あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

日記を書いてみたものの削除したり

2019-03-31 | from:sachiaki
そんな1日。
落ち着かない日曜日を過ごしていたsachiakiです。

ビルダーズ2は結局始めてしまったので
なんだかんだと時間を溶かしている今日この頃です。

課金にあまり食指が動かないさち家ですが
水族館パックなるものが課金で出ていまして、
お魚大好きなパンダ氏も大興奮。
思わずお買い物してしまいましたw

そして水族館パックで手にいれた釣竿とともに
思い通りに釣りをして遊んでいるわけですが
アクアリウムの作り方がいまいち難しくて難儀しているところです。
水を入れると水族館のマスが1マス縮むってなんじゃい!
その微妙な仕様のせいか
ピラミッドのなかで大きな水族館を作ろうとしたら
水がうまく入らず
いつまでたっても水槽内に水が満たされることがないという不具合が。

ここまで書いておいてなんですけれど、
ビルダーズ2をやっていない人にはなにがなんだか…
なお話ですよね。すみません。

要は課金までして手にいれた仕様なのに
どうもバグ的な感じでうまくいかずモヤッとする
というお話でした。


実は一度別の日記を書いていたんだけど
あまりに内容がアレだったので削除しました(ノ∀`)アチャー

明日は専門学校の友人たちとお花見をしてきます。
お花見リベンジできるから嬉しいなぁ。

そんじゃまた!
明日はきっとニコニコした日記が上げられると思うよ!!
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仏の顔も三度までっていうじゃない?

2019-03-30 | from:sachiaki
とうとう人前でブチギレるというか
怒鳴るという醜態を晒してしまって
ほんとーーーーーーに凹んでるsachiakiです。

以前もネット会議でお怒り表明しちゃって、
キレられた本人は突然キレたと思ってびっくりしたって言うのですけれど、
もー、どうしてここまで話が通じないのか……。

というか、自分で言うのもなんだけど、
この私をここまで怒らせるってどういうことなの?
とイライラさせられっぱなしで戸惑っています。

今朝も向こうが怒っていたのを私にぶつけたかったみたいなんだけど、
言い分を聞けば聞くほど

アホかー!脳内で出来上がってることを
勝手に伝わってると思い込むなやー!
とね……。

あまりにあちらの言い分がアホなので同じ場にいて聞いていた人も苦笑いしてしまって、
私がブチギレた後に( 'ω')ノ(;ω;`)ヨシヨシと慰めてくれました。

いやさ、同じ意見にならないことは沢山あるさ。
そりゃ仕方ないよ。人間だもの。

だけど思い込んでること(期待)を勝手にしていて
叶わなかったら怒るというのはダメだよ。
それはダメだ。

私だって全部出来ている人間ではないから見間違いだってするし
見当違いなことだってするよ。

だからここで宣言しますわ。

クローズで完結させようとする組織はクソであると!

オープンに出来ないこともあるけどさ、
だけど中心スタッフだと押し付けるなら情報共有はちゃんとやろう。
あと、中心スタッフでは手が回らないこともたくさんあるんだから
そういうのはちゃんと発信しよう。

マジで。

ビールとかそれぞれの買い出しを私一人で出来るとか思うなよ。
本人は手ぶらで来てさ……。

中心に立つ人間が先頭で行動を示していれば人は勝手に付いてくるよ。
なにしてんのー?って。

そういうの(先頭に立つ)をちゃんとやろ?マジで。

先頭に立つのが苦手ならちゃんと参謀型になるとか身の処し方考えよ?

という壮大な愚痴でした。

はー。こんなものを読ませられてシンドイですよね。。ごめんなさい。

なんとか機嫌持ち直して後半戦頑張ってきます。

ほんじゃまたね。モイモイ
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境界の大事さと区別と物思うこと

2019-03-29 | from:sachiaki
朝から頭イテェっていう案件でため息連発していたsachiakiです。

去年の今頃から私の日記に困ったちゃんの話が度々出ていたので
ご存知の方も多いでしょうし、そうでない人もいるかと思います。
ともかくその困ったちゃんは日本語力というか……
おそらくアウトプットにちょっと難があるタイプなのだろうなぁっていうものなのです。

別にアウトプットが流暢でないことをディスりたいわけではなく
この人とやり取りをすると、なんでこんなにイライラさせられるのだろう?
という自分自身との対話をして気付いたことがあるので書いてみようかなと。

まずこのアウトプットの苦手な困ったちゃんは
どうやら脳のキャパシティがちょっと小さめなんだと思います。
だから予定がうまくいかなくなったりすると
あっという間に想定外増えてしまいパニックになってしまう。
そういう自分を知っているからこそ、
人にも想定外にならないようにかなり細かく行動を制限してきます。
その割に本人が遅刻してきたりとかするんだけど
まぁ自分が思っているところに人がいないとか
想定した時間にやり取りが開始されないと
あっという間に不機嫌になって殻に閉じこもります。

ぶっちゃけ面倒くさいです。

そして、この想定外とは別にして
もう一つ今日気づいたことがありました。

それはその困ったちゃんの主語がないことと関係があるのですけれど
本人にとって「正解がわからない」でも「嫌なことはわかる」
そして「嫌なこと」に関してかなり特殊な言葉を用いてこちらを批判してきます。
なのでこちらもなにか嫌な気持ちにさせてしまった
傷つけてしまった、損害を与えてしまった
ということについて深く傷つきます。
向こうとしては自分を傷つけて人間が傷つこうが自分が大事なので
かなり追い込むようなことを言ってくるけれど
自分は追い込まれるのが苦手なので
ちょっとした失敗でも「それは違うよ」と指摘すると
まるで海底にいるかのように沈んで自分はなにもできないと落ち込み
こんな私でも付き合って欲しいと寄ってきます。
こちらは「違う」ものを「修正する」「別のプランにする」「それでもいい」の
どれかであればいいので、なぜそこまで落ち込むのかもわからず当惑します。
当惑するようなことというのは不快の感覚に近いので
やはり面倒くさいって思ってしまいます。

この困ったちゃんとの共通の知り合いとやり取りする時に
あの他罰的なところはどうにもならないねぇ
なんて苦笑いをして過ごしたりするんだけど

なんで他罰的なのに地雷がいくつもあって
人に対して攻撃をするだけしかできないように見えるのだろう?
という疑問に昨日の東洋経済ON LINEを読んで納得したというかなんというか。
 突然「キレる夫」を変えた妻の率直すぎる言葉
 離婚寸前の危機、トコトン原因を話し合った

このコラムは夫がキレる側だけど、
女心と秋の空と言われるように、
女性の突然のキレっぷりに当惑している男性諸氏も読まれると良いと思います。

キレる人というのは男女差がないように感じます。

と、話がうっかり外へといってしまっていた。

なんで間違うことがそんなにも怖いのか。
自分のことなにに「正解」がわからないのか。

ここからは少し憶測が混じりますが、
やはりナイーブで「失敗が怖い」と怯える友の昔話から察するに
子供時代に「失敗を許されない」環境で育っていることが大きな原因なのだろうということと、
まるで本人の意思などないかのように周りがふるまった結果なのではないか?
ということが思い浮かびました。

本人の意思などお構いなく、こう歩け、こう言え、この時はこう振る舞う、
少しでも間違うと躾といって子供にはシンドイものを与える。
それは体罰とかでなくても、子供の自尊心を奪うものであれば
どんなことも想定できます。
例えば「あなたは私がいないとなんもできないのね」と言うとか。

”こうあるべき”で育てる人たちの手にかかると
”子供らしい”絵や食べ物、行動でないと不満がり
子供はそれを察するので”本当”を押し込めて
”らしい”ものをパターン学習する。
パターンは一度覚えないとできないものだから
パターンの外はなにもできなくて怖い。
それは失敗の元だから。
ここにパターンからの波形で想像力が補われている場合は
比較的おだやかな性質になるし、
想像力が欠如するとパニック型になるのだと思われます。

だけど両方に言えることは「自分を排除」することで生き延びてきたことだから
自分に対する主語がなく、つねに「〜がこう言った」「〜は普通だと思う」
というようなもの言いになりがちです。

主語がないので本人がなにを望んでいるかわからないし
そもそも本人がなにを望んでいるかわかっていない。

だから間違っている時だけ態度に出てきて
こちらに「正解探し」をさせ続けるわけです。

本当にシンドイ。

本人の中に他者と自分の境界がない。もしくは曖昧であるからこそ
「言わずとも操作して欲しい」
そしてそれは「私にとって心地良くあるべき」になっている。
だからこそ「取扱説明書」なるものをこちらに押し付けてくるのでしょう。

西野カナが好きな女子なんかはほとんどコレに該当すると思います。
もっと自分に責任を持てよ。自分のことやぞ!?

こんなことをツラツラと考えていました。
困ったちゃんは「私は一人っ子でわがままに育った」と言っているけれど
多分わがままとはちょっと違うと思う。
他の人の期待と違うことが多かったからこそ
「わがままに見えた」のだと思うし、
本当にわがままだったら相手のこと自分がしたいことに忠実だと思います。

自分より困っている人に手を差し伸べたりするのは
とても優しいなとも思うけれど、
人を助けることによって自分を助けるというメンタル構造があるがゆえに
その行為に酔っている可能性が高いなと。
自分に余裕ができたら助けてあげようね。

っていうと壮大なブーメランだったりするんだけど(ノ∀`)アチャー

ともかく主語のなにいつも困らされていたけれど
主語があるわけないのだ、という気づきがあって
絶望とともに納得したりして。

もう頻繁に関わらないぞ!って宣言したのに
あまり伝わっていないようでそれもビックリ。

とりあえず私はなすべきことをなさなくちゃならないので
少しずつでも距離を開けられるように頑張ります。。

私だって未熟だから、常に批判されていたら心壊れるっちゅうねん(゚∀゚)アヒャ

そんな感じです。
西野カナ好き女性がこれを読んでいるようだったら
自分のことをより深く知るために日記書いてみれ。
と書置きしておきます。
日記にいつ自分が不満に思ったか、それはどうしてか、
そういったものを記載しておくと
数日寝かせてからページを開いてみると
自分のが些細なことに傷ついていたり
怒っていたりしているこに気づいたりできるのでオススメです。
それを直せ、というのではなく
自分がどういった時に不快に思うのかがわかっていると
アンガーマネジメントしやすいよってだけです。

そんじゃまた!モイモイ
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ちょっとブッ込みたい話もあったけれど

2019-03-28 | from:sachiaki
さすがにマズイなと思ったので、noteにでも書いて
課金とかにしようかな?なんて考えているsachiakiです。

ヒントは「性食考」。

ほら、また面倒なことを考えているよ。

なんていうか、
食べることにあまり興味がないという話を
ずっとしていたんですけれど、
(食べた後に脱力して気絶したりすることがあるから
 食べるのが怖、とかそういうのも含めて)

生きるの下手過ぎない?
って話だったりするんだけど、
食べるのは苦手なのにエロ方面には強いってことは
どっかスイッチがおかしいんだろうね
って思ったりしてました。

強いとかいっても、知識的にってくらいなので
食に詳しいけれど、少食というのと同じかもしれないw

まぁでもね。
食べるという行為はなにかを犠牲にしたものを体内に取り込み
体の一部へと変換して新しい生命として生まれ変わることで
そこには生き死にがすごく濃くあるんですよね。

だから「食」には儀式的な要素が強く出るんじゃないかな。
「いただきます」って言葉にしたり「アーメン」と神様に祈ったり
他にもいろんな神事について食は関係していることが多い。

で、「性」に関しては生きる死ぬの究極系で
新しい命を生み出してしまう行為にも繋がってるんですよね。
マジすげー。

って、さらに書きたいこともあるけれど
さすがにマズいなーって思うのでこの辺で終わりますw

あと、変な時間まで起きてしまったので眠いw

そんじゃまた。
起きたら更新するかもしれません。

モイモイ
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菩薩とか言われても〜

2019-03-26 | from:sachiaki
私はそんなんじゃな〜い。

なんてボヤいたところで、やらなくちゃならないことを放置して
人とのコミュニケーションに注力している場合かっつーの。
そこんところ、わかってるの?
思わず自分について説教モードなsachiakiです。

菩薩ってな〜、そんなな〜、
私はめちゃくちゃ嫌な奴だからな〜。

私の内情を知っているひとからみたら
「菩薩?なにいってんの?」だと思うから、
ちょっと待って、ちょっと待って、おにいさ〜ん!
なんて古い芸人なんかも思い出してしまったりして。



でもさ、ちょっと思い止まってみて
顔本でキラキラした言葉を吐き出してる人たちを見ながら
先日見てきた『岬の兄妹』を見て重ね合わせて考えるとね、
あぁ、あれが生き汚なさなのだなと思うわけです。

自分の汚いところを棚に置いてでも飾り、
求められているものを演じていく。

それは吐き気をもよおすほど気持ち悪いことだけど、
そうでもしないと生き延びていけない。

いつか本性がバレると震えながら生きていく。

そういうものなのかもしれないなー
なんて思ったりしていました。

私は吐き気の段階で引き返しているから
需要と供給がうまく生み出せないでいるけれど、
オエェ!って吐いてスッキリしてしまえば
飾った自分をインストールできるのかもしれないなーとかなんとか。
菊地成孔先生が、子供の頃に性的悪戯をされて
世の中の理不尽という真実にたどり着いて
ふいに覚醒したように。

そういうものなのかもしれないね。

少なからず自分の中の罪人意識と向き合いつつ
それでも表舞台と裏舞台をスイッチングしていく、
そういうものが処世術なのかもしれない。

自分ってまだまだお子ちゃまなのだなぁ。。。

そんなことを思いながら、
「でも菩薩ってエロいんだよ?」って言われて
あ、それなら納得!
ってなったので、なにかその方面で売り出すかもしれませんw

しないかもですけれどw

ブランディングってなんでこんな難しいのでしょうね。
まだまだしばらく悩むと思いますが
今日はこれにて!とっぺんぱらりのぷう
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岬の兄妹を見てきたので色々考えてた

2019-03-25 | from:sachiaki
昨日はTwitterで仲良くなったお姉さんと
『岬の兄妹』を見てきたsachiakiです。

お互い障害や福祉について気にしているタイプだからか
きっと見ながらクールに構えてしまうでしょうね〜
なんて言いながら映画館に入ったのですけれど……

見終わって、最初に出た言葉が
「え?これだけ??全然ゆるかったですね」
でした(ノ∀`)アチャー

身体に障害を持つ兄と
自閉症で発達障害を持つ妹が
生きるために選択することについて描かれているので
まぁ確かに重たいものはあります。

あ、ここからさりげなくネタバレになるので
これから映画見たいという人がいたら
今日の日記は読み飛ばしてくださいませ。



















さて。


ネタバレ感想です。

まぁトレーラーを見てる人でしたら想像つくものだったと思いますけれど
その障害を持つ二人が生きるために選んだものというのが
”売春”だったわけですわ。

まぁね、ぶっちゃけ”売春”に至るのは
そりゃそうだろうって思うし、
実際お客さへつけば手軽なお仕事ですよ。
古い漫画で恐縮だけど、「僕といっしょ/古谷実」でも
家出少年たちが生活のお金に困ってやったことも同じでしたからね。

携帯電話番号を記載しているだけの
汚い字で書いてあるヘボヘボなビラチラシ。
用紙を節約するためなのか、紙面に書くことが少ないからか
ポケットティッシュサイズのチラシをひたすら歩いてポスティングしていきます。

ほとんど胡散臭いを煮詰めただけのチラシだけど
それでも釣れる人たちがいるし、
釣れた人たちがあまりに普通なので
あぁ人間ってそんなもんなんだなぁっていうのがあるけれど
こんな話で胸糞悪くなるなら
貧困の果てに小学生の娘を売る母とかの方が罪深いし悲しい。

まぁ同じようなケースなのだろうけれど。

真面目に生きようとしても
足かせがあるばかりにうまくいかない兄、
その足かせとなる障害と妹を苦々しく思いながらも
できる限界で一所懸命生きている。
鉄工所でクビになってもポケットテッシュに広告を入れる内職で
1個1円というやりきれない仕事を頑張っている。

それでも家賃(バラックに住んでいるので、大したものではないだろうけれど…)はあるし、
電気なども払わなくてはならない。
けっきょく全てが払えなくなってゴミを漁ったりして生き延びようとするんだけど
ハタと気づいてしまうんですよね……。

ひどい自閉症で家を出るとなにするかわからない子だから
家に縄で閉じ込めていたはずの妹が何度目かの脱走で
釣り人に保護されていて、それと同時に性的な何かをされていたことを……。

ーみんな忘れがちだけど、人間って性への目覚めって驚くほど早いんですよ。

だからご多分にもれず妹も5本の指で年齢が数えられるような頃に
ブランコに股間を擦り付けているシーンがあって
その延長に成長しきった体を持つ妹がいるわけです。

子供の頃に目覚めているものが封印され続けているわけがないのです。
そうなるとさ、ある意味彼女にとっても「楽しいおしごと」であって
彼にとっては「生活の種」になるのです。
Win-Winなんですよね……。

その罪深さについてなどはまぁそれぞれ考えていけば良いと思うので
別にどうでも良いことなのですけれど、

とにもかくにもですよ。

あんな重度の自閉症を持っている子だったら
あきらかに保護対象だし、生活が困窮するようなことにはなりにくいはずなんですよ。
そしてそういった保護を受けるための書類を作ったりするのは
そこそこ難しいし、窓口につながりにくい環境の人もいるっちゃいるので
そういう環境要因があるのかな?と思ってみたら、
この映画の中で兄はお金を借りることもできるくらいの親しさで
巡査とつながっているわけなんですよね。
それなのに、その巡査はバラックで暮らして生活に困窮している友に対して
厄介な知人って程度の温度で接しているんですよね。
公僕マジメに仕事しろよ。

当然ビラなんてのもね、地元で配っているわけだから
巡査である友人にもバレてしまいますわ。
そしたらその巡査ヤツがめちゃくちゃ怒って家に押しかけて
「法を守れ、妹を守れ」って叫ぶんですわ。
それに対して兄が言う
「お前みたいなのを偽善者というんだ」
には首肯するしかなく、
本当にマジメに公僕仕事しろって思った。
そこで怒るのは大変間違っているし、
怒るよりも自分の無力さを呪いながら施設に連絡するなど
もっとできることあったろうと。。

まぁ妹もなんらかの施設に遊びにいっている感じがあったので
もしかしたら窓口までは繋がれたけれど
その後がうまくいかなかったのかもしれない。
でもそれだって公僕マジメに(ry

明らかに保護対象である人を微妙な背景で書いていただけでなく、
ヤクザとかも出てくるけれど、比較的やさしいし、
妊娠しちゃった妹の手術費に悩みまくっている最中に
ブロックを外から持ち出してきたのに
振り落とすこともなく、ちゃんと踏みとどまっているし、
比較的生ぬるい感じで全てが進んで行っていきました。

それでもこの映画から感じたことがあるとしたら
お母さんのお腹から早く出たいといって暴れまわっていたり、
出たくないと逃げ続けた胎児は殺されてしまうこともある。
そういう経緯や奇跡が色々と積み重なって
生まれ出てきたたった一つの貴重な命なのですよね。
(産みたくなかったという人もいるので、その辺の複雑さは割愛)

だから本当ならお天道様のもとを大手を振って歩いていけるのが
一番大切なことには違いないけれど、
いつかバレると震えながらでも生きていくしかない状況もあるわけで
生き汚いとののしられようと、どんな環境であろうとも
生きていかざるを得ないのよね。
ってことを感じて来ました。

これを『問題作』というのは簡単だけど、
問題作であるなら、もう少し窓口への繋がりにくさや
繋がった後も持続して保護してもらうことの難しさを描いて
その理不尽さに憤るようなものだったら
さらによかったなぁと思ったりしました。

テーマが障害と性と貧困とバラけてしまったのが
もったいなかったのかな?って感じです。

せっかくなので障害を持っていて、困窮していそうな人が身近にいましたら
こういう本もあるので読んでみて
うまく福祉の窓口に繋がれるように導いてあげてください。
障害のある子が「親なきあと」にお金で困らない本/渡部 伸
あと関連本として『障害のある子の家族が知っておきたい「親なきあと」

また、障害者が性欲など持っているわけないという幻想もいますぐ捨ててください。
彼らの性とも向き合わないと自分達が蹂躙するにしても何するにしても
厄介さには変わりがないからです。
人でなしでい続けるなら話は別ですけれど。

最近は障害を持っている人の性についても考えている団体さんもあるので
そちらと繋がってみるのも良いかもですね。
封じようとしたり、見ないでいようとすればするほど抑圧されて
よけいに爆発してしまい、施設で介護師が襲われたりするわけですから
キチンと向き合っていかないとなぁって思います。

そんな中でホワイトハンズさんは問題をそれなりに抱えながらも
頑張ってらっしゃるなぁと尊敬してしまうま。

なんだかんだ色々と考えるきっかけになったので
『岬の兄妹』良いですよ。
もう今月末で関東公開は終わってしまうようですけれど
お時間ある方はぜひご覧になってもらいたいです。

さてついつい熱く語ってしまったのでこの辺にて。
またね〜。モイモイ
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モヤモヤと凹んでいる。

2019-03-23 | from:sachiaki
なぜって、二つの写真があって
その比較がものすごく綺麗に分かれたからです。
私が好きな方面はエログロ系でウケが悪く、
求められているのは爽やかで救われそうなイメージカットの方だったから。
どちらも私なのだろうけれど、
私は癒し系と呼ばれるものから一番縁が遠いものだから
ふわふわ優しそうに見えるのは
詐欺師の顔なんだよ、って言いたいsachiakiです。

嘘付きたくないのに
嘘をついてるみたいでモヤモヤする。

私はいっけん優しそうなことを言っているけれど
中身を剥くと「お前も地獄へ道連れじゃぁ」
っていうようなことを言っていることが多い。

だいたい救われようなんて100万年早いっつーの。

いや、救われなくてはならないと思うけれど
それは自分自身で掬い上げなくてはならないもので
極楽浄土へ天女の羽衣で連れて言ってもらうものでは断じてなく、
足の裏が焼けるような砂漠道を裸足同然で歩き、
足の皮が厚くなることで歩きやすくなる類のものを
(私は)救いだと思っている。

だからこそ、私に近づいてくれる人について
まず振い落さなくてはならないわけで
弱きものよ!まずはこの恐ろしい姿を見ておののきたまえよ!
しかしこんな格好でも共に歩こうというものよ!
よくぞ来てくれた。
あなたがいてくれるだけでこんなにも心強い!
あぁ、ありがたい!!
これからも長く付き合っていきましょうぞ!

っていうものなのよね〜。
なんてモヤモヤモヤモヤし続けている。

こんな悪魔のようなキ印の言葉に
甘いものを見てはダメだって。

ボケーっとアホ面さらしているから
なんか懐柔できそうだな〜って思っていても
意外と尖っている犬歯で噛み付きますよ。






なんてね。
思ってはいたんだけど、
求められるものをキチンとやって
たまにしたいことをだけをする、
なんていうのも王道なんじゃないの?
なんてことも思ったりする。
いいじゃないの。
求められているうちが華だよ?!
いずれそっぽ向かれるかもしれないんだから
そしたらその時好き勝手にやればいいだけかもよ!?

私がボケーっとまた手をこまねいてるうちに
私よりもヒドイやつが、もっとヒドイことするかもしれないよ!?

そんなことをモヤモヤと考えていました。

もっと人に優しくありたいものです。

とりあえず考えすぎて頭が痛くなってきたのでこの辺にて。
またねー!モイモイ
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心にひろがる砂漠はわざわいなるかな!

2019-03-22 | from:sachiaki
昨日は長いこと友人をしている、あべあゆみさんが出演すると聞いて
日暮里にあるD-倉庫へお芝居を観に行ってきたsachiakiです。

人はなぜ生きるのか。
人生に意味などあるのか。

それについては、先日もフランクルの「夜と霧」から引用して

人生に意味はないが
人生があなたを問う


というようなことを書いた覚えがあります。

そんでもってそれなりのボリュームを二行に収めるのは簡単だけど、
本当に大事な言葉は端折られたところにもあるので
要約やエッセンスだけを切り取って
読んだ気になってはいけないんだよなー
なんてことを思ったりしてました。

私も「夜と霧」はパラパラとしか目を通していないので
大事なことをたくさん受け取り損ねていると思います。

んでね。
そんな「生きる」とはなんなのか。
そんな問いをずっと抱えていて、いまだに確固としたものは持っていないのだけど
昨日行ってきた「Electric Garden」というお芝居を観て
さらに色々と考えこんでしまいました。

ベースがニーチェの「ツアラトゥスラはかく語りき」をベースにして
実際にあった事件をもモチーフにしているものなので
人によっては嫌な気持ちになるんじゃないかなーと聞いていたんですけれど、
たしかに事件のことを思い出すものではあって、
ちょっとシンドイって部分はあったのですけれど

生きていることの空虚感を抱えている時の砂漠を彷徨っている感じや
自分が生きていることに罪悪感を抱えていることについて裁判という形式を用いたり
結局自分が死ぬかもという直前にまで追い込まれた際に至る
「それでも生きたい」という鬼気迫る演技はとても引き込まれるものがありました。

このお芝居では自分の意思とは関係なく、
ひどい目にあって殺害された人たちが幽霊となり
その幽霊たちが自分たちの無念を晴らしてくれた主人公を
仲間(あの世)に引き込もうとする話なのですけれど、
その主人公が発した
「生きている限り加害者であり続ける」
という覚悟を元に、自分は被害者にはならないと
被害者たちに突きつけるシーンにはハッとするものがありました。

残酷な事件はいつの時代もつきもので、この間もクライストチャーチで銃乱射事件があり
身近なところでも酷い話はそこここに転がっていて
その話を目や耳にするたびに

最後の瞬間まで尊厳を踏みにじられても人は人を許すことができるのか?

なんて別の問いを立ててしまったりもするのですけれど
なぜそんな残酷なことが起こらなくてはならなかったのか
そんなことばかりを頭の中でグルグルし続けてしまったりします。

結局このお芝居でもせっかく主人公が「加害者」であることを選び取ったにもかかわらず
あんたに罪はないと突き放されるところなどに
容赦がないなぁなんて混乱してしまったのですけれど
モラトリアムしやすいタイプの人間が思い込みがちな
”生きていることに対する罪深さ”に対して
”それは罪ではない”というアンサーだったのかもしれないけれど
「被害者」でも「加害者」でもない中間に投げ出されて
心の砂漠がまた広がろうとしていくのを感じました。

どこまでも茫洋とした渇きばかりを押し付けてくる砂漠が
音もなく体を蝕み、干からびていくところを想像すると
空恐ろしくもなり……。

しかしながら、物語のもう一人の主人公となる
薬となる言葉を探していた娘が行き着いた果てが家族の絆であることや
セリフ言い回しで「ことば」を「こと」「ば」と切り離していたことからも
薬となる「こと=行動」と「ば=場所」はいつだって
探さずともものすごく近くにあるのだろう、なんて勝手に思ったりしたりして。

自分のことを支配できるのは自分だけではなく
その時々に張り巡らされた空気や環境だったりするけれど
できるだけ自分自身で制御できるようにできれば
少なくとも後悔するような生き方にはならないんじゃないかしら。

だからこそ、世の中の腹が立つ事件とかたくさんあるけれど
そういった空気に感染せずに
自分の立っている場所をよく意識して
自分の手の届く範囲のことを粛々とこなしていこうと思うのです。

そうしていれば砂漠にも小さな花が咲くように
いつかはオアシスができて都市が発展するかもしれない。

自分自身を焼き尽くす砂漠をこれ以上を広げないように。

そんなことをずっとツラツラ考えていました。

明日は大好きな友達に囲まれて遊べる日なので
少しカサついてしまった心を潤してきますw

なにがあろうとも、私には友がいる。
家族がいる。
それが一つの救いであることを信じて。
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恐ろしいことにインタビューを受けてきますぞい

2019-03-20 | from:sachiaki
おっかないよねぇ。
何を聞かれるんだろう?
なんも持ってない一般人なのに><

ほなそろそろ行ってきます。
神田のとあるスタジオですよ。

あー、こわいこわいw

sachiakiでした。
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人間の証明…って言いたいわけじゃないけれど

2019-03-19 | from:sachiaki
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


思わず引用しちゃったい。
森村誠一の著作「人間の証明」で映画のキャッチコピーとして使われた
西条八十(さいじょうやそ)の詩で「ぼくの帽子」というものだそうです。

今朝は早々に物憂げな心持ちになっていたsachiakiです。

別に鬱々としているわけでなくて、
朝から某美容整形外科の大先生さんが発した
「南京もアウシュビッツも捏造だったと思う」
なんていうトンデモ発言をしたことに関して
今ドイツが揺れているということと、
アウシュビッツ記念館へ訪ねたことがある人のエッセイを読んで
なんかなぁ…なんだかなぁ…という気持ちになってしまったのです。

私はいじめとかそういうのが好きじゃないし
(ていうか、好きな人なんてほとんどいないと思うけれど)
何かおかしいって思うと、つい口にしてしまう
口が災いになっているタイプで
そりゃもういらない正義感のせいで痛い目にもあってきたけれど
それでも自分の正義は自分の中のものであって
人に強要するものではないし、
自分の背中をみて感じてくれる人は真似してくれれば良い
そんな程度に止めているようにしている。……つもり。

そもそも自分が正義を語れるほど
愛を語れるほど聖人なんかではないことが大きいし。
どちらかといえば、過ちを繰り返し抜け出せず
苦しみながらもがきながら生きているから
人にものを言える元気がないw

と、話がずれてしまった。

だいたいの人間は「自分が異端である」ことに堪えられないんじゃないかな。
何か人と違っているだけで噂されたり面倒なことに巻き込まれたりするし。
だから、自分の中の善悪で「これはおかしい」って思うことがあっても
会社のボスやクラスの元気な子に自分が標的になるくらいなら
ーみんなもやっているし、ほんの少し無視をするだけだー
みたいなことってあるんだと思う。

”赤信号、みんなで渡れば怖くない”

その延長上に内戦や戦争や虐待や虐殺があるんだと思う。
誰もがみんな残酷な人間ではないし、
だかといって杉原千畝のような偉人になれるものでもないのだろう。

浅はかで弱い人間が、理性を持った人間でいられるかどうかは
手にれたものの積読になっているフランクルの「夜と霧」に収められていると思うので
早く読みたいなぁと思いつつダラダラ。

とりあえず今日読んだエッセイが素晴らしかったので
アウシュビッツが陰謀だとか思い込みたい人は読んでみると良いと思う。
陰謀を信じるのでもなく、真実が知りたい人にもオススメです。
アウシュビッツが捏造だと思うなら、アウシュビッツに行こう
今だけ無料って記載されているから、後々は有料版のコラムになってしまうのかも。
このコラムの後半に著者がその場へ訪ねた時のエッセイが載っています。

そして、その中にあった
フランクルの「夜と霧」の引用が響いたので、私もここに置いていこうと思います。

「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」これに対して人は如何に答えるべきであろうか。
 ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生がわれわれに何を期待しているかが問題なのである。

ちなみに「夜と霧」の巻末にはアウシュビッツの当時の写真がいくつか差し込まれているので
それも目を通すことをオススメします。

原爆記念館や白百合の塔を訪れた時もなんとも言えない
重くのしかかる嫌な気持ちにさせられたけれど
この写真からも同じようなことを受け取りました。

そんなものが実在したのか?

それはいつだってそう疑えばそう簡単に証明などできないものなのでしょう。
それでもそれらを確かめる術はあり、
その事実が目を覆いたくなるものであったとしても
そこから逃げることはできないんじゃないかな?って思う。
歴史は常に姿を変えるけれど、それがあったことは変えられないのです。

私だって南京大虐殺って数字上おかしくない?
って思ったことはあるけれど、
ちょっと興味を持って調べてみれば
色々と出てくるわけで……。
本当は現地に訪ねていって、そしてちゃんとその当時の大衆の文化なども知った上で
どうしてそういう流れになったのかが知りたい。

とにもかくにも、
自分に都合の良いことの方が信じやすいけれど
それを信じてばかりではいけないってことと
疑って調べてみる理性や
人に対して感じる心を持つのが人間というやつなのではないでしょうか。

なんて、ついつい重たい話を書いてしまったけれど
まぁ私のこんな辺鄙な日記を読みに来てくれる人なら
「あー、いつものことね」って生暖かく見守ってくれるだろうと信じてますw

あー、もー、ね。
ちょっと暗くなっちゃったからいっちょいっときますか。

せーの!おっぱい!!!!!

はい。どうもありがとうございました。
解散!!!!モイ!
コメント
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