気がする。
私も田舎者で教養もない人間だから
インテリギャグをやられても困るなぁってところがあるけれど
意味がわかるとニヤリとする…的な笑いは嫌いじゃないです。

ちなみにバルザックはどんな人かといえば
写実的な小説を描きながらも多彩な人物を描くことを得意とし
間違いなく19世紀の天才の一人として数えられるみたいです。
親友に「レ・ミゼラブル」のビクトル・ユーゴーや
「三銃士」のアレクサンドル・デュマがいて
濃密な文壇時代があったのだろうな〜とかなんとか。

と。妄想でニヤニヤしている場合ではなかった。
コントの台本の見本としても楽しもうと思っているので
「艶笑滑稽譚」の世界にログインしてきますわ。
そんじゃまた。モイモイ。
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中性脂肪の減らし方?

2021-03-21 | from:sachiaki
健康診断の結果を見たときに
あれ?けっこう歩いてるつもりなのに
中性脂肪が増えてる?だと???
ってなっていたのですけれど、
たんに見間違いなだけでちゃんと中性脂肪減っていたsachiakiです。

自慢か?って言われたら
うーん、そうかもしんない。
単純にお酒飲む習慣がない、味が濃いものが好きじゃない
油物が苦手、甘いものは好きだけどいっぱい食べるわけじゃない、
動くのが好きだから毎日歩く。
って生活してれば、そりゃ中性脂肪とは無縁ですわな。

善玉菌の数値が2つ下がって、悪玉菌数値が1つ上がったので
ちょっとだけ去年より腸内がよろしくないようですが
それでも基準値よりだいぶ良い数値なので
あたいの体はアホ元気なようです。
強いて言うなら相変わらず血圧が低いぐらいですかね。
同じもの食べているパンダ氏がおそろしく数値が悪いそうなので
やっぱ運動大事だなって思った次第です。
あ、あとパンダ氏はお酒たしなむし、タバコも吸うので
生活習慣病待った無しなのもそりゃそうだわーってところです。

中性脂肪やら善玉菌、悪玉菌が気になっている方は
なんだかんだで運動がんばれって言うしかないです。

とはいえ、そんな私でも体脂肪はヤベーなって思っているので
がんばって筋肉つけて体脂肪を減らしながら
超ド健康を目指していくつもりです。

さて、日付も跨いでだいぶ過ぎてしまったので
今日はこの辺にて。
モイモイ。
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1970年代アメリカで問題作となったマンディンゴを見てきました

2021-03-19 | from:sachiaki
今日はねぇ、とにかく気持ちが重たくなる映画を見てきて
胃が持たれてもたれてシンドくなっているsachiakiです。

マンディンゴって映画なんですけれど、
マンディンゴとは何かってことがずっと分からずに見ていたのですが
さっき調べてみたら南北戦争前のアメリカ南部にて
白人たちが勝手に黒人奴隷の最高峰血統というのを決めて
その血統の証として「マンディンゴ」と呼んでいたそうです。

なんとなくそうかな?って思っていたけれど
そうだったのかーと、またさらに陰鬱な気持ちになりました。

映画の内容は奴隷解放戦線となる南北戦争の20年前が舞台で
奴隷牧場を運営している農園を中心にした話で、
リウマチにかかっている大旦那が獣医に
「リウマチの毒を黒人の子供に吸わせれば治る」と言われて
足を奴隷の子供の腹にずっと当てていたり、
若旦那に「はやく孫の顔を見せろ」といって
嫁を取れと言われて白人同士となるいとこを娶るものの
嫁が処女ではないことに気づいてちっとも見向きをせず、
一目惚れした黒人奴隷の女性とばかりイチャついているので
そこから悲惨なドラマが始まってしまいます。

さらに若旦那はマンディンゴとなる奴隷をみつけ
格闘士として買い取ります。
若旦那自体は奴隷に対してひどいことを率先してするような人でもないし、
大旦那がお仕置きの方法を提案しても、それを却下したりと
それなりに黒人奴隷に対しても温情を見せるところがあるのですけれど、
黒人奴隷にばかりかまける旦那に対してあてつけとして
嫁は若旦那が格闘士として可愛がっていた奴隷を寝室に呼ぶようになり
とうとう妊娠してしまいます。

どう考えても家父長制という考えることを否定して
ただただ現状を進めるだけの時代背景が悪いんだけど
最後には嫁の生んだ子供を見て怒り狂い
可愛がっていた格闘士の奴隷(彼だって拒むことなんてできない環境なのだよ)を
釜茹でにして農具で突き刺します。
窯の中の奴隷が「旦那を尊敬してきたが、しょせん白人だ」と叫ぶシーンには
胸が痛むなんてものではなかったです。

その他も2時間という時間の中、
ギッシリと差別と侮蔑とジェンダー蔑視と暴力が
これでもか!!!!と詰め込まれているので
心臓が強くない人にはおすすめできません。

できないけれど、これが行われてきたのが南米アメリカの歴史で
先日のアメリカの国会議事堂に押し寄せた民衆の流れが理解できるので
ぜひ見てもらいたいです。

一番衝撃的だったのは、客人として現れた白人男性(若旦那と誰だっけな?)に対して
黒人女性(たぶん少女)二人をあてがうんですよね。
それ自体はまぁ、古い慣習としていろんな国であったことなので
嫌だなって程度だったのだけど、
若旦那が選ばなかった方の女性を選んだ白人男性が
おもむろに自分のベルトを外して鞭にして彼女を叩いたんですよね。
「なぜ叩くんだ?」と聞く若旦那に対して
「この方が興奮するんだ。奴隷も喜んでる」と答えるんですね。
そんなの拒める立場にない人が拒否する言葉も出せないので
「はい。喜んでおります」って答える彼女が可哀想すぎて
本当に嫌なものを見たと胃の中がひっくり返りそうになりました。

私はSMも好きだし、暴力系の表現も嫌いではないけれど、
あくまでそこには主従関係や信頼関係があるからこそのもので
関係も築けていない人に振るわれる暴力は好きじゃないんですわ。
というわけで、本当に気持ちの悪いものを見たって気分でいっぱいになったし、
今もそう感じているバカが多いのを知っているので
ひたすらシンドイって気持ちになりました。
オラオラ系の彼氏に暴力を振るわれる女性って今もけっこう多いんですよね。
辛い。

とりあえずシンドイっていう気持ちが今もドロドロしていますけれど
明日はstand.fmでまたアホ配信予定なので
気持ちを切り替えていこうって考えています。
甘いものでもとって自分を癒してあげようかしらね。
そんな感じです。

それではまた明日。
お時間ある方はぜひ聴きにきてくださいね〜。
モイモイ。
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なんでもないことの奇跡

2021-03-18 | from:sachiaki
まだまだ友人のショックが抜け切れていませんが(引きずりますねぇ)
そんな友人の残していった曲「何にもないこと」を聴いて
”なんにもない”というモラトリアム特有の虚無感を味わいながら
「よつばと!」を読んでいたところ、
なんにもない、とか、なんでもないっていうのってのも
ちょっとした奇跡だよね〜なんてことを思っていたsachiakiです。

私はいつも「ここでないどこかへ行きたい」って思ってるタイプなんですけれど
それでもそれって「帰ってこれる場所がある」ってことが
分かっているからこそ「どこかへ行きたい」であって
「どこか」っていうのは「いまここ」があるからこその概念なのよなぁ
なんてことをぼんやりと考えていました。

なんてことのない日常は事件も事変もないからこそ
なんてことのない日常なわけで、
五体満足であることや大きな病気もしていないこと
友達や家族がいてくれていること、
微笑んだりいがみあったり、
そういったことができる相手がいること
仕事が少なくなってきてはいても
気にかけて依頼を持って来てくれる人がいること、
なんとなく時間の流れを感じるようなイベントが起きたりして
自分が前に進んでいると感じられること。

そりゃ”とうちゃん”も泣いてしまうよなー。

いつか遠くへ行ってしまうことの予感も含めて
自分の内側に入ってくるものが増えてくると
宝物が増えてきたという気持ちとともに
手放すのが苦しくなったりするのですよね。

そんなこんな。

ちなみに昨日はフランクルの「※夜と霧」を読んでいたので
本当に「なんでもないこと」のありがたさを強烈に感じていたところです。
ある日突然「日本人である」とか「女性である」っていう
生まれた時に自分でもどうにもできなかったことで差別され、
投獄されたうえに無意味に拷問をかけられたり
殺されたりするようなものではないってことに
ありがたみ以外感じることができません。

何年か前にアウシュビッツビルケナウに旅行で訪れた方のブログ記事を読んだ時も
この白線の向こうでは家族と引き離され、ただ死ぬだけの世界が待っていたのだと知り、
あまりに無慈悲な白線が今も残っていることで忘れずにいられるってことや
人間は理由さえあれば、どこまでもとんでもないことができるのだ
ってことの戒めになるななんてことを受け止めつつ、
今無事に呼吸ができていることのありがたみを無限に感じていたりしたのでした。

だからといって、今が辛い人にアウシュビッツよりマシだとかは言えないけれど
自分がおかれているささやかな日常の奇跡について感じられる人は
存分に味ってみるのも一興なのではないかな
なんてことを思ったりしていたのです。

うちにはハリネズミが一匹いるけれど
戦争や大地震が来たら、この一匹を守り通すこともできず
時と場合によっては自ら殺さなくてはならないのだよな……
ってことも考えると、できるだけ長く
このアホみたいにぬるい日常が続けば良いなと願ってしまったりするのです。

退屈であることはシンドくなる時もあるけどね。

さて、こんな取り止めもない日記を書いていたら
うちのハリネズミが「餌をくれ」と珍しくアピールをしているので
ちょいと餌やりに行ってきますよ。

そんじゃまた明日。モイモイ。

※「夜と霧」は心理学者であるフランクルが実際に体験した
 ドイツ強制収容所の記録であり、貴重な当時の資料なのです。
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いつものことだけど胃が痛い

2021-03-17 | from:sachiaki
もともと胃弱なんですけれど、
年若い友達を亡くしてしまったことで
考え込むことが増えてしまったせいか
胃がいつも以上に痛くなっているsachiakiです。

もともとご飯類で脂っこいものや
味が濃いものが苦手だっていうのもあって
アッサリとしたものばかり食べているってこともあるけれど
それでもおやつ類は好きで、1ヶ月に1度ぐらいはポテチを食べたり
もう少し頻度を高くして
生クリームのこってりとした菓子パンなんかは食べたりしてたんですけれど
最近はどんどん弱くなっていって、
なんなら普通のご飯を食べた後でも疲れて横になって回復を待つ
なんてこともするようになりました。
低血糖の気があるんじゃねーか?と戦々恐々としているんだけど
健康診断の結果ではそんなことはなかったんだよね。
うーん。

まぁそれはさておき。
先週の水曜日に聞いた衝撃話から、土曜日に弔問して
少しは気持ちの整理がついたと思っていたんだけど、
ジクジクと自分の不甲斐なさなどを照らし合わせて
自分に対して叱責をし続けている今日この頃です。
なんかねぇもう……。
もっとちゃんと生きなきゃダメだよなーって考えつつ
しかし自分が今できることをしているだけだしなぁとかなんとか
行きつ戻りつ考えが堂々巡りをしてしまい
こんな役立たずを生かしていても地球の資源がもったいないじゃないか
なんてことを思っては、それはさすがにヤバイ考え方だって
ハッと我に帰ったり。そんなこんな。

おかげさまで元より胃弱な私の胃が
ガチガチにやられてしまっていて
イチチチチってなっているのであります。

なんだろうなぁ。
私ができることってなんなんやろなー。

うちは一族揃ってボランティア系の一家なので
とくに自分だけ自由人であることへの罪悪感もあるのかな。
徳を積まないとっていう焦りが募ってシマウマでありますよ。

ダメ人間でもいいから、ちゃんと社会とコミットしなさいよーって
天の声が聞こえてきそうです。
たぶん婆ちゃんの声。

ともかく今あるお仕事をちゃんとやって
イラストとかでもちゃんとお金儲けして
そして還元できることは若い子へとつないでいこう。
年寄りにできることといったら若い人たちの肥やしになるぐらいなんだから
もうちょっと頑張らないとですわね。
先に逝ってしまったあの子の下の兄弟たちが
なにかのツテでここまでたどり着いた時に
底力となってあげられるようになっておかないと。

そう前向きに考えることにする。
胃はまだ痛いけれど、少しはポジティブ変換しておかないと
このまま闇落ちしてしまいそうな気がするのでな。
そして、それは私だけじゃなく読んでくれている人や
そもそも向こうに逝ってしまった子に対しても
申し訳が立たなすぎるので。

というわけで今日はこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ。
コメント
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