発見記録

フランスの歴史と文学

「文体」の憂鬱 グラック『アルゴールの城にて』

2008-01-08 21:58:25 | インポート

暮れに亡くなったジュリアン・グラックは、その文体styleが最大級の讃辞を受ける作家だった。
「フィガロ」のフランソワ・ヌリシエによる追悼文 Julien Gracq un style français
François Nourissier de l'académie Goncourt 24/12/2007
には、特別の興味を持った。

ヌリシエが5年前、シムノン生誕100年を機会に書いた文章がある(Ecrivain ou romancier ? Le Figaro Littéraire, 9/1/03)
「文体」を持たない小説家romancierシムノンが、琢磨された「文体」が生命である著作家écrivainたちと対比され、後者の典型としてヌリシエが挙げる作家の一人がグラックだった。
このブログでも以前取り上げたが(2005.11.10)それはお祝い気分に水を差す、しかしどきりとさせる文章だった。

サルコジ大統領グラックを悼むという記事(nouvelobs.com )の"l'un des plus grands écrivains français du XXe siècle"は、ジッドがシムノンを讃えた"un des plus grands romanciers du XXe siècle"を思わせるが、écrivainとromancierの違いが気になってしまう。

やはりグラック哀悼の声明を出したフランソワ・バイルーのサイトでは、あるコメントに「グラックを読んだ政治家がいるとしたら、それはまさにあなただ。当然サルコジは読んでなんかいない」( "S'il est un homme politique qui a lu Gracq, c'est bien vous. Evidemment, Sarkozy ne l'a jamais lu.”) gracq, bayrou, louxor et karl marx Posté par : synergie
これはinculte(無教養な)を検索キーワードに加えてみたら出てきた。

自分のことを棚に上げてはいけない。唯一フランス語で読んだのは『アルゴールの城にて』だが、二外で基礎を終えた程度の頃、何十日もそれこそ雲の中を行くよう、人文書院版は品切れになっていた。あの時どこまで理解できたことか。

生田耕作は『紙魚巷談』(倒語社)で『アルゴル城』からの原文を引く。「古城付近の暗い林道をアルベエルとハイデが散歩するくだり」で、くっきりとしたイメージの浮かぶところだが、引用箇所の最後に来ると、俄然難しくなる。

Parfois,un oiseau traversait comme une flèche l’exaltante avenue, et sa particulière et alors surprenante immunité frappait l’esprit à l’égal de l’énervante gymnastique d’un passereau sur un fil électrique, dans toute la durable longueur de son passage à travers ce qui paraissait à l’oeil le moins prévenu une des authentiques lignes à haute tension du globe.

時たま、一羽の小鳥がこの緊張した並木道を矢のように横切って去った。心得ぬ者の目には文字通り地球の高圧線の一つとさえ見えかねないものを横切って飛び去るかなり長い時間のあいだ、小鳥の特殊な従って驚くべき免疫性は電線の上の雀の苛立たしい体操にもおとらず精神を叩きのめすのだった。(生田訳 訳書の傍点強調は太字で代用)

ときには一羽の鳥が矢のようにこの興奮にみちた並木路を横切り、その独特な、しかもその場にふさわしからぬほどの身軽さが、まるで電線にとまった雀の体操が見る者をはらはらさせるのと同じに、うっかり見れば地球の本物の高圧線の一つとも見えるものを横切って行く、その通過時間のあいだ中、人を驚かす。(安藤元雄訳 白水uブックス)

安藤氏は訳者あとがきで、

しかしグラックを真に彼自身たらしめているのは、何よりもまず、その特異な書法であるように私には思われる。というよりも、この書法そのものが作品の主題をになっているのだから、もうもはやそれは単なる修辞論や文体論の枠をはみ出して、むしろ話法論や物語論のレベルで検討されるべきものとなっているのではあるまいか。

大変なことになってきた。しかし「書法」と「文体」が区別されていることに注目。「この文章は、俗に言う美文とは違う」にも。

ヌリシエが追悼文の後半で特に言及するのが「戦争についての感嘆すべき本」、『森のバルコニー』Un balcon en forêt なのは意外だった。

Aucun autre récit de guerre ne m'a fait l'effet du Balcon de Gracq. À mon estime, rien de Genevoix, Montherlant, Drieu ne l'approche. Aucune querelle ne vaut que ces pages soient oubliées.
他のどんな戦争の物語からも、グラックの『バルコニー』ほどの印象を受けなかった。私の見るところ、ジュヌヴォワやモンテルラン、ドリュの作にも匹敵するものはない。どんな論争も、グラックのこれらのページを忘れさせることがあってはならない。

シムノンと戦争というテーマで書いた時、『バルコニー』の邦訳にも目を通した。現代史と関わる作品が稀な著者の例外的作品。この点シムノンの『離愁』Le trainと共通する。私の記憶の中では、映画『バルジ大作戦』でアルデンヌの森をドイツの戦車が進んでくる場面(こちらは戦争末期だが)も、『離愁』や『森のバルコニー』も、混然となっている。