あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自分の武器がなにかをもう一度みつめる

2024-01-31 | from:sachiaki
みんな悩みは同じなんだろうけれど、
自分にはなにがあるのか?を問うことは多いわけで、
だからこそ診断や占いが流行るわけなんですけれど、
自分にはコレしかないって進んできたのに
結局悩み続けるっていうのが常なのがシンドイですよね。
オタキングの4タイプ診断をやりながら
やっぱりどこにも分類できず、
結局一つだけ別の答えにしてくれっていう
指示が出てきたので「まぁこれかな?」と
答えをいじった結果が「法則型」で
あぁちょっとわかるってなってきたsachiakiです。

人と意見がぶつかったりした時や
ケンカになりそうになった時でも
その原因がなんなのか分析さえできれば
とくになにかを追求しようとか
恨み言を言ったり感情的になったりしないので
おそらくそうなんだろうって思ってました。
まだ思春期の時とか自分が意見をしたら
「空気を読んでくれ!」って言われることだったり
「言い過ぎ」って言われることが多かったのも
まぁ納得というかね。
事実を言っただけなのになーって当時は思っていたし、
今は言われたくないこともあるだろうなぁという
なにかを察知することができるようになったけれど、
論に穴があると突きたくなってしまったり、
でもそれを言って面倒臭いことになるなら言わないとか
そういうローカロリーな感じもぽいなってなってました。

とはいえ、中央分布図に近いってことは
全ての要素が合わさっていてて、
自分を見失いがちだってことだから
そりゃ悩みも深いわな〜と。
で、別のnoteを拝読した時に
この中央値に近い人は多才になりがちで
その柔軟さが持ち味なだけに悩みやすいとあって
悩みを抱え続けられることこそが才能と書かれて
そういやそんなことを自分のブログでも
何度も書いてるな〜なんて思ったりしていました。

そも、たった一つの信念に基づいて行動している
「理想型」とか、なにかに振り切れている人に
憧れていること自体が「法則型」っぽいのよな。

ちなみに悩みを抱え続けられることが才能っていうのは
※ネガティブケイパビリティというもので
ほんの少し注目されましたよね。
物事っていうのはあまりにもデコボコが多く
こちらが優れているからといって、
あちらが劣っているわけでもない、
だからこの領域においてこちらが正しくても
それはあちらにおいて正しいことではないのだ。
的なことを担保し続けて
その時に求められる態度などを変容させていく。
そういったものに強いっていうのは
まぁたしかに才能なのかもしれんね。

常になにか考える時に「仮に」ってしておける能力。
決断力はなく、頼りないかもしれないけれど、
こうであるならばこうなるはずだという仮定する能力。
誰かのために自分をほんの少し引っ込めることができる能力。

尖っていないぶん刺さりはしないけれど、
誰ともぶつかり合わないのは
それはそれで能力だから、
大いに悩み続けていきましょうってことで!

今日購入してきた「新人生論ノート/木田 元」
でも読んでいきますよ。

それではまた。モイモイ

※事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、
 懐疑の中にいられる能力/答えのない事態に耐える力

参考にしたnote https://note.com/shomakimura/n/ne4665a0d0b40
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私の言葉には剣がある

2024-01-30 | from:sachiaki
先日、収録した音源を編集する勉強会に出てまして
その時に「トーク番組やって欲しい」と言われたんですけれど、
絶っっっっっっっ対に嫌です!!!!と
全力でお断りをしてきたsachiakiです。

人というものは多種多様だから
どんな言葉や態度を使おうとも
全ての人から好かれるのは不可能ってもので
傷つけずにいられないって話は知っているんですけれど、
それでも私はうっかり議論をふっかけてしまうところもあるし、
なにげなく発言したことで煽ってしまったりするので
自分の思いをテキスト以外で残そうとは思わないし
しゃべってうまくいくとも思ってないのです。

占い的にいうと私は「言葉を操ってこそ」と出るんですけれど、
「觜宿」のところに書かれているように
コミュケーション能力も高いけれど
口が災いをもたらすとあるので
とてもじゃないけれどブレーキ(私を止めてくれる人)が
ないのは無理って思っているのです。

そうでなくとも、「トーク番組云々」と
おっしゃった方とその会話になる前に
ちょっとした話をしていたんですけれど、
その人のこだわりの部分を察することができず
あ、地雷踏んだ!って気づいて
会話を修正していったものの
かなり険悪な空気になりかけたので
やっぱ私に喋らせちゃダメだ〜〜〜〜〜って
なっていたんです。

テキストベースが一番いいし、
燃える力もないってぐらいがちょうどいい。
バズッた方がいいんだろうけどね。

目立たないのが大事よ。ほんと。
おもしろおかしく生きていくためにも
目をつけられないのが大事。
街中にある小さな意外をみつけてSNSに流す。
自分だけしかわからない面白さに酔う。
そういうあり方を目指していきたい。

どう生きるか?と聞かれたら、
マニアックな生き方って答えるかな。
誰にも理解されず「寂しい」って言って没する。
そういう生き方を目指したいので
いつか全ての人との関係を断たねばと思いながら
そのいつかが来るまでマニアックなことが好きな
ほんの少しの友達と仲良くやっていきたいと思います。

究極の寂しがりなので
「寂しい」ってなったらいよいよヤバイと思うんですけれど、
一人でも大丈夫なメンタルを手に入れたいと思います。
ナチュラルエクスプローラーの極意をみつけるぞ!

ってことで、ラジオでの一人喋りはしたくないという
謎の日記でした。
それではまた。モイモイ
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なんていうかこの世が一番地獄だぜ

2024-01-30 | from:sachiaki
一日中忙しかったので日記を上げるのが
とんでもない時間になってしまいました。
それでもスプラはやってたsachiakiです。

ゲームやる時間はあるんかーい!ってな。

それはさておいて。
とあるドラマが好評だったので
いつか原作読んでみようかな〜なんて思っていたのに
驚くべきことが起こって最悪な結末を迎えてしまったことに
なんとも苦い虫を噛んだような気持ちになっているところです。

メディアミックスで原作レイプと言われることは
ちょいちょいあるし、
改変された上でも面白かったものはあったし、
ていうか、だいたいドラマになる時は
原作読んでなくても面白かったりするので
脚本家の手腕たるや凄いもんだなって思うわけですけれど、
やっぱり我が子のように可愛がって出した原作を
翻案や改案されるだけに飽き足らず
換骨奪胎になって悲しむっていうのはよくある話のようで、
今回の事件をきっかけに
ドラマ原作だった方々が連作終了したり、
筆を折ったりした話を聞くと胸が潰れる思いがします。

関わる人が多いことや、受け取る層の違いによって
その作品の面白さを伝えていくのに
感性が違うところを強調することはあると思うんです。
それでもちゃんと作品に対してのリスペクトがあって
守られるラインを守っているかどうかが大切なんじゃないかな〜と。
どんだけいじられても「構わん!」っていう方もいらっしゃるけれど、
大方の作者さんにとって、
自分の作品が雑に扱われた、自分の意図しないことばかりだった
っていうのはとても辛いことだと思います。

切込隊長のnote読んできて、
エンゼル投資家は大人の世界バリバリの人だからなー
なんていう感想を抱きつつ、
大人の世界バリバリを通し尽くして
人死に出したらアカンのちゃう?
って気持ちにもなってきたり。

どこまでが守られるべきラインだったのか
そういったことがイマイチ曖昧になっているので
こういうことを機に、
もっとちゃんとガイドラインを作ってもらいたいなぁ
なんてことを思ったりしてました。

リアリティーショーでの人死も出していて
どれだけ人が繊細なものかというものか
注目されて業界にテコ入れってなっていたはずなのに
結局こんなことになってしまって
なんともはや切ないなぁとなってしまいました。

著作権や著作人格権とかが日本では
あまり馴染みがないので
それも要因なんだろうなぁ。。

じゃっかん切込隊長のnoteで気になったのは
「改変が嫌なら原作権を売り込みにくるな」だったんだけど、
実際目をつけられて売らざるを得なかったのと
出版社側がぜひに!と売り込んでいるのでは
印象がだいぶ違うので、
原作改変で苦しんでいる作者さんたちにとって
どちらだったんだろうなぁ
というのは気になるところです。
出版社からしても、「ドラマ化決定!」っていう帯は
やっぱり売り出しやすいだけに
作家さんを口説き落として売り込みに行く際に
作家さんへの嘘をいっぱいついてることもあるでしょうしね。

今回のドラマについても、
作者さんは以前の作品もドラマ化されていて
それでどう改変されたら辛いかっていうことを
散々訴えた上での許諾だったと思うので、
作者さんの気持ちを踏み躙った関係者各位には
こういったことが二度とないようにしてもらえたら……と思います。

個人的には「似てる」とよく言われる女優さんが
主人公を演じられていたので興味があったんですけれど、
なんかもー、見るのも辛いわってなってしまい、
女優さんたちにとっても辛い作品になってしまったなと
ただただお悔やみ申し上げますって感じです。

さて、明日は明日でとあるアプリ内でトークをしてきますよ。
そんじゃまた。モイモイ
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犠牲をもって利便性を受け取っている

2024-01-28 | from:sachiaki
今日は哲学対話的な会にお邪魔していたsachiakiです。

内容の持ち出しはできないので
どういった話をしたかはご想像にお任せするとして
テーマは「密な絆ってまだ大事?」でした。
私がもとからゆるくフワッと繋がっているっていう
浅く広くの交友関係なこともあって
ポストコロナと言われても
そんなに影響を受けなかったのとは違い
人によっては大ダメージを受けた人間関係について
今日はゆるゆるとお話ししてきました。

で、次回のテーマを決める際に
「なにか議題はありますか?」と問われて
私が「観光」というものの悪い面についてを提案し、
その話の流れから別の方は
「便利さは誰かの犠牲のもので成り立っている」という
話を持ち出して、次回のテーマはどうやら
「便利さのための犠牲」
みたいなものになるんじゃないかって思います。

で、この話をしていた時に
私は「犠牲」って言葉を使う際に
物事に対してちょっと神経質に
受け取り過ぎなんじゃないかと考えていると
いうような発言をしたんですけれど、
どうもそういう話は反りが合わないみたいで
スルーっと流されてしまったので
ちょっとだけウ〜ンとなってしまいました。
まぁその辺のウ〜ンと思ったことを
次回話したら良いので
それまで温めるつもりなんですけれど、
とりあえず思ったことは、
「犠牲」とはいうけれど、
対価が支払われるものについて
どこからが「利益」でどこからが「犠牲」なのかが
そもそもけっこう曖昧だよな〜って思っているのと
明らかな権力勾配が起こっていて
「搾取」されているような場合の「犠牲」と
「対価が見合わない」という場合の「犠牲」では
なんかニュアンスやその解決方法への
プロセスが違うんじゃないかなって思ってるのですね。
まぁどちらも大貧民でいうところの「革命」が起こる
っていうことがあるので
実は最弱のカードが最強だっていうのはあって、
いくら権力があろうと、罰則をきつくしようと
使役したい人全員が死んだり
脱走しちゃったら意味をなさないし、
それゆえに権力が上にある人間は
細心を砕かないとならないと思ってるんですよ。

そして現代では使役する側とされる側っていうのが
昔ほど単純ではないとも思っているんです。
ストライキとかはなくなっているけれど、
明らかに労基が入れば苦境に立たされるのは企業の側だし、
実は働かされる側というのは
ものすごく手厚い保護の環境にあるんだけど、
どうもそういったことに気づいていないというか、
そもそも今その使役される労働者というものが
苦しむ原因となっているのが上司とかではなく、
エンドユーザー(顧客)であるという点において
話がまったく違うものになるんだよなぁ
なんてことをぼんやりと思ったのでした。

だから「犠牲になっていると思うのはなぜか?」と
その「加害者は誰か?」という点と、
それはどうして「犠牲となってしまっているのか?」
というけっこうごちゃまぜな論点があって
「利便性が犠牲のもので成り立っている」というのは
本当にそうか?と思ってしまったりするんですね。
たぶん契約書がしっかりしていて
その契約以外のサービスは提供しません
っていうことが徹底される欧米のようなやり方になれば
おそらく上の言い分は通らなくなると思うんです。
だって履行されなくてはならないものに対して
「犠牲」って言葉はおかしいじゃないですか。
そして「契約」って言葉は双方の合意を持って行われるので
やっぱり「犠牲」という言葉を使うのにふさわしくないと思うんです。
ただ、その”契約をせざるを得ない状況”に
追いやられている人がいるのなら
それは「犠牲」であると思うんですわね。

そんなことをつらつらと考えていました。
さて休日ももう終わり。
ダラダラした日曜日のおかげで
体もだいぶ休まったので
明日の3本収録を頑張ろうと思います。

それではまた。モイモイ。
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昨日は配信をご覧くださりありがとうございました!

2024-01-26 | from:sachiaki
昨日は半年ぶりぐらいに
人様のYoutube番組にお邪魔していたsachiakiです。

1時間料理番組でのゲストって私できるのか?
ってめちゃくちゃ考えちゃうんだけど、
なんだかんだで主人がしっかりしているので
ゲストはのんびりとした気持ちでいればよくって
おかげさまでめちゃくちゃ楽しい時間を
過ごさせてもらいました✨

しゃべっている内容があってるのか?とか
ほんと怖いんだけれど、
まぁエンターテインメントってことで
間違っているところも含めて楽しんでもらえたらと。

ちなみに入りで
とある映画のキャラクターのフリして入ったんだけど、
そもそも設定間違えてたって気づいたのは
配信終わってからで、
やっちまったぁと青ざめたのは内緒の話。

今年に入ってもう1ヶ月が経つけれど、
自分がなにかをやったかと言えば
自分自身のセルフクリエイトはなんもしてなくて
ヤベェヤベェってところなんですけれど
人様のところにお邪魔している時間はけっこうあって、
FM局作りたいプロジェクトのところで
すでに2本配信が済んで、
友達と今年もやる大きなイベント用の
スタッフ募集配信をしたり、
昨日みたいにYoutubeチャンネルに呼んでもらったり
いろいろあるなぁって思い返していたところです。

来週も早々に3本録りがあるのと、
メタバース空間でのおしゃべりもあるので
おしゃべりする人になりつつあるなぁと
苦笑いしているところです。

と、本業をおろそかにしている場合ではないので
そろそろ戻ります。
それではまた。モイモイ!
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死刑反対派なんだけど……

2024-01-25 | from:sachiaki
京アニ放火殺人事件の判決が出ましたね。
36人の尊い命が散り、怪我も含めると70人の
被害を出した京アニ放火殺人事件は
被告が心神耗弱かどうかが争点だったようですが、
本人も深いやけどを負ったところを
一所懸命に回復させ、その後に精神的にも寄り添った
お医者さんの尽力でこの判定が出たと思うので
妥当だなと思ったsachiakiです。

私は死刑反対派なんだけどさ。
それでも復讐心とは違った刑量だと思うので
これには妥当だとしか言えないなぁと。

私は誰かが酷い目に遭った時に
その復讐心で刑の量を決めるのは違うと思っていて
その犯罪に対して「これが適量である」と
たくさんの判決の中で決めてきたルール
つまり経験知だと思っていて、
人間が人間を測ることなんて不可能だから
その積み上げてきた経験をもとに
「これを適当とする」と決めたものは
大事にした方が良いと思ってるわけです。
でないと個人や世間の感情で
ルールなんてものは意味をなさなくなっていくと思うので。

ここでも何度も書いたけれど、
罰は罪を作ったものが赦されるためにあると思っているし、
赦されてたまるか!って考えて良いのは
被害を受けた側だけであって、
復讐をして良いとしても、
それは当人同士以外が決めることじゃないと思ってるわけです。

人間が他人の罪の量分に突っ込んだ時
その正当性ってどこにあるのか不明だし、
だいたいエスカレートしていくのが常なので
公開処刑を娯楽としたり、
自分のフラストレーションの吐口として利用したい
そういった下種な人たちが喜ぶシステムにしかならないと
そう思うんですよね。
初めは本当に罪の重い人たちに適用されていたことが
娯楽が少なく刺激の頻度が低くなればなるほど
だんだんと罪の程度が軽くなっていき
気づいた時にはジェノサイドにまで行き着くのは
歴史上避けられなかったことですからね。

そんなことを思いました。

で、今回の犯人の刑量について
できることなら死刑ではなく
失った人たちの分も徳を積み上げて
生きて欲しいというのはあるけれど、
現状の日本でそれができるか?と聞かれたら
難しそうだねって思うので
妥当なのかなって思った次第です。

基本的に死刑囚だろうとなんだろうと
誰かの首に縄をかけたりするのは
執行する人たちだって嫌でしょうからね。
ほんと、なくていい刑だと思うけれど、
そういっても……という頭の中がグルグルとする判決でした。

そすいえばもう一件、
もと未成年だった人が死刑宣告受けましたね。
あちらなんかは反省するまで
死刑ではなく、ギチッと罪と向かい合うように
心理カウンセリングからなにから
バチバチに施して「悪かった」と悔い改めて欲しいです。
内省できない人間もいる。
なんて話も耳にするけれど、
人間でそれができないっていうと
人間とはなんだ?って思ってしまうんですけれど
どうなんでしょうね。

そんなことを考えていましたが、
本日は夜にライブ配信のゲストに呼ばれているので
そろそろ顔を作ったりしようと思います。
それではまた。モイモイ!
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印刷博物館に行ってきました

2024-01-24 | from:sachiaki
今日はお仕事の間に無理くり時間を作って
印刷博物館におでかけしてきたsachiakiです。

いやさ、印刷物がもとから好きとはいえ
博物館での印刷物に関する情報の山は
よだれが止まらなくなるほどたまらない空間でした。

それにしても凸版印刷の記念館の中に
博物館があるなんて知らなかったので
今回行くきっかけとなった
知り合いのイベントには感謝感激でありますよ。

印刷博物館の常設展示も最高なんだけど
企画展になっていた「明治のメディア王小川一眞」は
写真としての美しさもさることながら
記録としての写真もめちゃくちゃ豊富で
写真展としても面白いし、歴史を知る手がかりとしても
かなり見応えのあるものとなっておりました。

それにしても、印刷の大元となる
木版画が圧力をかけて紙にインクをつけるものだったので
今も情報を発信するメディアに対して
「プレス」という名称が使われているのは
そうだよね〜って思うものだったけれど、
現在はプレスをするメディアだけじゃないので
インパクトという言い方をするのが面白いなってなってきました。

そのほかにもかなり色んな情報を詰め込んできたものの
ちょっとうまくまとめられる気がしないので
今日はこの辺にて。

しかしまぁ印刷についての
ちゃんとした知識がつくブ厚い本を持っていたものの
あまりに難しくて諦めちゃったんですよね。
グラビア印刷、凹版印刷と印刷の技術はいろいろとあるんだけど、
その仕組みがいまいちわかっていないので
今回もほかの技術を知ることができたものの
やっぱり難しかったので
もうちょっとちゃんと勉強したいなって思いましたよ。

解像度(印刷的には線数)の話なんかも
かなり面白いんだけど、
解像度の概念とはかけ離れた
コロタイプ印刷のすごさには目から鱗でした。
あまりに本物のように印刷できちゃうので
美術品の複製などに使われるそうなんですけれど
その技術のせいで偽物も横行したというので
技術というのは使いようだな〜って思いました。

さて、ちょっと眠気が押し寄せてきたので
それではまた。モイモイ。
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髪を切りました

2024-01-23 | from:sachiaki
最近「〜に似てる」っていう写真を頂くことが
ちょいちょいありまして、
私の顔の特徴のなさも相まって
あー、ちょっとわかるwwってことも多く
もらうたびに、この人は私の特徴をここに感じているのだな
と確認できて面白いですw
とりあえず金髪ボブでメガネかけてれば私
というザックリとしたイメージのようです。
どうも。その昔「金髪ブタ野郎」と
罵る歌手がいたなぁなどと思い出すsachiakiです。

ちなみに泰葉さんの「フライディ・チャイナタウン」は
私が大好きなシティポップの一つです。

それはそれとして。
なんで髪を切ったのかといえば
うっかりポニテにできてしまいそうなぐらい
髪が伸びてしまっていて鬱陶しいなと思っていたのと
今週の木曜日予定のライブ配信に
ゲスト出演することになっているので
服とかどうしようかな〜なんて考えていたところ
友人から「〜に出ている〜に似てる」って言われたので
あ!ネタ来た!!ってなったので
ちょいとそれに寄せてみることにしましたw
もともとよくやっている髪型なので
ネタか?と言われると困る程度に
いつもの私ですが、髪を切りたかったので
タイミング的にありがたい話でした。

しかしまぁなんていうの?
高校時代からの腐れ縁であるあもさんからすると
「は?」っていう話なんですけれど……
私の顔。30歳過ぎた頃から老け顔に年齢が追いつきまして
年齢が上がったぶん顔の方が若く見られがちになるという
年齢不詳ゾーンに入りまして
「ロリBBA(ババア)」と呼ばれるようになりました。
というわけでジャンル的に「ロリ」に入れられているのも
面白いなと思っています。
でもさ、歌手のイルカさんとか、絵描きの水森亜土さんとか
昔から年齢不詳なうえに熟女というには
中学生ぐらいにも見えるって人がいたじゃない?
どうもそういうジャンルになりつつあるのかな?
なんて思ったりしてます。

中学時代まではお子さんのいる世代に間違えられることが
ちょいちょいあったのに、老け顔というのは不思議なものです。

ていうか「ロリ熟女」って単語にも
先日触れることがあって「ロリBBA」よりもパワーあるな
って驚いたりしてましたw
もうさ、どちらを売りにしたいのかが全く謎だよwww
見た目わかーいって言いたいだけだと思うんだけどww
なんにしてもキャッチーな言葉を作れるのって
すごいなって思います。

そんなこんな。
髪を切ったってだけの話を
全然別の話にまで持っていってしまいましたが
どうしてそんな話を書いているのかは
25日の木曜日22時にネタ解禁するので
よろしくお願いしますってことなのだw

ではでは。モイ!
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AIがイメージ業界を乗っ取ると聞いてはいたけれど

2024-01-22 | from:sachiaki
さっきふとネット広告に目をやってみて
「あ!」って思ったsachiakiです。

基本的にネット広告はウザイので
目に入ったとしてもスルーしてるんですけれど、
さっき見ていたオジサマ向けのお堅い
ニュースサイトを見ていた時に
「PR」と入ったバナー広告が目に入りまして、
いつもなら自分には関係ないし〜って
ドスルーしちゃうところだったんですけれど、
使われている写真が下着姿の女の子なんだけど、
これモデルがいないやつだ!って気づいて
同じサイトに載っているPR広告を見てみたら
全然気づいていなかったけれど、
どれもこれもAIで作ったと思われる
モデル不在のイメージばかりで
マジか〜〜〜〜〜ってなってきました。

フォトレタッチを生業にして20年ちょい。
人様の顔をいじり倒して
人間から離れていくことはあったけれど、
それでも光の加減とかで「人らしさ」ってものは
あったんですけれど、
さすがにその光源でその表情は出せないだろ……とか
いわゆる見えすぎてるところとかで
あぁこれは写真ではないですね。
なんて気づいちゃうもんなのですね。

スーパーリアルっていわれる絵画の技法があるけれど、
あれが写真よりも精緻に描く技法なので
写真ではないって気づいちゃうのと同じで
AIで作ると奇妙なところがリアルだったり
強調されたりするので気づいちゃうのよね。
肌とかのテクスチャは
いつかできるだろうって思っていたから、
実際にできている今、すごいなぁって思うことはあるけれど、
やっぱ本物とはちょっと違うんですよね。

あぁ、でも知人が「JR SKI SKIの広告を見ると
どれもAIなのかな?って思うようになった」
って言っていたので調べてみたら
ちゃんとモデルいたんだよなぁ。
モデル使った上でスーパーリアルタッチに変換するとか
そういう面倒なことはできなくもないから
そういう加工をしたりしてるのかなぁ…
ってバナー広告ぐらいのものにそこまではやらないだろうから
やっぱりAI生成なんだろうな。

思い通りのイメージを引き出すための
プロンプトを作るのもそれなりに大変だけど、
モデル代やらスタジオ代を考えたら
ウンウン唸って思いついたプロンプトで
大量に吐き出したイメージから選ぶ方が合理的ですわね。

そんなことを思った午前5時。
土日遊んじゃった分のお仕事してたけれど、
そろそろ眠たくなってきたのでこの辺にて。
それではまた。モイモイ。
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あなたにとってボランティアとはなに?

2024-01-19 | from:sachiaki
先日「あなたにインタビューしたいので
先に質問を送っておきます」ともらった質問リストに
「あなたにとってボランティアとはなんですか?」
という質問をもらってずっと考え続けているsachiakiです。

一般的な回答でいえば
ボランティアというのは金銭が発生しない、
もしくは儲けにならない程度の金銭で
人の為になにかをすることってことなんだろうけれど、
私にとってのボランティアって
そういう平易な言葉で表せるものじゃないなぁ
なんてことを思ったりしてて
そもそも自分がボランティアをしているっていう
イメージもあまりなく
ずっとずっと考え続けてしまっています。

色々と考えた結果
「明日世界が滅びるとしても〜」の言葉を
答えておきました。
諦めずに希望の苗(木)を植え続けて
次世代に繋いでいく、
誰かのための糧になるのを祈る、
そんな感じのものだと思っているとお話してきました。

祖母の世代からの「人様のために」っていう家系なので、
ボランティアっていうのをあまり意識したことないんですよね。
ダンナ氏ことパンダには
あまりボランティア的な仕事の仕方をするなって
よく怒られるので、良いことなのか悪いことなのかが
全然分からんのよね。

ただ最近は色々な熱意が死にかけているので
ボランティアについても
友人の助けになれば良いって感じでやっているので
活動的でもないのよねっていうのが本音。
だからあまり「あなたにとって〜とは?」と
聞かれるのはちょっとシンドイなってところも
あったりなかったり。

そんな感じです。

「〜する」ではなく「〜してしまう」に近いので
踏み出せない人に対してコメントをいうのにも
私なりの解釈で答えさせてもらったけれど
受け取り方は色々とあると思うので
次の配信で聴ける機会がありましたら
こいつこんなことを答えてるのか……と
思ってもらえましたら幸いです。

と、今日は一日中サボってしまったので
この辺にて。モイモイ。
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