あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

似非ホステスをしてきたのだ。のだ!

2019-06-30 | from:sachiaki
先日ちょっとした友人より似非ホステスやりませんか?
という謎のお誘いを頂いたので、
二つ返事でやります!!と答えたsachiakiです。
当日はドドスコ幸子の源氏名で模擬スナックという
インスタレーションの場におりましたぞ。

私は普段は中性を意識して装っているし、
中身自体はオッサンなのであまり”女性らしさ”を意識していないのですが、
こういった”女性のフリをするぞ!”というのはちょっと楽しくて
割と気に入ってそれっぽく振舞おうとしたりします。

というわけで模擬スナック(『狭小』とうたっていただけに本当に狭く
 人が二人以上その空間にいると誰かが立たなくてはならない状態に!)にて
お客さんの隣に座ってニコニコするだけという
謎のインスタレーションとしての飾りを務めてきたのでありますw
模擬スナックに洗い場などないので、食器の片付けなどは
私が隣接するカフェに行き(仕切りをまたぐドアを行き来する感じ)
洗った食器を受け取ってくる程度のことはしたけれど
基本的にニコニコしているだけという楽チンポジション(*´∀`)
能力として芸を持っていないアテクシですが
ニコニコしてるだけなら、まぁまぁ自信がありますw

とりあえず昭和ホステスっぽくなるように
昭和な古着を探しに高円寺へ行き古着をチェック。
色々と見てまわったけれど、
昭和のデザインってめっちゃゴテゴテで柄とかしつこい割に
生地に色を入れるには地味な色しかなかったみたいで
思っているほどデーハーな彩色やビビッドさがないのですよね……。

2時間近く
「こっちのワンピースはTHE 昭和だけど
膝丈より長いし、なんかお水っぽくない。
こっちのワンピースはかなりぽいけれど
襟ぐりの開きが詰まってて可愛すぎる」
なんて自分の中で唸りまくって、
結局ワンピースを諦めてセパレートにしてみたものの
タイトなスカートや膝丈の短いスカートはなく、
おいおいおいおい、50’s〜60'sアメリカンが大好きだった
日本の昭和根性はどこへいったんだ!!!
ってなっていました。
ツイッギーが来日してミニスカートブームを作ったのは
60's〜70'sだけど、50'sのアメリカかわいいんだけどなー。
あ、50'sじゃ可愛すぎるのか。ふむ。


昭和ファンク&ソウルの大御所であるアッコ・ワダのイメージをお借りして
ファンキーな感じにしたかったんだけどなー。
じゃぁラメやスパンコールががっつり使われているショーファッションか?
とか思ったけれど、それもなんか違うなぁ〜って
色々と問答したうえで、襟が黒いレースの真っ黄色のブラウスに
下はゼブラ柄のミニスカートと網タイツでキメ。
髪型はコナンの蘭姉ちゃんみたいに触覚をつくりかったけれど
髪を立てるのはめちゃくちゃ難しくて断念。

それでもまぁ7:3の前髪と流すタイプの髪型にして、
大きめのスマイルピアスをしてピンクのマネキュア塗っていったら
昭和ホステスっぽくなりましたよ。

楽しかったのでまたやってもいいなぁって感じw
あくまで似非だからこその楽しさですね。
”ごっこ”でなかったら、絶対にもっと面倒臭いもんw

とりあえず18時〜21時の間、
花金だったこともあって展示に来られたお客さんは少なかったけれど
その分こってりと会話ができて楽しかったですよ(*´∀`)

SFの話と破体という書の話と俳句の世界などなど。
普段は写真やグラフィックの世界にいるので
古典に関する話ができたのはけっこうな収穫でした。

世界は広いなぁ。

そんな感じ。
今日はなんだか疲れがたまっていたみたいで
やることあるけれど、お昼寝したりしてのんびりと過ごしていました。

明日からもまた怒涛な日々なので頑張りますよ。
そんじゃまた!モイモイ
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私のしたいことってなんじゃらほい

2019-06-29 | from:sachiaki
なんてことを考えてしまうきっかけがあったんだけど
私は自分が絶対正義だと言い切れない割に
私が思う正義や人への疑問などを共有したいんだろうなぁ
なんてことをボンヤリと思っていました。

ものを作る力はないけれど
ものの代わりのものは作ろうとしてるっぽい
そんなことを解りかけた気がしたsachiakiです。

昨日はNEO★昭和ホステス(名付けは友達の写真家さんです)をしてきまして
昭和ホステスのメイクってどんな感じだろうか
なんてパラパラと昭和歌謡曲をYoutubeで見て
その当時のイメージを出すために
Spotifyでピンクレディを聴きあさり
平成も終わって新元号2度目だってのに
ドップリ昭和を楽しんでしまいましたw
なんていうか、昭和ってレンジが広いので
なにもかもが泥臭く、
そのおかげで忘れがたいシミのような体験を残してくれるのですよなぁ。

チャンネルも番組もそんなに多くなかったから
同じものを何度も見ていたし、
再放送が多いということは世代問わず
同じものを見ている可能性が高く
だいたいのことは共通意識として持てた。
メディアはテレビかラジオか新聞かってくらいしかなかったから
これも意識統率がしやすかったのでしょうなぁ。

今はネットの時代になって、
個人でも弱小でも番組や企画が作れるようになり、
多彩なものを体験できるはずなのに
それを恐れているかのように
「まとまり」や「絆」を強調する学校教育や集団。

私が生きてきた今終いにするには短いけれど
それなりに歩んできた歴史を体験して
やっぱり「右へならえなんてしてやんない」ってことを伝え続けたいだけなのかもな
なんてことを思ったりした。
「右へならえ」をすることで没個性化するだけじゃなく
なにかに取り込まれてしまうような恐怖。
昭和の泥臭さのある情念的なものからはもっと乾いた空気を求め
平成・令和のような散らばっている方向から固まろうとする意識について
そんな固まらなくったって私たちは点と点で繋がっていられるよと
言い続けていたい感じ。

私は最終的には仲の良い友達を近隣に集めて
相互互助で生き延びる道を選びたいと思っているけれど
だからといって「村」を作りたいわけでもなく
コミュニティ化したいわけでもない。

だとしたら、将来目指している「でんでらの(仮)」というものは
同じ地域に住むことではなく
公民館的なものを一つ立ち上げて
そこに交流できるハブを作ればいいだけなのかもしれないな。

そんなことはすでにたくさんの人がやっているけれど
あのコミュニティです!といった強さをも少し弱めて
微弱すぎるつながりを持てるような
そんなものを目指したいのかもしれない。

そのために、せめて自分の思う正義や思想を撒いて
それに共感するもよし、反発するもよし
こういう人間がいますよってことを言いたいだけなのかもしんない。

今日はだいぶボンヤリとしているけれどそんな感じ。
昨日聞かれた「あなたはどんな表現をする人なの?」という問いについて
今日の日記がアンサーってことで
とりあえず自分の中の下敷きにしておこうかなと思います。

仲良しこよしをしなくてもつながれるもの。
うん。それを目指したいのかもな。

よし!それじゃ今日も哲学の話をしてくるのでこの辺にて!モイモイ
※18時頃から高円寺のサイゼリアにて「支配する、支配される」ことを考える予定です〜。
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俺とお前と寝不足と

2019-06-27 | from:sachiaki
寝ても寝ても寝足りない。
これは成長期の証か加齢のせいか、
老化を認めたくないsachiakiです。

ところでハイデガー先生のせいで思い煩っている話を聞いてください。

「みる」ということはとても難しい。
モノが視覚の中に飛び込んでくる「見る」と
観察しようと意識して「観る」と、
さらにもっと奥深く見ようとするときの「視る」がある。

著名な哲学の偉人でさえ、詩人や俳句の本質を視ることに注目していたのなら
「みる」ことの難しさ、感じる心のありようはそう簡単なものではないように感じる。

そう考えると、私は誰かと相対した時に本当にその人を「みて」いるのだろうか?と。

なーんてことを考え続けているからか、
やたらとここ数日眠くて眠くて仕方がないです。

眠気の正体はおそらく寝室の温度や湿度のおかけで良い眠りがつけてないだけだと思うんだけど、
寝る前に考えごとをすると、寝ているときも考えてしまうから良くないというのも聞いたような…?

良い塩梅で眠れるように、工夫をしなきゃなと思う今日この頃です。
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存在について考えていたけれど難しすぎる

2019-06-25 | from:sachiaki
眠いんじゃい!

つか、本当に難しい文書を読もうとすると
理解できない時って興味が薄れて脳が処理落ちするのな。
おかげで今日は勉強の日だってのに
二回も寝落ちしたわ。。

どうも。バカな子にはバカな子の領分があるわけで
それを越えようとするのは難しいんだぞ、
なんてことを思っているsachiakiです。

とりあえずハイデガーを理解しようとしていくと、
松尾芭蕉にいきつき、
「夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。
(風雅を解し、造化にしたがい造化に帰れということだ)」
になるのはちょっと面白いと思った。

ついでにここから進めようとすると、
鈴木大拙の「禅のすすめ」とかにも入り始め
いかに東洋の思想が西洋の思想のもとめる杖と成り得るのか
見て取れたりする。

西洋は精神とヒトを分けて考えてしまったことから
どうやら地から離れた考え方ばかりになり、
ヒトを疎かにする傾向があるのかもしれない。
そのことについてニヒリズムを徹底的につきつめたニーチェと
ハイデガーの話は面白いけれど
けっきょく「神」的なものと一体になれる思想には
至っていない感じがする。
(勉強不足なのであくまで「感じがする」)

神的な第三視点を考えずとも
「ある」を見れるようになることが大事だと
そういうことを教えられている気がする。
だからこそ万物は流転することを理解して、
もののあはれ。を理解し
花を見た時に花を思うような情感を理解することが大切なのだろうなぁと。

ものがものであることを見るというのは難しいみたい。

考えるな、感じろ。

がいかに優れた言葉かということを実感しつつ、
やっぱ眠たいなぁと寝言を垂れ流して今日を終わりにするよ。
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正義とはなんだあっぁああぁあぁ!!!!

2019-06-24 | from:sachiaki
って、常に思い続けているんだけどさ、
去年の誕生日にお友達から「白熱教室」をプレゼントしてもらい
読んでみたものの、なんかピンとこないというか
あれ?テレビで見かけた時は面白い授業をする先生がいるなって
そう思ったのに、本で読むと違和感しかないぞ??
ってなっていたのね。

で、今回Twitterで私が一目置いている哲学書籍を書かれる飲茶さんが
「新刊出たよ〜」とツイートしているのを発見しましてん。
そりゃさ「正義の教室」をその日のうちに本を買ってくるってものですよ。
そして貪るように読んで、これだ!私が求めていた答えはここにあったんだ!!
って思わず涙ぐんでたsachiakiです。

前書きナゲェ。

哲学書というと小難しく感じてしまうのだけど
飲茶さんのすごいところってなにか?といえば
ラノベ風に読みやすい口語体で進めつつ、
堅い哲学用語をわかりやすく置き換えをして
馴染みやすい言葉に変換してくれたり
(本当は言葉にも意味があるから、あまり置き換えるのはよくないけれど
 翻訳をしている時点である程度フィルター通すから
 置き換えも似たようなものでしょう)
ラノベ風の可愛らしいキャラクターたちがそれこそラノベ風に動くので
キャラが立ってて可愛いなぁっていう気持ちと
漫画を読み進めているくらいの柔らかさで読み進めることができるので
難しい本を読んでいるハードルなしでスルスルと読めてしまうのですよ。

それでいて核心の部分は外さずに書いてくれているので
少なくとも難しい哲学の本を何冊も読んで
「けっきょく正義ってなんなの!?」っていうこともなく
そうか、この視点でみる正義はこういったことを述べているのね。
って導入にはなるので、本当にもっと突き詰めて知りたいなら
本の中で取り上げられていたソクラテスやニーチェ、
ベンサム、キルケゴールやカントという名前が出てくるので
彼らが残してくれた著作に触れると良いと思います。

ちなみにこの本の中で書かれていた「正義」というのは
色々な見方はあるけれど、正義というのは3つの主義に絞ることができ、
その3つの主義の言っていることを紐解いてみて
私たちは「正義」をどう捉えたら良いでしょう?
と問うているところに良さがありました。

「白熱教室」を読んだ時の誰かの主義を押し付けられている感じがなく
哲学っていうんだから、やっぱり自分の頭で考えることを放棄しちゃダメよね
って気持ちにさせてくれるし、
自らを奮い起させてくれる良書だと思いました。

私たちは人に支配されないためにも、
自分の頭で考えて間違えてでも人間らしく歩いていった方がいいんだよ。

間違えろと勧めているわけじゃないけれど、
誰かが言ったから、常識がこうだから、というのではなくて
まずは自分で考えて、色々と調べて、悩んでことを起こす前も最中も悩んで
それでも一歩一歩歩いていくしかないんだよ。





というようなラストオチも大変良いラブコメ哲学書だったので
ぜひ読んで私とこのオチについて語り合ってくださいw
楽しみにしているんだぜ☆モイ
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弱い方に合わせるか強い方に合わせるか

2019-06-23 | from:sachiaki
というようなことを考える時に
私は北方謙三版の三国志で張飛が行っていた
兵力は下のラインに合わせないと一丸となれない(意訳
だからこそ下のラインを引っ張り上げるのだ(意訳
という考え方にひどく納得をして
その通りだなぁなんて今でも思っているsachiakiです。

ただ、最近気になっていることといえば
発達障害さんの障害がどういうものか
見えてくるようになってきた現代では
そういうのが分からなくて指示系統が雑な上司は無能。
みたいなものが回ってくるたびに、
その通りなんだけど、なんか違和感あるんだよなぁ
ってモニャモニャしているわけです。

いやさ、その話の本筋は確実にその通りで
できないことをやらせ続けている上司とか見て
私もひどくアホだなぁって思っていた覚えがあります。
けれどその頃は発達障害なんてものも知らなかったし
彼・彼女らがどんな困難を持っているかも知らなかったので
上司がアホだっていう結論しか持てなかったわけ。

だけどさ、仕事にしても人間関係に関しても
結局出来る方ができない方に合わせるのがスムーズになり
流れがとても良くなることは火を見るよりも明らかなんだけど
今度は優秀な側が疲弊するという
なんていうか、勿体無いなぁってことにもなるので
どうしたらこの出来る側の方へと
できない側と連携できるかがスムーズになれば良いのになぁ
なんてことも考えてしまったりする。

空気を読むのが上手い人が
空気を読めない人のフォローをし続けた結果
空気を読める人が倒れて2度と使えない人になる
みたいなことって往々にしてあると思うんだよね。。
悲しい。

見える化ができて下のラインが上がっていくと
全体効率が上がって結果的に今までより良い結果が導き出せて
良い状態になることはわかっているわけだから
この出来る人が行っているフローも見える化して
つなぎ合わせられる部分が合致する方法があれば
お互いのストレスが減らせるんじゃないかな?
なんてことを思ったりした。

例えば発達障害の人が持つ一つの例としてある
自分が行っているものごとが邪魔されるとパニックになるので
挟まれることが嫌いなのに、人のフローは無視して突っ込んでいくみたいなこと。
人間は感情の産物でもあるので、
なんなんお前。ってことになり兼ねない。
 ていうか、私が4月にブチキレた原因がこれになるんだけど
 今思えばパニックの人になんらかの手段を施せなかったのは
 (パニックになってたなんて知らんかったけど、
  思い返してみると、たぶんそうだったのだと思う)
 自分の経験不足があったなぁと反省したりもする。

そんな時に合わせていくのができる側サイドだとしても
常に合わせ続けていけば、こちらも疲弊度が高くなって
気づいたらさようならってことになってしまう。

だから邪魔をされたくないっていうのは両方にもあるもので
邪魔にならないフローの作り方がきっとあるんだと思うのね。
例えば必ず返信がすぐに来るものとは限らないから
必ずこのフォルダや書類ボックスに依頼を入れておいて、
リマインダ化しておき、
それに対する返信は三日以内にしてこのフォルダに返す。
みたいなサイクルを作るとか。

脳内がぐちゃぐちゃだからこそ
思いついた時にしか依頼ができないという話も聞いたりするけれど
思いついた時にそのフォルダに突っ込んでおくというルールにして
それが返ってくるのは三日まで待つ。
という風に明文化されていれば、少しはお互いに楽になるんじゃないか?
なんてことを思ったりした。
たしか、なんで今それをできないっていうのを説明できていたり、
ともかく説明さえされて納得できるなら
相手もパニックにはなり難いと学んだ覚えがあるのです。
ともかく見える化を大事にするってことですね。

できちゃう人って見える化というのが脳内ビジョンにあって
共有するのが難しいところにあるんだと思うわけですよ。
あまりに当たり前のことだから意識もしてなかった、みたいなこと。

そういうのをお互いに見える化していけたら
なんとなく良い塩梅になったりしないかな。
なんて思ったりするわけです。

ITの人たちが使っているSource treeやGit Hubを見た時に
これだけ見える化がされているなら
お互いそこで何が足りないとか分かるから
いい文化だなぁって思ったり。

見える化をするのも一つの手間なので面倒臭いっていうのも分かるけれど、
お互い「あいつら強者・弱者はいつもそうだ」っていうよりも
歩み寄れるようになれたら良いよねぇ。と。

そんな今日の戯言。

本の積読が増えているので本を読み進めてまいります。
そんじゃまたね〜。モイモイ
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来週忙しくなるっぽい

2019-06-22 | from:sachiaki
最近人に呼ばれることも多ければ、人を招くものも増えたので
うっかりするとあっと今にスケジュールが埋まってしまい、
これは非常にマズイなって気持ちになっているsachiakiです。

なんでマズイなって思っているかといえば、
私が出かけると…(とくに夜)
パンダ先生の不安が大きくなってしまって
やべーなってなるわけです。

だから基本的には夜に用事が入るものは断ったりしていたんだけど、
自分の主催のものも増えてきてしまったので
そうも言ってらんなくなってきたというか
圧迫してきた感じなのです。。

大人同士だから良いじゃんって思わなくもないけれど
一人がとくに好きってわけでもなく、
一人でなにかすることが膨大になる人でもなく、
ただ外に出られないというだけで閉じこもっている人が
家の中で放ったらかしにされているのは
ただただ寂しさが募るというか

「あれ?私っていらない子なんじゃない」

ってなってしまうのでアカンのです。

かといって、じゃぁ私が家に居続ければいいのか?
というと、今後はこれはこれで共倒れになってしまうので
不安にならない方法はなにか?ということで
一週間のスケジュールをホワイトボードに書き出しておく
という方法を取ったんですけれど、
一週間分しかないので、
ロケットペンシルみたいに、
一つの用事が終わったら、ケツに一つ用事が出せる
というわけにはいかず、
一週間終わった時に綺麗さっぱりになって
「あー、一週間終わったな」って思った翌日に
またババッとスケジュールが現れるので
それがひどくストレスになっているそうなのです。
(予想のつかない予定が出現してストレスになるということらしいです)

一週間に3つも予定があれば良い方だったのか
来週はほぼ出ずっぱりで予定が目白押し……。

あまりにヤバいので、なんとか調整せねば…と焦っているところ。

そうでなくとも、私もお金に余裕があるわけではないので
ここはお財布様の圧迫を避けるためにもどうにかしたろうかねと。

そんな感じ。
なので、しばらく私を誘いにかけるのはやめてもらって
というか断りまくって(今受けてしまった分はこなしつつ)
やらなくてはならない作業を進めていこうと思います。

なにも作らなかったらお金にならんのじゃ!のじゃ。

でも来月も部活はやるわよアニソンカラオケ部
今日はいっぱい歌ってきて気持ち良かったけれど
体力を比較的使い果たしてきたのでこの辺にて。
そんじゃまた。モイモイ
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正義なんて常に問い続けるくらいしかできない

2019-06-21 | from:sachiaki
どうも最近の睡眠時間がおかしいせいか
眠くて眠くて仕方がないsachiakiです。

夜に眠くなるのが自然なことは分かっているけれど
夜になった方が作業がしやすいと
学生時代から…それも中学生くらいの頃からずっと
宵っ張りでいるからなかなか昼間の生活に慣れることができないでいるよ\('Д')/ンバッ

だからなんだ。
と言われてしまいそうなので、この辺は適当にスルーして。

ここのところやたらとネット界隈では「炎上」というのもが頻発していて
なんだかなぁ……となっているわけです。
あっちが収まったなぁと思えばこっちら始まって
どこもかしこも火の粉ばかりが舞っている現在、

とある方がツイートされていた通り、

「これはクソ」とだけ言う人は世の中を変える気ないから放っておいたらいいと思うんだけど…

っていうのはかなり的を射ていると思います。

少なくとも「考えようぜ!」じゃなくて
アジテーションをして誰かの怒りを増幅させて
なんとなく「良いことをした」気分になっている人にとって
世の中を良くしようというよりも
人を扇動して気持ち良くなりたいだけの人だから
そういうのに乗せられて踊る人が増えれば触れるだけ
人々の分断が起こって気づいた時には怒りに燃えている人だけになりかねないよね。

もしくは怒るのに疲れてきてしまって
本当に怒らなくてはならない時には
(e.g.お上の戦争しよう!に対しての反抗とか)
疲弊しきってしまって動けなくて全滅への道が開けちゃう
みたいなことになりかねないと思うのですよね。

だからね、色んな人が「正義の名の下に」怒りをアジテートして
さも怒るのが正しいというようにしてきても
「それは本当に正しいことなのだろうか」と常に問うことを徹底する。
でないとあっとう間に怒りに飲まれて、
「本当に私が求めていたのはコレだったのだろうか」
なんてことになりかねない。
だからこそ人の感情に乗っ取られないこと大事だぞと
くちを酸っぱくして言い続けるし、
できればそのことを他の人にも伝えて欲しいです。

あなたのその怒りは正当なものだろうか。
本当に大切なのはアジテートしている人の言っている通りなのだろうか。

時代が変われば価値が変わるし、場所が変わっても価値は変わる。

私が正しいと思うことは常に変化し続ける。

だけど、変化しない正義や善も必ずあるはずで、
それをみつけたら決してそれを手放さないこと。

そんなことを日記にしつこく書いていくしかできないのよね。
どうか日々が平和であることを簡単に投げ打ってしまいませんように。

令和の時代も戦争がなくゴタゴタしつつも
生きとし生きる人たちの生活が安寧であることを祈っています。

さて、お腹が空いてきたのでこの辺にて。
モイモイ。
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悪口や悪意で人を寄せても空気は悪くなるぞい

2019-06-20 | from:sachiaki
てことでね、ちょいと最近思っていることを書こうかなって思っているsachiakiです。

私が厚意を受け取って引き継いだ”場”こと湯島のバーですが
似たような時期にとあるバーも開店したそうで
アンテナに敏感な若者たちには「なにかあるかも!」と思わせた場所になっていたそうです。

そんでもって、時期が似てたってことかもしれないけれど
よく「関係者さんが運営(経営)されているんですか?」とか
「なにか繋がっているんですか?」なんて聞かれたものです。

たしかにあちらのバーには私の知り合いもよくお邪魔していたし、
1日店長に立っていると聞くことも多かったし、
ともかくイベント好き系が友人に多かったこともあり、
あちらのことは耳にする回数は多かったのですね。

それでまぁある程度気にかけてはいたし、
いつか行こうかなー…なんて思るうちに
あちらの経営者さんが発したツイートに

いや、それはなんか違うんじゃないかな。

なんて思うことがあり、その人は界隈で有名な人であったこともあって
フォローせずともちょいちょいRTなんかで回ってくるものだから
目にする機会がどんどん増え、
あ、やっぱ見ているものがどうも違うらしい。

ってことであちらのバーのことはすっかり意識に上らなくなってしまったわけです。

んで、そんな意識にも上らなくなって今頃になって
私もちょいちょい絡ませてもらった人がね
人集めのために企画するものがな〜んか黒〜くなってきてしまっててね、
うーん、それってどうなのかなーなんて思っていたんですけれど
とうとう今回企画しているものが
「悪口をいう会」と堂々とタイトル付いてしまって
遊びにしてみても、それはちょっと…うん、私の神経では受け付けられないぞ。
ってなってしまったわけです。

くだらないミニマムなものや、
なんでそんなものにケチをつけるんだっていうようなバカバカしくて笑ってしまう1分動画や
意外な文才を見せつけた小説の投稿などはとても清々しく
やっぱり頭が良い人というのは素晴らしいな、
なんて思ったりもしたんですけれど
人を寄せ集めるための手段として手にしてはイカンところをいじりだしたことには
ちょっとマズいんじゃないかなっていう気持ちで心配になってきています。

で、なんでその人の話をしているかというと、
その人が上記のとあるバーの経営者さんと仲が良く
かなり思考の道筋が同格な人だと思っているからで、
私が心配だと言っているのはつまり、
そのとあるバーに関わる人全てに
この「悪口でも悪意でもなんでもいいから、注目を集めることはいいことだ」という
そういう病にかかってそうだなって思ったからなのであります。

「悪評も評判のうち」
という言葉がありまして、良いことを行っていようとなんだろうと
箸にも棒にも引っかからないのでは全く意味がない。
それならいくばくかの悪評でも目立ってから名誉を回復する算段で
物事を行っていく方が良い、なんて言われたりしてたけどさ、
やっぱ釈然としないわけですよ。

やっぱね、悪いもので寄り付いてきた人って
悪でしかないって思うんですわ。
そりゃね、私もゲスいですしね、心は基本的に俗物ですよ。
お金があれば良いなって思うし、
好きなものは全部手に入れたい強欲だし、
チヤホヤされたいし、
楽しいことだけしていたい。

だけどさ、人を巻き込むようなことをする時に
誰かを落として晒して面白がろうなんて低俗なことは
さすがに思わないなってなるんですよね。

一緒に遊んでくれる人とは終始バカ笑いし続けたいし、
マジメに議論したりしたいし、
なによりも誰かが悲しむなんてことにはなって欲しくない。

こういう私の気持ちを汲んでくれているのか
それ以上の効果があるのか
私の周りには優しい人が多いいし
悪口で盛り上がるよりはコントのネタつくりで笑ったりしてる
人畜無害な感じの人が多いわけです。

そりゃまぁ人間だからね、集まった時にグチの一つや二つは出るし、
ある特定の人へ向けた嫌味が飛び出したりもするけれど
それで人を寄せようだなんて露ほども思っていないわけです。

うっとこの番頭さんには
私はあちらのバーの人寄りだと思われていたようで
まぁ最初の頃のイベントを楽しくしているような
そういうバーであった頃はその通りだったと思うのだけど
集客を意識しておかしくなっていった(ように見える)あたりからは
ちょっと一緒くたにされるのは心外だなと思うようになったとかならなかったとか。

ともかく意識というのはうっかりすると楽な方や
大衆的笑(嘲笑など)に乗りやすく
大意であれば人を吊るし上げても良いというものに乗っ取られやすい。

ひと一人を裁ける人間なんてどこにもいないよ。

真に悪意があり、害をふるってくる人からは防衛するのが正しいけれど
過剰に先手に走ってなにかを封じるのもおかしいし。
ぼくらは推定無罪だからこそ、陽の光の元を歩いていけるわけで
予防で人の道を窮地に陥れたり、塞いでしまってはイカンと思うし、
ともかく好き嫌いという個人の物差しを他人にも振るうなら
せめて光の部分でその力を使って欲しいと思うわけです。

毒素の強い人がそばに来るだけでエネルギー吸い取られますからね。
件の知り合いもどうか闇にばかり気を取られていませんように。
そう願うばかりです。

モイ。
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ハイデガーはやはりすごい

2019-06-19 | from:sachiaki
私の知り合いが「ハイエクかしこい、マジかしこい」って書いていたことを思い出したので
似たようなタイトルをつけてみたけれど、
そもそも理解できるような頭でもないので、
すごいかどうかもキチンと理解できていないsachiakiです。

いやさ、現在放送大学で「哲学・思想を今考える」を聞きながら勉強しているんだけど
ハイデガーといえば「存在と時間」で有名な哲学者でもあり、
その「存在と時間」があるからこそ物理学が面白いって話でもあるわけで
なんとなく本は買ってあるけれど、難しすぎて積読状態になっているところに
授業でそのエッセンスを抜き出してもらったので
俄然興味が湧いてきたところであります。

んでね、なんでそんな難しそうだなぁって敬遠していたのに
エッセンスを聞いただけで興味を持ったかといえば、

もともと
生きてるってなんぞや?

という問いについてちょいちょい思い憂いていたけれど
明確な答えって出会えたことがないし、

わたしが今ここにいるってことは証明できるのか?

なんて考え出した日にゃ、うわーーーーーー!!!!!

ってなることがあったわけで、それで哲学という答えのない問いを
ずっと考え続ける本や思考に出会ったわけで
その思考の最先端に近い「実存」というものについて
色々と思い巡らしてしまっていたところだったのですよ。

そんな「実存」についてうわーーーーーー!!!!ってなっている今
その授業の中でハイデガーは西洋哲学でいうところの
形而上学という分野から思考を発展させ

 存在するものしか信じないのがニヒリズムであり、
 ニヒリズムが蔓延するから人は苦しむのであり、
 ニヒリズムを克服しなくてはならない。
 それには「無」から考えを出発しなくてはならず
 ザイン(実存)とはピュシス(自然・生まれる)へ立ち返るべきだ

としたようなのでござる。

正直まだ飲み込めていないし、間違えっている感じがプンプンしますので
どうやら最近のsachiakiは「実存」について考えこんでしまっているらしい
としておいてください。

そして、その「実存」についてものすごく深く考え
形而上学という、いわば机上の空論のような考え方を完成させ
別の考え方に移行した方が良い、
それは「なにゆえに」に導かれる次の思考を促すものになっていった…と。

って、ここまで書いてきたけれど、
たぶん読んでる人の半分以上が「だからなんなの?」ってなっていると思うので
ちょっと解説すると、
魂ってなんすかね?人間ってなんですかね?
という問いに対して、今まで人間が人間以上のものになるなんて考え方がなかったけれど
これからの「命」というものが「なにゆえに」それを「命」と定めるのか
というのはとてつもなく大切な概念になるはずなので
ここを思考の出発点としたハイデガーすごい。って話なのです。

脳死や、人工授精や体外受精、なんなら人口でその人の受精した細胞をデザインして
完璧に近い人間を生み出すことができるようになってきた技術。
そういったものができる段階になってきた現代において
「命」とはどう扱われるべきなのか、
そのためには「命」とはなんなのかを問わなくてはなりません。

常に「命」とは何か?と問い続けていないと
「命」の守り方さえ危ぶまれる現代ですから
「また小難しいことを〜」って笑っているだけじゃなく
ぜひみなさんにも考えていただきたいのでありますよ。

てなこったで、今日は異様に眠いのでこの辺にて。
そんじゃまたね。モイモイ
コメント
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